JCP市原時夫です

千葉県房総の睦沢町から、政治・経済・歴史・オペラ・うたごえを考えるgabuku@m12.alpha-net.ne.jp

沖縄への配備拒否の10万人集会

2012年09月11日 | Weblog


 昨日の沖縄と国会でのオスプレイ配備反対の10万人集会の「赤旗」記事です。
米海兵隊の垂直離着陸機MV22オスプレイの配備に反対する清輝県民大会が9日、宜野湾海浜公園で開かれ10万1000人が参肌、富百・八重山地方で同時開催された集会とあわせ10万3000人に達しました(いずれも主催者発表)。沖縄の本土復帰後に開かれた米軍基地関係の県民大会では最大規模となりました。

本土で連帯集会会場はシンボルカラーの赤で埋め尽くされ、10月にも普天間墓地(宜野湾市)でオスプレイの本格運用を狙う日米両政府に「レッドカード」(退場)を突きつけました。
また、東京の国会前でも1万人が参加した抗議集会が開かれるなど、本土でも連帯が広がりました。
採択された大会決議は、オスプレイが開発段階から事故を繰り返している「構造的欠陥機」であり、「安全性が確認できないオスプレイ配備は到底容認できない」と指摘。「返還」合憲かど真ん中に居座る普天間墓地の「閉鎖・撤去」を求めています。
宜野湾市の佐喜真藩市長は、普天間墓地「固定化」の流れに強い懸念を表明するとともに、「安全性に担保のないオスプレイを、世界一危険な普天間墓地に持ち込もうとしている
ことに強い憤りを感じざるをえない」と訴えました。
大会代表団は上京して13日に決議文を政府に手渡すとともに、10月の訪米を検討。また、オスプレイの低空飛行訓練7ルートにかかる自治体に決議文を送付するなど、本土との連携を強めていく意向です。
県民大会には日本共産党から志位和夫委員長、赤嶺故買、笠井亮両衆院議員、仁比聡平前参院議員らが参加しました。

吉永小百合さんの「文庫化によせて」がある 「往復書簡」湊かなえ著

2012年09月08日 | Weblog


 自ら映画化の構想を重ねていることが書かれているのが、巻末の「吉永小百合さんの文庫化によせての一文」で、吉永さんの人柄がわかります。
 「往復書簡」は、ミステリー、どんでん返しあり、人間の本性の一端もありという、内容ですが、わたしにとっては、どれも中途半端な感じがします。
 なにか、たんたんとした、描き方にちょっと不満が残りますが。最後の「あっと」おどろく結末も用意されています。
 吉永さんは、自らの映画の構想の主体的な流れのなかで、この原作を取り入れたようです。
 

京都大学 岡田知弘教授講演会が茂原市で 地域経済・自治体問題で多数の著書

2012年09月06日 | Weblog

 私も地域経済・まちづくりなどで、この方の本を読み参考にさせて頂きました。
なかなか、講演会に呼ぶことはむずかしいと思っていたのですが、今回、茂原革新懇が、講演会を企画されました。
 この長生郡市の地域作りのあり方を考える上でも、期待しています。

原発ゼロを基本にエネルギーの自給自足町に 9月議会は11日から

2012年09月03日 | Weblog
 9月議会は11日から開かれます。私の一版質問の概要は次のとおりです。
 新町長になってのはじめての議会ですので、町長の政策方針にもとづき基本姿勢について質問する予定です。

① 住民の命を守る安全なまちづくりについて
ア) 災害につよいまちづくり、クリーエネルギー活用推進を掲げているが、
大前提として町民の命を危険にさらす最大の要因である、原発再稼働を許さない、原発ゼロをめざす共同の姿勢に立つべきではないか。
イ)千葉県が「千葉県地域防災計画(修正)」を決定したが、町民の安全の視点から、町として充実を求めると共に、町の計画を充実すべきではないか。特に「自立・共助」の思想からの脱却、「津波浸水予想図」の他県との調整、病院・民間住宅の耐震化促進と県からの支援、消防力の充足率向上、など弱点を克服すべきではないか。
ウ)クリーンエネルギー活用の推進を掲げているが、部分的な導入ではなく、地産地消のエネルギーへの転換の姿勢にたってはどうか。
② くらしを支える施策について。
ア) 消費税増税は町民のくらし破壊の根源になると思うが、また、国保会計への国の負担分を戻すこと含めた国民保険税の軽減について。医療・介護の負担軽減への取り組みの考えは。
イ)雇用確保について、国や大企業に真正面から雇用確保を求めると共に、地産地消・福祉充実による雇用確保をはかること。
③ 町の歴史的財産を生かした活性化推進について。
ア) 町農業の発展を阻害する元凶であるTPPにきっぱり反対し町農業を守るべきではないか。地産地消の促進と、後継者支援を導入の考えは。
イ)子育て支援の伝統を生かした特徴あるまちづくりとして、学校給食自校方式の充実・医療費無料化の拡大の考えは。

