JCP市原時夫です

千葉県房総の睦沢町から、政治・経済・歴史・オペラ・うたごえを考えるgabuku@m12.alpha-net.ne.jp

議会だより

2012年01月30日 | Weblog
 今日は、再選後初の議会だより編集員会でした。委員長ということですが、委員は計4名です。
 なかなか、正確さとともにわかりやさ、そして、読まれるものにという、なかなかむずかしいところですが、みなさんの声を聞きながら進めていきたいと思っています。

県立高校統廃合反対運動の中、日本共産党千葉県議団が懇談

2012年01月28日 | Weblog
 高校生自らも立ち上がっている、いすみ市・勝浦市の高校統廃合の反対運動の中で、日本共産党千葉県議団が、いすみ市・勝浦市の方々と懇談しました。
「赤旗」記事より
 千葉県教育委員会が、県立の岬、大原(ともに、いすみ市)、勝浦若潮(勝浦市)の各高校を一つに統廃合する計画を進めようとしている問題で、日本共産党県議団と県委員会が25日、市長らと懇談し、各高校を訪問しました。
同計画に対し、統廃合反対署名が3万4千人を超えて集まるなど運動が急速に広がっています。
 岬高の後援会長でもある太田洋いすみ市長は、地域と密着した学校の実態、同校の園芸科を頼りにした市の地域振興策などを熱心に語りました。
 全区長を先頭に1万3987人分の署名を県に提出した勝浦市の関重夫副市長は、県内2番目の水揚げを誇る勝浦港があり、漁協も後継者育成のため存続を求めていることを強調。「水産の街に水産関係の学校がなくなっていいのか、水産をめざす子どもたちはどこへ
行けばいいのか」と訴えました。
 岬高の時田和之校長は、小規模ならではの、ゆきとどいた教育の実態や学校の歴史を紹介。園芸科には広い農場が整備され、収穫した作物を生徒自身がリヤカーで地域に販売していること、こうして育った人材が県内農業の発展に大きな役割を担っていることなどが話されました。
 党県議団は「地域になくてはならない学校として役割を発揮し、地域と深く結びついている学校をなくすことは問題。存続に力を尽くします」と話しました。

アルゼンチン 失業率改善 新自由主義から転換

2012年01月27日 | Weblog
 今日の「赤旗」国際面の記事です。中南米での新自由主義から脱却する政権が次々に生まれています。
【メキシコ市=菅原啓】
  アルゼンチンのフェルナン。デス大統領は25日、失業率が過去20年間で最低水準となったと発表し、国民の利益と雇用を守るためにあらゆる方策を講じる決意を表明しました。
   同国では90年代初頭の失業率が5・8%でしたが、メネム政権(1989~99年)の新自由主義的経済政策による公務員削減や民営化で失業者が増大―経済危機に陥った直後の2001年には25%まで達しました。
 新自由主義から国民生活と雇用重視に転換したキルチネル前政権(03年発足)以降、失業率は低下傾向にあり、昨年第3四半期(7~9月)は7・3%となっていました。
 発表によると、昨年第4四半期(10~12月)の失業率は6・7%で、フェルナンデス大統領は「私たちは7%の壁を初めて突破した」と報告。国営通信社ELAMは、これを「過去20年間で最低の記録」と報じています。
 大統領は、昨年の経済成長率が9・2%だったことも、失業率低下の要因として指摘。同時に「どんな成長でもよいわけではない」と述べ、発展から取り残される人をつくらない政策の重要性を強調。「憲法上のあらゆる手段を活用して、4000万人のアルゼンチン国民の利益を守っていくつもりだ」と語りました。

パナソニック売却と政府系の株式会社産業革新機構出資のジャパンディスプレイ社の雇用責任

2012年01月26日 | Weblog
 茂原民主新聞(日本共産党茂原市委員会発行)の1月号では、パナソニック茂原工場の休止・売却での雇用問題を特集しています。
 売却先である、政府系の株式会社産業革新機構が出資するジャパンディスプレイ社の雇用責任も重大です。
 しかし、「買収したのは工場だけ」との態度では雇用と地域経済の打撃はさらに深刻になります。
ここをクリックしたください。

