以前に法律相談に来られて、知り合いの弁護士さんを紹介して差し上げた、方からお礼があり、とても親切な弁護士さんで、解決しましたとのこと。よかったと一安心。今回も参議院選挙での比例日本共産党と選挙区浅野ふみ子応援していただけるとのことでした。
小澤征爾氏は「日本人に西洋音楽を完全に理解できるか?」というテーマをかけているような気がします。この本は、1962年彼が世界に進出するころの思いを書いています。かなり、はっきり音楽の現状を指摘している。小澤征爾氏のドキュメント・本は面白い。外国の指揮者コンクール試験がすごい、初見のスコアーを5分見て、指揮をする。60人編成に12カ所間違って演奏をさせ指摘させる。氏は、桐朋学園の斉藤秀雄先生の基礎的な訓練があったからと言っている。萩元晴彦氏は「彼は天才ではない」と言っている。個性的に育てる家風があったと行っている。チロル地方の地域人たちのミサ曲を聞いて「問題は音楽をする人の心にあり、技術の上手下手ではない。その心が人を打つのだ」と書いている。「うたごえ運動」の創始者関 鑑子氏も技術とともに心が大事と言っている。
「私が教えている事が真実かどうか、自分でも確信が持てない」この言葉は、私のその後の「事実を多面的に見る」という、人生観へ大きな影響を与えた高校時代の恩師谷岡健治先生の一言でした。
先生の父親は、戦前北海道特高刑事部長であったことは聞いていましたが、先日お会いしたときに、父親が1933年4月に相沢良・唐澤とし子さんを逮捕した「突撃隊」であったことを初めて知りました。
そのことを、「治安維持法と現代」2016夏季号の特別取材に答えています。
一方、「相沢良の青春」山岸一章著では、相沢良が医者になりたかったこと、獄中からトルストイの「戦争と平和」ウエルズの「生命の科学」の差し入れを求めるなど知的な女性であったことや、激しい拷問により、肺壊疽を発病出獄後7日目に亡くなったと書いています。
谷岡先生の父親は、貧乏な小作農で、日本共産党弾圧の経験をかわれて、特高警察になっていく経過や戦後は反省の気持ちから警察との関係はいっさいもたず、「共産党の人は筋道の通った道理のあることを言う人たち」と語っていたと、答えています。
谷岡先生は、特高警察の息子ということで逆にいやな思いをしたと私に答えてくれました。そして戦後反省なく戦犯たちが政治の中枢に君臨してきたこと。「あの時代を2度と繰り返してはならない」と答えています。
昨日は、高校卒業以来のクラス仲間2人と合いましたが、全く違和感がなく話が弾みました、不思議ですね。お二人ともしっかりと生きてこられお話も聞き、すいぶんと勉強になりました。日本共産党へのいろいろ意見もお聞きしましたが、「やはりまともなのは共産党だけ」と激励されて期待の大きさを感じました。
今日は、東金市で斉藤和子衆院議員を招いて、参議院千葉選挙区予定候補の浅野ふみ子さん、衆院千葉11区予定候補の椎名史明さんの演説会でした。浅野さんは、これまで国政へ7回挑戦、7転八起でなんとしても参議院へと、決意を述べ盛り上がりました
浅野さんが、沖縄元海兵隊の死体遺棄に触れたとき、3人のお子さんの事がよぎったのか、一瞬言葉が詰っていました。米軍基地の撤去しかありません。
市民・国民が自ら自主的自覚的に立ち上がり、政治を変えつつあります。
なんと、一人区9割で統一候補、あと、4つ安倍政治ひっくり返す、力に。
睦沢町の酪農家中村種良さんが「赤旗」で、酪農家つぶしの政府のやり方を批判しています。
睦沢町の酪農家は、現状でも酪農経営がきびしくなり、酪農家が減ってきています。その上TPPとなれば、まさに壊滅状態になります。政府のやり方は、されに追い打ちをかけるものです。
睦沢町では、堆肥と籾殻を利用した「むつざわ米」のブランド化を行っており、この面でも深刻な打撃を受けます。
「赤旗」記事より
