宮武外骨という人が、明治34年に小野村夫の名で1日と15日に発行した滑稽新聞があり、世間で人気となっていました。
当時の学生同士がマネをした様子が、まとめ買いした絵葉書の中にありました。
明治32年~39年の間発行された官製はがきが使用されています。
住所と戸主の名前は正確に書いてありますが、友人名はあだ名だったりバラバラです。
新聞の名は「すっぱ抜き古聞」39年8月4日、2号らしいです。
すっぱ抜き古聞を改題して、「怒泣笑信報」3号です。
黒く塗りつぶしてその上に鉛筆で書いてあります。
滑稽新聞は、権力者の収賄や悪行批判など書きたてて、発行部数を伸ばせども宮武外骨は、罰金、入獄を繰り返し、明治41年10月20日、173号を「自殺号」で廃刊した。
すると、彼らも「冥土旅」号を発行しました。
このハガキを受け取った理三郎君は大阪の商社に入社し、後に海外赴任しているとき先日の美人絵葉書が多数彼の元に送られました。
ちなみに宮武外骨(みやたけ とぼね)、一般ではみやたけがいこつと呼ばれたりもしますが、元の名は亀四郞。
亀は外が骨(甲羅)だからと外骨と称して、戸籍まで変更させるというジャーナリストだったと本に書いてありました。
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