八ッ場ダム中止し生活再建の具体化を・・・日本共産党県議会報告

2012年01月25日 | Weblog
 日本共産党千葉県議会報告が発行されました。
 一面は、公約を破って必要のない八ッ場ダムの建設を決定した野田内閣にたいし、利水・治水とも必要のムダ使いと指摘しています。
 そして、ダムに翻弄されてきた住民への生活再建の具体化を求めています。
 2面は、県の保育所の設置基準を後退させるなと指摘し、また、パナソニック茂原工場閉鎖に伴う雇用確保について県に申し入れしている内容を紹介しています。
ここをクリックしたください。

雪で路面凍結

2012年01月24日 | Weblog
 今日は、昨日からの雨が雪になり、朝は雲がなくなり、冷え込んできました。
「赤旗」配達も、路面が凍結してきて、滑りやすく慎重運転でした。
 帰ってくると猫が早速表にでて、雪の感触をチェックしていました。
裏山は、朝日に雪が光っていました。


市原時夫議員は議会編集委員長・総務常任委員会副委員長に。臨時議会

2012年01月21日 | Weblog
20日に町議会選挙後の初議会が開かれ、議会の委員会構成や町各種委員会委員などを決めました。
 市原時夫議員は、議長、副議長、広域議会議員選挙については、投票を求めました。

○中村義徳議長
議長選挙では、中村義徳議員が9票、幸治正雄議員が2票、市原時夫議員が1票、白票2票でした。

○今関澄男副議長
副議長選挙では、今関澄男議員が12票、市原時夫議員が1票、白票1票でした。

○中村義徳議長と投票では市原重光議員が広域議員
 議長は充て職として決まり、投票では、市原重光議員が10票、幸治正雄議員が2票、市原時夫議員が1票、白票1票でした。

○議会だより編集委員長に市原時夫議員
 市原時夫議員は、総務常任委員会副委員長、議会だより編集委員長と町防災行政無線運営委員になりました。その他の審議会等の分担は、各常任委員会や議員全体会議などでの互選などを通じて、本会議で決定しました。

議会構成表はこちらから ここをクリックしたください。 




日本は原発なしにやっていけるか! 革新懇での本島氏の講演

2012年01月19日 | Weblog

 
 船橋革新懇での本島勲氏の講演要旨が、ちば民報に掲載されておりましたので紹介します。

  船橋革新懇が12月4日、船橋市で「日本は原発なしでやっていけるか!」と題し、電力中央研究所元主任研究員の本島勲さん(元中央大学講師、現在核・エネルギー問題・情報センター常任理事)の講演をおこない63名が参加しました。以下、本島さんの講演要旨をお伝えします。
 日本の電力産業は、電灯会社として1886年に誕生し、紡績業などの工場の動力を電力化したことにより、重要産業となりました。
 1938年、国家管理諸法の公布により統合され、独占的な「発電会社」(日本発送電株式会社)となります。

事故の要因に「保護」
 戦後は、マッカーサーの 「ポツダム政令」によって9つの電力会社に再編成されます。これは当時の独占禁止法に明らかに違反していましたが、アメリカのエネルギー世界戦略のもと、日本を支配しようとの意図で、成立させたのです。
 アメリカはその後、日本固有のエネルギーだった石炭と水力から、石油と原子力に転換させます。日本の国会は、1964年に「電気事業法」を制定し、ポツダム政令を引き継ぎます。
 その頃、既に火力発電は石炭から石油に転換されつつありました。もちろん石油は、アメリカの石油メジャーによってもたらされます。この電気事業法に保護され、電力会社は今日のような巨大企業に成長したのです。
 また、政府の規制をクリアすれば「お上のお墨付きを得た」となり、電力会社が守られる仕組みです。それが、安全対策や独自の技術開発を怠る原因になり、さらには今回の原発事故を引き起こした遠因ともなります。
 原発事故についての電力会社の直近の報告では、「政府と一体となって進めてきた」、「しかし、想定外のことが起こって事故となった」、「だから、人為的ミスはなかった」というものです。国と一体となってやったのだから「自分らの責任ではない」と、強弁しているのです。
 今の福島原発の状況について東電は、循環水冷却が67度Cになっだので「安定した」といっています。しかし、1日に600トンの高濃度汚染水の漏洩がおこっており、更に建屋の中を開けられない状態であることからも「冷温停止状態」とはいえません。
 原発重点・依存体質は電力の消費構造に起因します。大企業や大規模工場の契約口数は全体の0.01%なのに使用電力は30%です。
 これに対し一般家庭は、契約口数99%で使用電力は35%です。
 電力の発送網は大工場優先に造られています。発電所から大量消費の大工場に高電圧で直に送ると、電カロスも少なく電力原価も安く済む。そのためには、安定して高電圧をつくる原発が都合がいい。東電にとって大企業優先でやるためには、原発が一番効率的なのです。

