小諸 布引便り

信州の大自然に囲まれて、風を感じ、枝を眺めて、徒然に、社会戯評する日帰り温泉の湯治客です。愛犬の介護が終了しました。

藤子・F・不二雄展を訪ねる:

2015年10月03日 | イベント 祭 催し

藤子・F・不二雄展を訪ねる:

川崎市にある藤子・F・不二雄ミュージアムには、一度行ってみたいと思っているが、小さな子供もいないので、まだ、行けていないのは、残念である。そこで、上田市にあるサントミューゼ 上田市立美術館で11月9日まで、開催されている生誕80周年記念、藤子・F・不二雄展を訪ねることにしてみた。僕らの世代は、トキワ荘時代の著名な漫画家、手塚治や、二人の藤子不二雄や赤塚不二夫、石ノ森章太郎らが、世に出て行くきっかけになった少年サンデーなどの漫画週刊誌が、発刊された頃に、初期の作品に触れて育った世代である。従って、後の長編大作などは、逆に、リアルタイムで、読んだ記憶があまりない。美術館の一階には、沢山のドラえもんが、様々な魔法の道具をもって、出迎えてくれている。例えば、これを被ると人の眼には見えない、「透明マント」とか、ひとつひとつ、説明を読みながら、思わず、クスッと、笑ってしまう。何とも、童心に戻ってしまう奇妙な感覚である。確かに、お腹のポケットから、次々とこんなものがでてきたら、さぞかし、子供達は、喜んでしまうであろうし、何でも難問を解答してしまうというコンピューターのペンなどに至っては、今日の人工知能を彷彿とさせるようなアイディアであって、実に愉しいものである。SFとは、サイエンス・フィクションではなくて、「少し不思議」なのだそうである。それでも、しっかり、藤本の執筆に使用し、そこで、最期を迎えた机のおいてある書斎には、ニュートンなどの科学雑誌や、膨大な科学的根拠を丹念に調査した本や資料が、書庫に積み上げられていることが判る。手塚の影響力は、大きくて、トキワ荘時代のみならず、そもそも、漫画家として、世に出るきっかけの手紙などが、送られることがなかったならば、ひょっとして、藤本と我孫子(藤子不二雄A)とは、世に出ていなかったかと思うと、不異議な出逢いと縁なのかもしれない。それにしても、子供の頃の虐めの影響が、ドラえもんのキャラクターにも、反映されていたり、しずかちゃんや他の少女のキャラクターにも、或いは、動物達のキャラクターにも、彼の人生哲学・世界観が反映されていて、改めて、そのひとつひとつの原画を眺めると、実に、面白い。漫画を目指す若い人ばかりか、イラストレーター志望者にも、とても、勉強になるのではないかと、門外漢の私にも、そのように感じられてならない。それにしても、少年時代の手造り作品である「少太陽」などは、少年の頃の有り余る創作意欲が、これでもか、これでもかと、旧い紙面のその一字一字に、或いは、一枚一枚のページに溢れんばかりである。藤本や我孫子の原点とは、まさに、ここから、始まっていたのであろう。長編、「のび太の恐竜」等には、アダムソンの「野生のエルザ」の本が、色濃く、その作品の哲学には、反映されていたと云うことも改めて知らされる。そう言えば、「野生のエルザ」を読んだのは、私が、まだ、中学1年の夏頃だったから、そのライオンを野生に戻すという実話を、恐竜の卵の化石をその時代に、戻すという発想であったのであろうか?そう考えるとなかなか、読み方も、変わってくるモノである。最期に、我孫子のブラックユーモアもそうであるが、藤本のSF短編作に、触れておかなければならない。「みどりの守り神」とか、「ミノタウロスの皿」ほか、様々な作品が、モノクロの表紙で、壁一面に貼られている。ひとつひとつの作品に、込められた藤本の「青年は荒野を目指す」を揶揄したものとか、とにかく、退屈することはない。ここにも、各種の代表作とは別な独自の世界観・作者の哲学観が垣間見られて、大人には、実に、興味深い。一連のSF短編作品ももっと、評価されて然るべきかも知れない。それにしても、昔の不二家提供によるテレビ番組ビデオ上映(おばけのQ太朗とパーマン)は、今日でも、懐かしく感じられるし、又、面白いものである。その声優達の声も、実に、懐かしいものである。入口でのプロジェクション・マッピングも、子供達には、ワクワクさせるものがあるであろうし、「なりきりキャラ広場」での写真撮影も親子連れには、きっと、楽しい記念になるはずである。係の人から、写真を撮りましょうかと云われたが、爺さんが、机の引き出しの中から、顔を出した写真も、今更、必要ないので、やはり、小さな子供達の写真がお似合いであると思われるが、是非、家族連れで、ゆくことをお薦めしたし、或いは、漫画家やイラストを学ぶ若い諸君がじっくり、観ることもお薦めしたいものである。次は、川崎市のミュージアムを訪れたいものである。入口に飾られた藤本愛用のパイプと桃山のきざみ煙草の缶、ベレー帽を被った写真には、何やら、63歳で、逝ってしまった子の天才漫画に、もし、今日、存命していたら、どんな新しい漫画の構想をしたであろうかと、想像させる。それにしても、我孫子には、藤本の分までも、長生きして貰いたいものである。

 



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