小諸 布引便り

信州の大自然に囲まれて、風を感じ、枝を眺めて、徒然に、社会戯評する日帰り温泉の湯治客です。愛犬の介護が終了しました。

「不作為」と言う言葉の響き

2015年11月13日 | 社会戯評

「不作為」と言う言葉の響き:

日本語という言葉は、如何にも、便利な言葉である。そえは、あるときは、漢字で表現されることもあるし、又、あるときには、とりわけ、感情を表現するときには、大和言葉などで、意味深長な言い回しを行われて、一体、この意味は、漢字にしても、どんな意味で、英語に翻訳されるのであろうかと、考えてしまうし、恐らく、同時通訳のような職業では、即座に、どんな意味に、飜訳してしまうのであろうかとも、想像してしまう。年金の不正受給とか、更には、この事態が、把握されることなく、いつの間にやら、請求時効が成立してしまっている金額ですら、実態が、実に曖昧になっていて、情報公開でも、やっと、その累積金額が、把握されているのみで、その回収に向けての方策が、どのようになされ、何故、為されなかったのかという分析は、どうやら、お蔵入りの様相である。してみると、一体、この「不作為」なる無責任な行為は、どうように、判断したら良いのであろうか?このまま、何もやらなければ、どうなるかという結果が、認識・予測されるにも関わらず、放置するという行為は、何処が、無責任と異にするのであろうか?それに伴って、無駄な税金が失われてしまうのでは、たまったモノではない。どのように、組織として、対応できるシステムを構築すると共に、構成員に対する意識改革を行うのであろうか?