小諸 布引便り

信州の大自然に囲まれて、風を感じ、枝を眺めて、徒然に、社会戯評する日帰り温泉の湯治客です。愛犬の介護が終了しました。

我が老犬は、この夏を越せるだろうか?どんどん、弱ってゆく:

2013年06月09日 | 動物・ペット
我が老犬は、この夏を越せるだろうか?どんどん、弱ってゆく:
「命の灯火」が、あるとしたら、きっと、我が老犬のそれは、次第に、弱々しく、まるで、手の平の上に載せた砂が、その指の間から、少しづつ、サラサラと落ちて行くように思われてならない。それは、丁度、砂時計の砂が、なくなるように、「命の灯火」が、尽きてしまうかのようである。もう右の後ろ脚は、自分の意思で、前に運ぶことが出来ず、おしりをぺったんことばかりに、地面につけてしまい、動こうともしなくなってしまう。朝食べたものを、最近では、何度か、戻して吐き出したり、「生きるエネルギー」が、枯渇してきたのか、寝るときにも、脚を投げ出して、首も横たえるようにして寝るようになってしまった。聞くところによれば、家で、放し飼いにされている犬は、死期を悟ると、何処か遠いところへ、一人で行ってしまい、自分の死ぬところを見せないそうである。我が老犬も、頭がよい犬だから、きっと、死期を悟り始めているのかも知れない。食事も少なくなってきたので、ウンチも、3分の1位になってしまった。お水を飲むのも、やっと、立って歩くのが、精一杯で、食事も、やっと、立ってするのが、せいぜいであるようになってしまった。鼻筋から、頬を撫でて上げても、ペロペロ舐め返すこともなくなってしまった。ひたすら、眠るかの如く、スヤスヤと安らかな顔で、寝むり続けている。父方の祖母が、亡くなる前に、まるで、花が枯れるように、徐々に、「生きるエネルギー」が消え失せて、眠るように、老衰で、逝ってしまったが、我が老犬も、この夏を越せるだろうか?一ヶ月前とは、随分と違って、弱々しくなってきた。まるで、「死期を悟った犬」のようである。そして、我が老犬に、「最期を如何にして迎えるか?」を教えて貰っているようである。「きっと、疲れたんだろうね。ゆっくり、おやすみなさい。でも、明日の朝は、起きるんだよ!」と、、、、、、。