一読に値する、横井久美子さんの笠木透氏への追悼文
横井久美子さんは、笠木透氏の死去に際し「命のはかなさに愕然とし、同時に、命尽きるまで「文化で闘った」笠木さんに習って、私も残された命を精力的に全うしたいと考えました。」と「おいで一緒にinくにたち」の再開を宣言しました。
横井さんと笠木さんの人間としての信頼と闘いのつながりの中での「横井さんだからこその追悼だと感じました。」昨年のお二人のコンサートは、音楽だからこそ、音楽を超えた人間愛の感動でした。死を覚悟していただろう笠木さんが突然「久美子愛してるぞ」だと思いますが、叫んだその時、芸術家として平和を求める行動する人間としての、広大な「愛」を感じ、心が震えました。
今日の「赤旗」に横井久美子さんが、笠木透氏の人となり、そして、追悼コンサート案内を書かれています。
笠木透氏を知る、大事な記事となっています。そして、私の友人「いわき雑魚塾」も笠木氏の意志を受け継ぎ歌っていることを紹介したいと思います。
「赤旗」記事より
社会の不正義に
文化でたたかう
横井 久美子
笠木透さんが昨年12月22日に77歳で、直腸がんで亡くなられた。笠木さんは優れた詩人であり歌手であり、社会の不正義に対して、「文化で闘おう」と、先頭に立って人々の心を動かし続けた稀有の人たった。叙情性と社会性が見事に融合し
た歌は、人々の心にしみわたりいつまでも歌われ続けた。亡くなる直前まで精力的に創作活動をされ、最後のCDブックNO8は、平和を積み重ねてきたわが国を思う『平和の暦』たった。
笠木さんは、1969年から3年間、野外フェスの先駆けである「中津川フォークジャンボリーを開催した。その後、71年「我夢土下座(カムトゲザ=COMETOGETHER)」、85年フォークス」、94年「雑花塾」を主宰し、全国津々浦々で野に生きる
人々とコンサートを行ってきた。また、KBS(京都放送)、東海ラジオ、岐阜放送のパーソナティーなどもつとめ、2006年からは「憲法フォークジャンボリー」を提唱し、全国各地での開催を呼びかけていた。
私は72年に笠木さんと出会って以来、笠木さんの初期の代表作「わが大地の歌」「私に人生といえるものがあるなら」などを歌わせていただいた。
2014年7月11]日、「秘密保護法廃止・原発ゼロに」のサブタイトルで「横井久美子×笠木透コンサート」を企画した。笠木さんは病気の体をおして東京まで来てくださって、つえを突きながら満身の力で歌われた。ユーモアたっぷりの語り□で笑わせながらもその妖気漂う迫力に満席の会場は地響きのような拍手で応えた。私自身もしばらく口にできないような深い感動を覚えた。
筋肉が衰えたと言われるその声と表現力はかつて聞いたことのないような胸を打つ歌だった。
それから5ヵ月、笠木さんは最後まで「文化で闘って」天命を全うされた。4月4日に地元中津川文化会館での「お別れコンサート」をはじめ、今まで笠木さんが「名もなき人よ歌え歌え」と呼びかけたその活動を物語るように、全国各地で追悼コンサートが行われている。
5月16日の追悼コンサートもその一つである。笠木さんとともに闘った「雑花塾」はもちろん、すでに日本の津々浦々に笠木さんの蒔いた種から 「野の花」が咲きはじめている。
(よこい・くみこ シンガー・ソングライター)
*笠木透追悼コンサート 5月16日(土)午後3時、東京・アールズアートコート(労音大久保会館)。出演=橋本のぶよ、きたがわてつ、雑花塾、横井久美子、高石ともや。
3800円。問い合わせ 03(3200)4030センタープロ