最近、救急車の音を聞くと人ごととは思えません。今日も母の入院先の帰路に対向車線から救急車が走ってきました。片側3車線とは言え、信号機が赤だったので3車線はすべてふさがっていました。幸い、ドライバーの機転が効を奏し1車線が空き救急車は難なく通過出来ました。一刻を争う事態だけに、ドライバーの一瞬の判断が問われます。
母も救急搬送され今日で3週間が経過しました。医療機関の懸命なる治療効果とSさんをはじめ多くの方々の励ましもあって、改善の兆しが現れました。 今日も病室に入るとSさんが「・・・いつものように顔を拭きながら、何気なく『おばあちゃん!手も拭きますヨ』と言ったら、左手を差し出したんです」と驚いて報告してくれました。お礼を言うと「毎日、(奇跡のような)変化があってお手伝いの甲斐があります」と笑顔で応えてくれました。私も母の側に近づいて、「おばあちゃん!笑ってごらん」と言うと両目を開き精一杯の笑顔を見せてくれました。このまま順調に“奇跡的”に回復してほしい、と願っています。週末には姉兄や孫も来る予定ですが、きっと1~2週間前の状況と比較したら驚くと思います。プラスの変化があれば長男に報告していますが、「それって、本当なの?じゃ、治るの?」と昏睡状態しか見ていないだけに驚いて、「今週末も帰って良い?」と言ってきます。孫のなかでも一番長く18年間育ててくれた祖母だけに、その思いは強いのでしょう。
今日付けのしんぶん赤旗に“街の救急医療ピンチ”の見出しの記事が掲載されていました。「救急医療を受けられない街では暮らせない」という市民の悲痛の訴えです。島根県太田市の事例です。救急医療を担う外科医と整形外科医を派遣していた大学が引き揚げを決め、市と病院は救急告示を取り下げる方針を打ち出したとの内容です。
4月から診療報酬の改定がありますが、医療機関にとって本当にプラスだけの要因があるのか疑問です。旧(自・公)政権による社会保障費の年間約2.200億円の削減策によって、日本の医療保険制度も医療機関も崩壊の危機となりました。過疎地での医師不足と相次ぐ医療機関の閉鎖。都会でも救急医療の対応の遅れで“いのち”が奪われる事態が起こりました。新政権は診療報酬の大幅な見直しと医師の加重負担の軽減、医師不足対策を公約しましたが、今回の診療報酬の改定は決して公約通りではありません。何とか形式的にプラス改定にしただけで、政権公約を果たしたと言えるものではありません。米国では、何とか“国民皆保険”制度の方向が見えて来ました。私は憲法25条の生存権をしっかり守れる社会保障制度こそ国民が期待する政治の方向だと思います。