茂原革新懇がニュース108号  満蒙開拓団の真実

2012年09月01日 | Weblog
 茂原革新懇ニュースが発行されました。1名の内容を転載します。
 
 昨年九月、茂原革新懇が呼びかけ、実行委員会を組織して上映した「嗚呼満蒙開拓団」は多くの方々に鑑賞していただきましたが、その中には実際に満蒙開拓団に参加された方が何人もいらっしやいました。
 また、NHKが今年の一月、四回にわたって満蒙開拓団をテーマにしたドラマを放送しました。あらためて、開拓団の方々の悲惨な体験を知ることができました。
 映画を観て、アンケートを寄せていただいた方々を訪問し、短時間ではありましたが、その体験談をお聞きすることができました。詳しくは、茂原九条の会主催の「戦争体験を語り継ぐ」でお聞き頂くとして、何人かの方々の体験を紹介したいと思います。
一家十一人でただ一人生存 茂原市に在住のMさんは、現在の長野県南木曾町から三百戸が分村していった開拓団の一員として一家をあげて、昭和十四年 (一九三九年)十月に満州に渡りました。
 その時の家族構成は、祖父と両親、八人の子どもで、Mさんは当時十四歳で長男でした。その後、父親は病気で亡くなり、Mさんは昭和二十年五月に二十歳になり、牡丹江で入隊し、部隊は南に移動しました。Mさんはこうして家族と別れ別れになったのですが、その後、八月九日にソ連が攻めてくる中で、家族は全滅しました。Mさんはその後、シベリアに送られ、鉱山で働かされたり、飛行機の部品の製造をさせられたりして、昭和二十三年にやっと帰国できたということです。
 十人家族が姉と二人だけに 白子町に在住のTさんは昭和十四年、親兄弟家族十人で、現在の長野県蓼科町から満州へ渡りました。当時Tさんは五歳でした。
 昭和二十年八月九日、「ソ連が侵攻して来るから」との連絡で馬車にわずかばかりの衣類と食料を積み込み、その日の夕方から逃避行が始まりました。数日だつと食料はなくなり、足は棒のようになりました。次の村に行けば軍がいて私たちをまもってくれる」という言葉が希望でしたが、どこに行っても軍にあうことはありませんでした。
 こうした移動の中で、二人の弟、そして妹が亡くなりました。九月にハルビンに到着し、そこから新京、奉天と無蓋貨車に詰め込まれて移動しましたが、そのわずか三、四ヶ月の間に、父、二番目の姉、母、弟と兄が疲労や栄養失調で相次いで亡くなりTさんはわずか十二歳でたったひとり取り残されました。一番上の姉は結婚して音信普通でしたが、昭和二十二年にやっと連絡が取れました。
両親亡くしただ一人帰国
 茂原市在住のKさんは、満蒙開拓団ではありませんが、ソ連が参戦する混乱の中で、やはり両親を亡くし、そのお骨をやっとの思いで持ち帰られたということです。Kさんの両親は、ソ連や満州と国境を接する朝鮮の羅津というところで、かなり大きなホテルを経営しておられたのだそうです。
 お父さんはホテルの経営をやめて帰国しようと思ったのだそうですが、軍の人から 「いざとなったら私たちが何としても守るからホテルを続けてくれ」と頼まれて残ったのだそうです。しかし、いざソ連が攻めてくるとその約束は守られず、大きな釜で朝のご飯を炊いたのもそのままにして、殆ど無一物で逃げ出したのだそうです。
 お母さんが亡くなったときには何とか荼毘に付してお骨を骨壷に入れることが出来たのですが、お父さんが亡くなったときにはそれもできず途方にくれていたら、親切な兵隊さんがいろいろやってくれて、やっとアルマイトの弁当箱にお父さんのお骨をいれて持ち帰ることができたということです。

第7回戦争体験を語り継ぐ
満蒙開拓団の悲劇
 8月25日(土)午後1時30分から
茂原市総合市民センター
 主催茂原九条の会
映画「一枚のハガキ」
新藤兼人監督最後の傑作。
豊川悦司、大竹しのぶ、六平直政、柄本明、倍賞美津子、大杉漣、津川雅彦出演
9月30日(日)
午後1時30分②午後4時③午後6時3時
東部台文化会館
①午後1時30分②午後4時③午後6時30分