小諸 布引便り

信州の大自然に囲まれて、風を感じ、枝を眺めて、徒然に、社会戯評する日帰り温泉の湯治客です。愛犬の介護が終了しました。

ケニアの貧困に触れる:

2015年09月12日 | イベント 祭 催し
ケニアの貧困に触れる:
台風が何とか過ぎ去った後の野外でのアフリカン・ドラム、音楽とケニアの貧困の話は、甚だ、寒い中だった。日本人の年寄りは、何でも、元ビジネスマンだから、時間には、いつもうるさい。もっとも、東南アジアやインドでの結婚式の開始時間も、熟知しているので、それでも、そういう場合には、適当に、対応するのであるが、何せ、ここは、日本であるのであるから、午後5時開始と云われれば、少なくとも、20分前くらいには、しっかりと、やってきてしまうものである。しかしながら、そこは、アフリカン・タイムだから、或いは、会場自体が、いつも、スローリーを売り物のオーナーだから、到着しても、受付もなく、仕方なく、ステージ設営とリハーサルをしっかりと、エンジョイさせてもらう機会に恵まれたのは、幸いであった。毎年、一度ほどは、西アフリカのアフリカン・ダンスのイベントを愉しむことになっているが、その激しい、ダンスのエネルギーと太古の台地の響きのようなアフリカン・ドラムと踊りと歌詞の判らぬ歌には、驚かされたり、或いは、エネルギーを貰ったりするものである。何でも、約30年にも亘って、ケニアのキベラ・スラムという百万人にも達しようかと云われる巨大なスラムの中で、MAGOSO スクール(馬糞ではない、マゴソだそうである)という戦争や内戦・貧困によって親を亡くした孤児や難民の子供達に対して、教育や給食を無償で提供している早川さんという女性が、日本各地の支援者との間を行ったり来たりしながら、現地の手縫いの作品やCDなどを販売しながら、資金を捻出して、こうした活動に、充てているそうである。それにしても、YouTubeか何かで、レゲーの曲で、アフリカの子供達を助けて下さいという歌を、大勢の子供達が、歌ったり、躍ったりするのを観たことがあるが、貧困のどん底の中で、このアフリカの子供達は、何故、こんなに、明るい表情で、暮らせるのであろうか?平安時代の日本のやエタや、或いは、江戸時代の女郎屋に身売りさせられた婦女子などでも、こんなに、どこか、DNAの底に、決して、明日の輝きを決して、諦めないような強い生命力に溢れた何ものかを有しているとは考えられないとも、思われてしまう。説明によれば、朝、目を覚ましたときに、今日も、生かしてもらっていることに、感謝し、今日一日それだけのために、一生懸命、食べるために、必至に、働くのであると、何とも、今の日本の貧困に、或いは、精神を病む若者に、聞かせてやりたいような説明であった。呪術者のもとで、学んだ奏者の説明では、アフリカン・ドラムには、精霊との交わりをする為の一種の扉・言葉のような物だそうで、まるで、四国遍路の時に学んだ、空海による密教という大宇宙・自然界と一体化する上での密教語を学ぶかのような共通項が感じられて実に、興味深いものである。太鼓のサウンドというものをそういう観点から、聴いてみると、面白い、子供、お母さん・お父さん・お爺さんとか、幾つかの高音から低音までのドラムを、両手の平で、実に、うまく、エネルギッシュに、叩くものである。何とはなしに、原始の太古の人間としての耳の奧底に残っているような創造力と赤ん坊の時に、何処かで聴いたことのあるような「奥深い記憶」の音を、聴いたような気がしてならない。スワヒリ語は、皆目分からないが、日本語で、おおよその訳と曲の歌詞の説明をして貰って聞くのも、実に、曲の理解ができて面白い。豆のカサカサという音を利用した楽器による精霊を呼び込み、一緒に、台地を踏みしめながら、踊り回る時に掛ける掛け声も、実に、人間性を解放するような雄叫びに近いもので、まだ息苦しい大都会で、仕事で、毎日、心を病むような若者には、よい薬になって宜しいのではなかろうかとも思われてしまう。流石に、杖をつく我が身には、参加が叶わなかったのは、実に、残念であったが、小さな子供の飛び入りの演奏も、何か、花ちゃんという小さな子供の心に、きっと、自発的にやりたくなるような内発的なムーチべーションが、生じたのであろうとおもう。それとも、精霊が舞い降りたのかな?それにしても、以前よりも、一層、スラムに流入してくる難民、とりわけ、子供達の数が、増加してきて、「貧困問題」が解決できないそうである。解決どころか、ますます、拡大の一途だそうである。一体、我々には、何ができうるのであろうか?学生時代ならば、山谷や釜ヶ崎のドヤ街で、肉体労働の体験や日雇い労働者支援活動などに、協力もできたが、今や、団塊の世代の我々には、何が、できようか?何もできない分、結局、カンパによる支援活動くらいしか、出来ないのであろうか?何とも、日本人というものは、情けないものである。子供の頃、「密林の聖者」と呼ばれたシュバイツァー博士などと同じ時代の空気を吸って大きくなったのに、、、、、、、、。アフリカン・ドラムというやつは、その音色からして、心の奥底に、潜めて封印していた若い頃の何ものかを呼び覚ます太古の音色なのかもしれない。そんな風に、感じてしまったのも、それは、まさに、精霊との交わりを、通じて、旧い記憶が呼び覚まされてしまったせいなのかもしれない。
下記サイトに立ち寄ってみて下さい。

YouTube: MAGOSO TV by Masaya Onishi:
https://www.youtube.com/watch?v=WHcHy2gj7h8


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