安倍晋三内閣の規制改革会議の農業ワーキンググループは、酪農家が毎日搾乳する生乳の「指定生乳生産者団体制度」の廃止を提言し、6月に答申する予定です。同制度は、生乳の安定供給に役割を発揮しています。今なぜ廃止なのか。酪農の現場では「廃止の理由はない。TPPの条件づくりしか考えられない」との声があかっています。(中沢睦夫)
国内には損
「国内ではメリットになるところはどこもない。酪農家、乳業メー力も安定しなくなり困る」。千葉県睦沢町で35頭の搾乳牛を経営する中村種良さん(64)は、指定団体制度の廃止を打ち出した規制改革会議の提言を批判します。
酪農家が毎日搾乳する牛のミルク(「生乳」)を乳業メーカーなどが殺菌処理し、牛乳などの飲用、チーズ、バター・脱脂粉乳などの乳製品に加工します。
全国10地域の指定団体は、酪農家から効率よく集め、乳牛メーカと調整して″多元販売”をします。酪農家を代表して、地域ごとに生乳の価格交渉をしています。
指定団体制度が廃止されると、需給が不安定になり、酪農家・団体が個別に価格交渉をすることになります。
「いまでも価格交渉は乳業メーカー主導だ。指定団体廃止でいっそう買いたたかれ酪農家が減ると、生乳を集めるのが困難になる。消費者も新鮮な地域の牛乳が飲めなくなる」と中村さんは話します。
今回の提言は、″廃止理由”として、指定団体制度が”消費者ニーズに十分こたえられず、酪農家の「所得向上」意欲を抑えている”といいます。また、″「数量管理」が経営規模拡大の障害だ””オーガニック牛乳などブランド化への意欲がわきにくい″などとしています。
中村さんは、あきれ顔で語ります。「ブランド化は、今もやっていることだ。規模拡大をする酪農仲間もいるし、牛乳・乳製品も売れるならどんな商品でもつくれる。廃止理由はみんなこじつけ。所得向上などというが、アペノミクス(安倍内閣の経済政策)のせいでエサ代が高騰し、ここ3年は赤字じゃないか」指定団体制度について中村さんは「地域に分けて価格交渉力など回題があるけど、それは自主的に改善するものだ。今回はTPP(環太平洋連携協定)がらみ、官邸によるクーデター的やり方だ」と語ります。
輸入に邪魔
「提言」は、「他の販売ルートとの間のイコールフッティング(同等の条件)確保を前提とした競争条件を整備」といい、指定団体への乳製品補給金を「制度面の制約」として制度廃止を打ち出しています。〃内外無差別”を掲げるTPPにそったものです。
農民連の真嶋良孝副会長(国際部長)は「TPPの受け入れ条件づくりが狙いだ」と話します。
TPPでは乳製品輸入が拡大し、発効後7年目にはアメリカ、ニューージーランドなど乳製品輸出国との「関税撤廃の再協議」が盛り込まれています。「指定団体制度は、輸入体制にじゃまだということだ。北海道の乳製品が打撃となり、北海道の生乳は都府県に回り、全国で壊滅的打撃を受ける」と指摘します。
北海道の酪農地帯、厚岸町で放牧中心に「マイペース酪農」をおこない、一部生乳でチーズづくりもする石沢元勝さん(67)は、酪農家の集まり「釧根地区協議会」の議長も務めます。
石沢さんは「指定団体がなくなると、酪農家は買いたたかれる。都府県でも酪農があり、地域の新鮮な牛乳を飲めるようにするのが一番よいことだ。規制改革会議の提言は、TPP批准阻止として共同でたたかう必要がある」と語りまず。
指定生乳生産者団体制度
酪農家から委託を受け、搾乳した生乳(せいにゅう)を「一元集荷・多元販売」します。生乳の95%以上の販売となります。生産計画をつくり需給調整し、乳業メーカーと価格交渉します。指定団体に委託した乳製品分は政府補給金の対象になっています。
一方、補給金はないものの、自らの経営判断で指定団体に委託販売しない酪農家や団体もあります。委託している酪農家も、1日3トン(搾乳牛100頭分)まで牛乳・乳製品にして自ら販売ができます。