 作られた原発依存
 原発をなくしても火力の利用率を今の43・8%から75%にするだけで、電力総量としてはやっていける。原発は定期点検で停止中以外はフル稼働しているのに、火力は常に半分以上止めているのです。また発電量は、火力は56%で原発が35%であることから、今ある火力を100%稼働させれば原発を補う能力が充分あります。
 世界の火力発電の大勢は、石油から液化天然ガスに移行しています。天然ガスの大半は水素なので、温室効果のある炭酸ガスの出る量ははるかに少なくなります。
 節電についてどう考えるか。電力事業法27条で電気の不足が国民生活に悪影響を及ぼすおそれがある場合、「供給する電気の使用を制限」すると書かれています。しかし、大企業を守るため、この条項は生かされていません。
 大企業は、契約口数で0.01%なのです。「計画停電」はこれで充分でした。今後は、「計画停電」の範囲を中小企業まで網のかかる「500則以上」でなく、「2000所以上の規模の電気事業者」とさせることが必要です。

 原発撤廃への提言
 環境省によれば、日本の主な自然エネルギー(再生可能エネルギ士の導入可能量は、太陽14,920(単位は万KW)、風力185,550、中小水力1,440、等で合計203,330あり、9電力合計設備容量20,025の10倍を超えるとの試算です。
 再生可能エネルギー導入では、住民と行政との共同による運動かカギです。一例として「南信州市民ファンド」による発電例があります。
 また「エネルギー固定価格買取法」には、「再生可能エネルギーを買取る費用」を一般家庭の電気料に上乗せする条項があるので、これを電気会社に負担させる運動か必要です。
 私は、核エネルギーの危険性をなくすために、既存原発を撤廃し、新しい社会を作る、次の6点を提言したいと思います。
 ①原発の是非を問う国民的な議論をおこし、十分な議論ののちに国民投票を実施する。原発利用のためではない核エネルギーの研究・開発は推進する。
 ②当面は、運転停止の命令や、施設と運転の改善命令などの行政権をもち、政府から独立した原発運転監視委員会と附属研究機関を設立し、原発の運転を監視、指導して安全運転を図る。
 ③大口需要の大企業は、自家発電の開発など自己の責任で電力を確保する。
 ④各地域に分散する固有の自然エネルギーの開発を、地方自治体のイニシアチブの下に住民参加による 「おらが村のエネルギーはおらが村の自然エネルギーで」として推進する。
 ⑤大工場を中心として大量生産、大量消費の産業玉工場中心)構造から、自然と共生する農林漁業、地場産業を主体とする低エネルギー循環型の産業、生活へ転換させる。
 ⑥ポツダム政令を基本的に引き継ぐ電気事業法を抜本的に改定し、電力会社による電気事業を改め、公共事業としての電力産業の社会的責任を明確にするとともに、エネルギーの地産地消を推進する法的財産的体制を確立する。
 質疑では、「なぜ危険とわかっている原子力の研究を進めるのか」との質問が出され、本島氏は「今の科学でその危険性を回避できないからといって、将来の可能性を否定してはならない。また安全に原発をなくすためにも研究は必要」と語りました。
   (文・写直  佐藤実)

