三遊亭円丈、『グリコ少年』を聴く:
浅草の六区にある、浅草演芸ホールなどというところは、その昔、母に連れられて、浅草寺にお参りに行くとき、仲店通りを歩いているときに、何やら、お化け屋敷やら、いかがわしい見世物小屋があるから、しっかり、手を握って放さないようにと、言われたことを、どういう訳か、幼い子供心に、残っていたことを想い出す。それにしても、すっかり、通りも、近代的に生まれ変わってしまったものである。外人観光客も、これならば、浅草の仲店通りから、下町情緒を愉しむために、人力車による散策も可能なことであろう。落語は、古典落語も宜しいが、手品や紙切りや曲芸、漫才、漫談も含めた、演芸ものを、ただ、所在なげに、愉しむことも、なかなか、贅沢な半日の過ごし方ではないだろうか?これが、毎日だと、ある意味で、大変なことであろうが、たまには、そんな贅沢な時間の過ごし方があっても良さそうである。今日は、女房殿も伴って、半日、お昼の部を、浅草演芸ホールで、落語鑑賞会の会で、更に、終了後は、久しぶりでの駒形、どぜう鍋をつつくという趣向である。申年生まれの年男だから、この噺家も、72歳になるそうである。同じ昼の部で、出演していた川柳川柳とは、圓生の許で、兄弟弟子の関係で、本人も謂っていたが、前座時代には、意味不明なぬう生という名前であったらしい。それにしても、師匠・弟子という関係の中では、他の出演者もそうであるように、師匠による圧倒的な命名権の専権事項であるが故に、天どんとか、小田原丈などという命名をされた事例があることに、改めて、驚いてしまう。
古典落語とは、ことなり、実験落語家、創作落語というものは、開口一番で、よく使用される、『寿限無』なども、よくよく、古典的な噺を、まさに、その演じる側の口八丁、手八丁で、バイオ・テクノロジーや、スタップ細胞事件や、様々なアップ・デートな話題を絡めることで、全く、新しいバージョン・アップした異次元の新たな落語へと、リメイクされるということは、落語という話芸は、本当に、奥深いし、そこには、一定の先人の著作権を尊重されながらも、自由に、脚色したり、或いは、されることを決して、しかつめらしく、著作権を侵害するななどという野暮ったい台詞を吐くことなく、何か、すべてを『笑いの文化』というオブラートの中で、包み込んでしまうようなそんな大きな『創造的な自由闊達さ』が、あるように、思われるのは、何故なのであろうか?試しに、古典的な『寿限無』も、噺家が、変われば、各人各様の十人十色の噺が、聴かれるのかも知れない。その意味からすれば、まさに、これこそ、『噺』とは、口で、新しく噺を創造し、演じるもので、噺家というものは、それを創造するプロデューサーや演者なのかもしれない。
私は、圓丈よりも、少しばかり、若い世代であるものの、『グリコ少年』に登場する、様々な噺の素材、とりわけ、コーラ、コーヒー、ピザ、砂糖、人工甘味料、給食の脱脂粉乳ミルク、おまけ付きグリコ・キャラメル、森永キャラメル、甘辛・ピリ辛、カバヤ製菓、フルヤ、不二家もペコちゃん、ミルキー、アーモンド・チョコレート、渡辺の粉末ジュースの素、駄菓子屋、サクマのドロップ、サイコロ・キャラメル、等…、どれも、懐かしい食文化の歴史の一コマで有り、又、実は、それは、食文化のみならず、当時の世相や心持ちを表している人生の一場面での宝石にも匹敵するかのようなキーワードのようでもあり、自分たちの『人生そのもの』なのかもしれない。逆説的に謂えば、これらのキーワードを知らない世代には、将来、笑われることのないようなのかも知れない。偉大なキャッチ・コピーとして、大正末期に、使用された、『一粒で300m走れる』というものも、『ミルキーは、お母さんの味』なども、記憶の片隅で、否、実験落語という範疇の中で、まるで、化石のように、時間と共に、永遠に、語り継がれるのであろうか?それとも、古典落語のように、進化しつつ、受け継がれてゆくのであろうか?それにしても、平日の浅草演芸ホールは、団体客とは云え、満席の熱気の中で、程よい距離感の中で、最後には、恒例の節分の豆まきよろしく、グリコ製品を播き散らかして、福のお裾分けとは、実に、嬉しい限りである。終了後に、駒形でのどぜう鍋、どぜう尽くしという定番のコースは、何か、病みつきになりそうである。子供や若い人も、こういう一時を、是非、愉しむことをお薦めしたいものである。固有名詞が忘れがちであると謂うのも、ご愛敬で、健康に留意して貰って、末永く、演じ続けてもらいたいモノである。ドッカン、ドッカン、楽屋裏でも、受けていたことを他の参加者達も、実感されたことであろう。又、機会を改めて、聴きたいものである。少しは、右脳が、果たして、これで、再生されたであろうか?