地元のお寺の役員になり、今日は、天台宗近隣7部会の総会の準備のお手伝いでした。総会の後、天台宗の住職の講話がありました。人の悩み・苦しみは欲望をコントロールできないところにあるというようなお話でした。私は、苦しみや悩みは、時代とその人の置かれている状況の反映と考えますが、世俗的な悩みや欲望に流されない生き方を求める、また、進歩した未来社会においても、死など避けられない苦しみへの心の平穏という意味で、宗教の役割もあるのではと思いました。
昨日は、睦沢町・長生村の「新日本婦人の会」20数名のみなさんと一緒に、福島県広野・楢葉・富岡町の原発事故の現在の状況を現地の原発被害訴訟団の工藤さんの案内で視察してきました。
原発関連予算で立てられた、道の駅として利用できななった看板のむなしさ、廃墟と化した豪華な公共施設や学校、当時そのままの「アトム」という元お寿司屋さん、地元の方は、「帰っても良いと言われても生業と家族がばらばらで、とても復興とはいえない」と苦しい胸の内を話されていました。
観光で名高い桜並木の木は、途中までの除染の状況がくっきり。
オバマ大統領の広島訪問は一歩前進、これを機に、核兵器廃絶・禁止の方向へ足を踏み出すことが重要。日本政府の核兵器禁止の国際交渉を求める決議案20年連続「棄権」の姿勢を改めるべき。
私の出身地北海道にある小林多喜二の記念碑を訪れました。戦前のプロレタリア作家として、反戦平和を訴えたがために、警察によって拷問死したのですが、文学碑の入り口には、「小樽グリーンラオイオンズクラブ」による案内板、宿泊先の図書には小林多喜二関連の図書はじめ、あちこちに多喜二の軌跡があります。
松本清張のファンだという事を知ってらっしゃる、友人から松本清張記念館図録を渡されました。
時代を描くエンターテナー
犯罪そのものの解明よりも、そこに至った時代・人々の暮らしを描ききる、それ以降の作家に、私の範囲では知りません。
なぜか、小笠原賢二氏は「家はたいへん貧しく、父母と仲は悪く、絶えず衝突した。・・・父は・・・次々と仕事を変えたが、どれも長続きしない。・・・みじめな思いもした。」
「単なる趣味や道楽の次元を超えた、生活の現実に根ざした読書スタイルだった・・・・文学青年的なそれよりもむしろ切実だったといえるだろう。」と書いています。何かを書きたいと言うより、生活を支えることから、時代を見つめる視点が生まれたのでしょう。太宰治とは真逆と言ってよい環境だったと思います。
以前、見たことがある「ドキュメンタリードラマ 高村薫・佐木隆三 往復書簡『清張を巡る対話』」のなかで、たしか佐木隆三氏が「或る小倉日記伝」をとりあげ「実在の人物を取り上げておいて、事実とことなるストーリーにしていることは絶対に許せない」と往復書簡を一方的に取りやめ、高村薫氏が「納得がいかない」と語って、番組は終わりました。
人生を考えさせる
私は「或小倉日記伝」から、主人公の生き方は無意味だったかのように描いているが、社会的評価は失せたかもしれないが、松本清張は、事実探求に生きたという人生は意味があった言いたいのだろうと思っています」
この図録を読んで、松本清張の生きるという事と一体となった、小説への姿勢と事実は曲げたのだが、真実は語っているのではないかと思うのです。
ドラマ以後、評価できませんでしたが、今回の図録を読んで、ここまで、体を張って描く作家は小林多喜二は先輩と存在しましたが、これから生まれるのだろうかという事も思いました。
生まれるとしたら、エンターテナーとしてのテクニックとともに、世界と日本社会の根本を真正面から見つめた、視点にたった作家からうまれるだろうと思うのです。
松本清張の軍隊生活について「軍隊生活は不自由に違いなかったが、最も気掛かりだった家族の生活保障がなされた事は大きな安心だった」とある、農家の大黒柱を失った家族の悲惨な状況とは違い、松本清張にとってはこうだったのでしょう。「「新兵は平等で貧富も年齢差もなかった、ここの働きが評価されたことに「奇妙な新鮮さ」さえ覚えた。」 今、貧困格差が広がり、差別と貧困の仲で自己否定の若者が、軍隊の中で「奇妙な新鮮さ」を覚え、殺し殺される環境に飛び込む恐ろしさを、松本清張自身の率直な言葉から感じるのです。