日本共産党全県議員研修会で原発事故問題講演

2012年01月18日 | Weblog
日本共産党千葉県地方議員研修会が、1月16日17日に開かれました。


「安全神話のごまかしsi
 最初に、本島勲(元電力中央研究所)氏が、放射の防護と既存原発からの撤退と題して講演を行いました。
 原発でも絶対安全というのは技術開発の本質としてありえないこと、だからこそ、6重にわたる防護を行っていた。この時点で「安全神話は成り立たないのに、「絶対安全」とごまかしていた。
七十七年には、政権政策として原発ゼロを示す
 日本共産党が一九七七年に政権政策として示した「 日本経済への提言」で、すでの原発ゼロでの電力確保を打ち出しており、実現していれば今回の事故はなかった。
 子どもたちの健康診断の時に、放射能の影響を必ず調べる。
エネルギーの地産地消中心に原発ゼロは可能
 本島氏は、再生可能エネルギーの潜在能力や天然ガスに世界が向かっていること、住民と自治体の協働などで、原発ゼロでの電力確保は可能と解明しました。
6つの提言を紹介
 最後に、本島氏は、自然との共生・循環系社会への六つの提言を示しました。
 1、原発の是非を問う国民大運動を展開し国民投票を実施する。そして核エネルギーの研究・開発を推進する。
 2、当面の運転に当たっては、運転停止の命令、施設や運転の改善命令などの行政権をもち、政府から独立した原発運転監視委員会と付属研究機関を設立し、原発の運転を監視、指導して安全運転を図る。
 3、大規模な工場など大口需要の大企業は、自助の責任で電力を確保(自家発電などの開発)する。
 4、全国各地域に分散するわが国固有の自然エネルギーの開発を地方自治体のイニシアチブの下に住民参加による「おらが村のエネルギーはおらが村の自然エネルギー(地産地消)」を推進する。
 5、大工場を中心とした大量生産、大量消費の産業(大工場中心)構造、生活から自然と共生する農林漁業、地場産業を主体とする低エネルギー循環型の産業、生活へ転換させる。
 6、ポツダム政令を基本的に引き継ぐ電気事業法を抜本的に改定し、電力会社による電気事業を改め電力産業を確立して公共事業としての社会的責任を明確にするとともにエネルギーの地産地消を推進する法的財政的体制を確立する。


アメリカ・大企業支配とたたかわず、国民同士いがみあう、橋下手法評価の動き

2012年01月16日 | Weblog
 先日、現在の政治に批判的な方から「思い切って公務員特権を削減してきているのは誰もやれなかったこと、たいしたものだ。このさい、公務員労働者を全部民間したら」という声を聞きました。
 「日本共産党議員は歳費をすべて、党に提出し管理されている」と事実と違うことを信じておられました。
 もっとも、冷静に現実的に考えられている方もいるのですが。

 朝日新聞の1月8日付けで経済評論家の内橋克人氏はつぎのように述べています。
  「米国はじめ国内外の最強の秩序形成者に抵抗する力もなく、生活に追われて政治的な難題に真正面から対峙するゆとりもない。
同時に、精神のバランスを維持するために『うっぶん晴らし政治』を渇望する。政治の混乱を面白がり、自虐的に、極めて反射的に、表面的に評価して、選挙権を行使する。
 大阪市の橋下徹市長の「ハシズム現象」も貧困マジョリティーの心情的瞬発力に支えられている面が大きい。『地方公務員は特別待遇を受けている』とバッシングし、閉塞状況下の欲求不満に応えていくやり方だ」
-政治に対する閉塞感一が国民の方向性を誤らせるということですか。
  「『政治のリーダーシップ不足』と言われるが、民主政治を基盤とする国でのヒーロー待望論ほど異常なものはない。日本古来の「頂点同調主義」『に加え、異議を唱える者を排除する『熱狂的等質化現象』が1体となる。『うっぷん晴らし政治』の渇望を満たそうとすれば、1930年代の政治が繰り返される。グローバリズムが生み出した『貧困ファシズム』の培地となりかねない」
 
 民間労働者はじめ庶民のくらしを破壊しているのは、アメリカの支配や人減らし、大減税でため込んでいる大企業です。
 その大きな支配と一点共同でもよいから、いっしょにたたかう行動と力を持つためにも日本共産党を強く大きくすることが今大事だと感じたのです。

