小諸 布引便り

信州の大自然に囲まれて、風を感じ、枝を眺めて、徒然に、社会戯評する日帰り温泉の湯治客です。愛犬の介護が終了しました。

稲わら汚染牛に、想う=長女の誕生したその日

2011年08月06日 | インポート
=稲わら汚染牛に、想う=長女の誕生したその日
今から、30数余年も前のことである。女房が、臨月を迎えて、いよいよ、第一子が、誕生と言うときに、どういうわけか、その日は、芝浦の家畜現場の見学が、以前から、日程に入っていた。現場では、1頭のホルスタイン牛が、前足で、踏ん張り、くつわを引っ張っても、頑として、動こうとしない。本能的に、殺されることを、感じていたのだろう、作業員は、それとなく、近づくと、事務的に、間髪を入れずに、アッという間に、牛の眉間に、鉄のハンマーを振り下ろした。その瞬間、牛は、ドドッと、巨体を、前のめりに、四肢を、ヒクヒク、痙攣させながら、少し、もがいたが、すぐに、絶命した。すかさず、分業している他の作業員が、ナイフで、手際よく、腹を割いた。すると、その瞬間、何と、お腹から、1頭の仔牛が、勢いよく出てきたのである。解体作業手順を、その後、見学して、何とか、嘔吐もすること無く、無事、帰宅の途に、ついたのである。帰りに、入院している女房の病院を訪ねると、無地、長女を出産したことを確認出来た。稲わら汚染によって、手塩にかけた肉牛を、図らずも、処分せざるを得ない畜産家の心情も、又、本来、食用に供されるべく命を全うする筈であったとうの肉牛自身も、さぞや、無念であったに違いない。牛の写真を見る度に、長女誕生の日のことを想い起こす。「君は、牛の生まれ変わりなんだよ、きっと」と、物心ついた頃に、「午(うま)」歳生まれの長女に、言ったことがあるのを想い起こす。原爆記念日の前日だった。


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