戦死率91.02%のルソン島での戦争から生還した、金井栄一郎さんの本です。
いかにむちゃくちゃな作戦だったかがよく分かります。
沈没させられルソン島に船で到着出来るのは45%という軍のひどい作戦。
金井氏は、御宿の裕福な家に生まれ、スポーツも頭脳も抜群、その上、肝も据わっており、その上二枚目と来ており、御宿の砂丘を利用したスキーの夏場の練習地であったことから、日本スキー界の草分けとも言える方です。
どんなときでも、打開策を見つけ出し、上官の不正に怒る正義感の持ち主です。 陸軍主計少尉として食料調達にその才能を発揮しますが、最後は、ゴキブリをふりかけにして食べ、南方春菊でいのちをつなぎ赤痢で死んでいく。
戦闘で死ぬのではなく、ほとんど餓死であったことが分かります。日本軍指導部の作戦のひどさが分かります。
帰還の船の中で「強運だった」と言う金井氏に、同船していた一人が「高級軍人は一人残らず生きているじゃないか、そんなヤツらがけろりとして生き残っている」と怒りをあらわにします。
戦場で、人情厚かった兵隊が戦後訪ねてきて、歓待するが金品を盗んで逃げられるます。
軍歌に「さらばラバウルよまた来るまでは・・・」という歌詞があります。しかし、金井氏の帰還船では、「さらばルソンよ もうくるものか 二度と来ませんぬ 孫子の代までも」と大合唱されます。
しかし、金井氏は、事業を成功させ、戦後何度も訪れます。歩くのも不自由な老人が金井氏に「しかし、あなたは生きている」とぽつりと言います。
戦場で負傷した金井氏を親身に看護し、生き抜こうと約束した女性と戦後再会します。中学校の先生と結婚されていました。
平成の合併の押しつけに反対する、住民運動に参加されたという事を聞き、その正義感が、終始変わらなかったのだと実感しました。
御宿町は私の睦沢町のすぐ近くの町です。