変化の中での司馬遼太郎氏をきっかけに歴史を考える。原田敬一氏の本

2012年01月16日 | Weblog

 司馬遼太郎氏は、日清戦争・日露戦争への戦争勢力へのあまい評価を残しつつ、原田氏は司馬遼太郎氏の歴史への見方を生涯の変化の中でとらえようとしています。
 それと、司馬遼太郎氏の歴史観は、日本人全体の中にもある弱点を代表しているとの視点に立っています。
 以前にNHKで司馬遼太郎を語る数人の討論番組がありましたが、その中で「井上ひさし」氏が、司馬遼太郎氏を侵略戦争美化の人物としては、見ておらずたしか「たいへんな恥ずかしがり屋で、『坂の上の雲』以後の発言にも注目すべきだ」という主旨の発言をされていました。当時は、違和感があったのですが、この本を読み、司馬遼太郎氏の厳密さに欠けたあいましさとともに、晩年の平和への希求の思いも知ることができました。
 司馬史観なるものを乗り越える日本人の歴史観の発展が望まれるのではないでしょうか。
 私は、最初は司馬遼太郎氏の上から見下すような考え方が、嫌いです。
 一方、原田氏は、ちょっと行きすぎという気がしないわけではないのですが、司馬遼太郎氏の言いたかったことを一定の根拠のもとに、こうではなかったかと解説する手法もとっています。
 この本の「坂の上の雲」をめぐる批判という思いから読み始めたのですが、途中から、司馬遼太郎氏の考えと歴史の真実という対比として読むと言うより、日本の近現代史の真実はどうであったのか、そこから何を学び、現代に生かすのかという読み方をするようになりました。
 この面からこの本をとらえると、事実が前後にわたる場合もあるのですが、それだけに、新たな問題意識を生み出させてくれた、これまでに私が読んだことのない種類の歴史書といえます。たとえば、当時の、日本の支配を拝辞できなかった朝鮮王朝と民衆との関係、台湾の独立運動とその歴史的評価、日本の権力批判ジャーナリズムへの日本人の関心の低さ、東京裁判の2面性、大院君と高宗との対立と明成皇后との関係、「憲法にも法律にも基づかない、御前会議」で最高決定がなされてきた日本の仕組みなどなどです。
 おすすめです。
 

一宮海岸浸食防止にサンドバイパス工法提案・・・町長と県自然保護連合が懇談

2012年01月14日 | Weblog

 今日の「赤旗」に出ていた記事です。
 一宮海岸の浸食は激しく、私が行ってみても、10年くらい前歩けた道がなくなっている状態です。一方、サーフィンの盛んな町で、最近ではサーフィン目当てで中年の方も転居されてくるような状態です。
 記事を紹介します。

  千葉・一宮町 千葉県自然保護連合(牛野くみ子代表)は13日、九十九里浜の砂浜浸食対策で県がコンクリート製人工岬「ヘッドランド」の建設をすすめようとしている問題で、玉川孫一郎一宮町長と懇談しました。日本共産党の丸山慎一県議、あきば博敏町議が同席しました。
 県は、九十九里浜全域に22基のヘッドランドの建設を計画。一宮海岸(南九十九里浜)では10基が建設中ですが、工事によって浸食が収まるどころか加速しています。
 懇談で、参加者は「地元は工事方法の見直しを求めている。堆積した土砂を浸食箇所に投入するサンドバイパス工法がベストではないか」と話しました。
 玉川町長は理解を示した上で「財政と人員をかけて砂浜の浸食を防ぎ、自然の景観を保全し砂浜が戻ってくる方法をつくってほしい」と述べました。’
 一宮海岸は日本のサーフィンの人気スポットになっています。ヘッドランド工事がすすむにつれて、良質の波が失われ、逆に離岸流が発生して安全が脅かされる事態となっています。
 危機感を抱いたサーファーたちが「一宮の海岸環境を考える会」を立ち上げ、約4万4000人の署名を集め県知事に提出。その結果、工事は一時休止し、官民協議会「一宮の魅力ある海岸づくり会議」が発足しています。 懇談には、地元サーファーも参加しました。