政治参画が抜けている
ただ、松本清張の政治への行動については触れておりません。
「創価学会・公明党による日本共産党の批判をかわそうとする術策」(日本共産党の80年)であったとしても、松本清張が仲介となった「共創協定」締結の「ファシズムを出現を防ぐ」と言う合意内容は、一方の側の真逆な今日的あり方に対し、住民の自主的・自覚的要望に応えた日本共産党の市民と野党5党合意と発展の中で生きているのではないでしょうか。
松本清張のファンだという事を知ってらっしゃる、友人から松本清張記念館図録を渡されました。
時代を描くエンターテナー
犯罪そのものの解明よりも、そこに至った時代・人々の暮らしを描ききる、それ以降の作家に、私の範囲では知りません。
なぜか、小笠原賢二氏は「家はたいへん貧しく、父母と仲は悪く、絶えず衝突した。・・・父は・・・次々と仕事を変えたが、どれも長続きしない。・・・みじめな思いもした。」
「単なる趣味や道楽の次元を超えた、生活の現実に根ざした読書スタイルだった・・・・文学青年的なそれよりもむしろ切実だったといえるだろう。」と書いています。何かを書きたいと言うより、生活を支えることから、時代を見つめる視点が生まれたのでしょう。太宰治とは真逆と言ってよい環境だったと思います。
以前、見たことがある「ドキュメンタリードラマ 高村薫・佐木隆三 往復書簡『清張を巡る対話』」のなかで、たしか佐木隆三氏が「或る小倉日記伝」をとりあげ「実在の人物を取り上げておいて、事実とことなるストーリーにしていることは絶対に許せない」と往復書簡を一方的に取りやめ、高村薫氏が「納得がいかない」と語って、番組は終わりました。
人生を考えさせる
私は「或小倉日記伝」から、主人公の生き方は無意味だったかのように描いているが、社会的評価は失せたかもしれないが、松本清張は、事実探求に生きたという人生は意味があった言いたいのだろうと思っています」
この図録を読んで、松本清張の生きるという事と一体となった、小説への姿勢と事実は曲げたのだが、真実は語っているのではないかと思うのです。
ドラマ以後、評価できませんでしたが、今回の図録を読んで、ここまで、体を張って描く作家は小林多喜二は先輩と存在しましたが、これから生まれるのだろうかという事も思いました。
生まれるとしたら、エンターテナーとしてのテクニックとともに、世界と日本社会の根本を真正面から見つめた、視点にたった作家からうまれるだろうと思うのです。
松本清張の軍隊生活について「軍隊生活は不自由に違いなかったが、最も気掛かりだった家族の生活保障がなされた事は大きな安心だった」とある、農家の大黒柱を失った家族の悲惨な状況とは違い、松本清張にとってはこうだったのでしょう。「「新兵は平等で貧富も年齢差もなかった、ここの働きが評価されたことに「奇妙な新鮮さ」さえ覚えた。」 今、貧困格差が広がり、差別と貧困の仲で自己否定の若者が、軍隊の中で「奇妙な新鮮さ」を覚え、殺し殺される環境に飛び込む恐ろしさを、松本清張自身の率直な言葉から感じるのです。
政治参画が抜けている
ただ、松本清張の政治への行動については触れておりません。
「創価学会・公明党による日本共産党の批判をかわそうとする術策」(日本共産党の80年)であったとしても、松本清張が仲介となった「共創協定」締結の「ファシズムを出現を防ぐ」と言う合意内容は、一方の側の真逆な今日的あり方に対し、住民の自主的・自覚的要望に応えた日本共産党の市民と野党5党合意と発展の中で生きているのではないでしょうか。
大多喜高校吹奏楽部第15回定期演奏会良かった。
高校生のよろこび・悩み・思いやり・そして何よりも希望があふれ出ていました。
音楽ってすばらしい、楽器で語り合えるってすばらしいことを教えてくれました。
クラッシックから、ミージカル・ポップス・演歌まで、幅広い実力が感じられました。
吹奏楽部だけではなく、他の部活のみなさんの友情そして、会場を巻き込んだ情熱は、未来を感じさせてくれる演奏会だったです。