中国「共産党」指導部が、共産党とは相容れない権力となっていることが、より鮮明になったのがこの「歴史決議」なるものだと思います。一方、中国の大学教授の「多くの知識人は今のやり方に反対している。指導部と知識人との間の矛盾は広がっている」との指摘は、社会進歩へのまともな道を進む可能性を含んでいるように思います。
立憲民主党幹部、支持者の方々に訴えたい。連合の脅しや自公・維新に屈するのではなく、国民・市民の願いに応えた政策・政権協力が大きな力を発揮したことに確信を持っていただきたい。
第一ラウンドで、思うように行かなかったら、第二、第三で相手をノックアウトするくらいの気概を持つべきでは。チャンピオンになった方は、みな、この試練を乗り越えたからです。日本共産党はそのためには誠実に協力する政党ですよ。
第一ラウンドで、思うように行かなかったら、第二、第三で相手をノックアウトするくらいの気概を持つべきでは。チャンピオンになった方は、みな、この試練を乗り越えたからです。日本共産党はそのためには誠実に協力する政党ですよ。
維新にとっては、政党助成金という濡れ手で粟の財源は触れて欲しくないことがよくわかります。支持していない国民からでも強制的に徴収して分け前をもらっているのですから。
遠山清彦・公明党元衆院議員秘書のしまし貸金業法違反容疑に続き斉藤鉄夫国土交通相(公明党・現職)の買収疑惑が浮上た。「進退という話にならない」とする公明党は、もはや、「公明」ではなくなった。無批判に公明党の行動隊となっている創価学会員は真相究明を求めることができるのか。
中国とIOC、独裁と利権のコラボが人権を踏みにじる。東京オリンピックでの命無視のバッハ会長の無反省は、習近平の独裁を許すのか
大空と大地の中で 市原時夫歌 松山千春 作詞 曲
松山千春さんの初期の作品です。純粋に北海道の自然と旅立ちの思いを作品にされています。私の50年前の田舎北海道からの旅立ちを思い出す曲です。
松山千春さんの初期の作品です。純粋に北海道の自然と旅立ちの思いを作品にされています。私の50年前の田舎北海道からの旅立ちを思い出す曲です。
今こそ、野党共通政策を知ってもらえるチャンス。マスコミが野党の共通政策の説明抜きに、雨あられで、野党共闘破壊に乗り出している今、戦争をしない国を宣言した憲法を活かす共通政策、庶民の命を第一にする、富裕層優遇から庶民減税へ、権力の私物化是正など野党で推進するときです。
知り合いの方から、日本共産党について率直な疑問が出されました。①中国共産党と同じかと聞かれ、全く違うと応えると、驚ろかれました。②日本共産党が信仰する宗教は?と聞かれたので、党としては無宗教ですと応えました。③労働者の組合である連合が反対しているのに、野党共闘をすすめるのか。④社民党(社会党)は共産党と同じ考えか。立憲民主ってどんな政党か⑤志位和夫委員長はなぜ引退しないのか。など、詳しくお話ししましたが、善意の気持ちなのですが、一般の方の日本共産党の印象なのかとも思いました。そして率直に聞いていただいたことに感謝したいと思います。
「めちゃめちゃかっこよかったです」は志位和夫委員長のことです。維新のこの男の方のことではありません。念のために。
習近平氏の民主主義弾圧と世界覇権主義を永久化をめざす「歴史決議」です。すでに、「一帯一路」路線は、アメリカ・日本が経済援助と称して、利権を得、さらに、自国の悪政をお金で容認させる事態を推し進めています。
NHK「アンという名の少女」
私は「赤毛のアン」を読んだことがありませんが、この映像作品には感動しております。そして浦山迅さんの声がマシュー・カスバート役の方の慈愛にみちた性格にとてもぴったりで、素晴らしいと思います。
この作品では、現在に通じる差別・偏見・格差・人種・ジェンダー・封建制度という問題と共に、当時のカナダの民主主義の定着ということや、何よりも、子供たちをどう見るべきかという、基本的問題を多少過激な形で表現されています。
今の、日常的に孫を見ながら、日本で、このように子供たちに接して、成長を援助できる社会になっているのか、考えさせられました。私はアンの危うさを感じながらも、孫にもこんな風に育って欲しいと思います。
私自身が、自由にそして、自分の判断で生きるように育ったこともあり、そう感じるのかもしれません。
この、作品は、日本社会がどうあるべきかを考えさせてくれていると思います。
私は「赤毛のアン」を読んだことがありませんが、この映像作品には感動しております。そして浦山迅さんの声がマシュー・カスバート役の方の慈愛にみちた性格にとてもぴったりで、素晴らしいと思います。
この作品では、現在に通じる差別・偏見・格差・人種・ジェンダー・封建制度という問題と共に、当時のカナダの民主主義の定着ということや、何よりも、子供たちをどう見るべきかという、基本的問題を多少過激な形で表現されています。
今の、日常的に孫を見ながら、日本で、このように子供たちに接して、成長を援助できる社会になっているのか、考えさせられました。私はアンの危うさを感じながらも、孫にもこんな風に育って欲しいと思います。
私自身が、自由にそして、自分の判断で生きるように育ったこともあり、そう感じるのかもしれません。
この、作品は、日本社会がどうあるべきかを考えさせてくれていると思います。