思い出させてくれた「国鉄労働組合歌」

2012年01月12日 | Weblog

 国鉄・私鉄のうたごえ祭典2011大音楽会と1974年の「国鉄のうたごえ20周年記念」のレコードからのCDです。
 当時の国鉄の分割民営化の中で、国労・全労働組合への差別的不当解雇とのたたかいの中での思いが詰まった演奏です。
 技術的には、今ひとつという感じもしますが、こんなに仕事に誇りを持ち、大事にしている人たちの思いが溢れて胸を打ちます。
 夫を支え続けた女性たちの声がすばらしいです。
突然、国鉄労働組合歌が、流れ「あれっ」と思いました。
 40年前、私が知ったうたごえをリードされていたのが、国労の組合員の方で、その時教わったのですが、以来、一度も聞いたり歌ったことがなかった歌でしたが、当時の夢中に走り続けた青春の思いが溢れてきました。
 その頃、教わった方も、また、うたごえをやってらっしゃると聞きました。
 

世界と日本人を知る、日本共産党の存在意義を確認する

2012年01月11日 | Weblog

 加藤周一『羊の歌』余聞 鷲巣力=編 ちくま文庫880円
 は、「自伝的性格を帯びる著作や対談・講演」です編者解説。・・しかし、内容は多面的に世界を語っています。
 加藤氏は、戦後すぐの時代では、率直に戦闘的に語っていてすがすがしい文章です。
この本での、晩年に近い段階での、文章は、基本を曲げてはいませんが、わかりやすさに配慮していることや、ふっと力がぬけるようなやわらかさも感じます。
 加藤氏自身の認識の発展や主張の仕方の配慮があるのかもしれませんが、ますます好きな人物になりました。
 1990年代から2006年までのものですから、その発展が感じられました。
 ただ、一番最後に、1972年1月の「私の立場さしあたり」は、当時の仮借のない立場でかかれており、他とはすこしちがうようです。
 私は、氏のマルクス主義への評価にずっと注目していますが、(日本共産党の科学的社会主義の路線と歴史に直接ふれるのはすくないように思いますが)
 「人は常に、合理的に基礎づけることの出来ない信念から出発するのである。その信念は、おそらく、歴史的、社会的、生理的、心理的諸条件の複雑な相互作用からうまれてものである。たとえていえば、多くの変数を含む関数のようなものである、関数の形は分からない」と氏の立場を語り「(マルクスやフロイトは、変数を一つに絞って、関数の形を定めようとした人たちである」とのべています。
 日本共産党の史的唯物論の立場は、自然の法則性とともに、人間の歴史の発展の法則性を認めています。一人の信念はいろいろであっても、人間全体としては存在が意識を決定すること。人間自身が自覚して社会をすすめる力になることを認めています。
 わたしは、加藤氏が「9条の会」や「京都見立て会」など、観察者から変革の立場へ発展していったのではないかと思うのですが。
 
 だいぶ前ですが、有る集まりで有力者と軍事力のあり方にあついて論争になったことがあります。その時、別の方が「おたがい日本人なんだから、論争はやめたほうが良い」と言われ、中断しました。そのまま、議論がすすめば、なかなかおもしろかったと思うのですが。それで、止まってしまいました。
 加藤氏はこの本の中で日本型ナショナリズムについて語っています。民族でも国家主義とでも訳せないものとして解明されています。
 日本人について「参加意識じゃなくて自然ナショナリズムだとおもう」「同質的な共同意識です」「銭湯のようなものですね。お湯につかっているナショナリズム」加藤氏は、「日本文化における時間と空間」の中で詳しく述べています。

科学的社会主義の理論について加藤氏は「70年代にベルリーン自由大学に行った時に、私が驚いたことの一つは、ドイツでは長い空白があったということです。
 彼らはマルクスを全然知らない。共産党系の文献も知らないで、新マルクス主義みたいなものが流行に流行った。・・・世の中の出来事を全体として一括理解するためには、何らかの知的枠組みが必要です。マルクスを忘れてその代わりを見つけることは、今のところ難しいようですね。」と語っています。
 日本共産党が、マルクルをその発展の中でとらえるとして、現代に適用する理論的発展を続けている一方、諸外国での理論的な発展が感じられないのは、こうした背景もあるのかもしれないと思ったのですが。  


 私にとって加藤周一氏は、広い世界へ目を開かせてくれた方であるとともに、その違いも含めて、日本共産党の存在異議を確認できる大きな存在でもあり、自らの小ささを知ることが出来る方でもあります。
 
 ただ、私は、観察者ではなく、変革者でありたいと思っています。