自宅と道志の日々

タイトルを「自宅と道志の日々」にしました。日記のようにつぶやいています

真実?言いたがらない女性(年齢)

2025年01月14日 | なかま道志ベース

以前は本家ですので親戚一同(10家族くらい)が集まり、大賑わで行いましたが、時代の流れでしょうか?それぞれの家庭での正月になりました。

当時は嫁や家の女性陣たちは、料理屋のお手伝いさんのように動き回っていましたね。

主導する母も一昨年102歳で他界し、一昨年は喪中で過ごし、昨年は夫婦二人でクリスマスもお節も作らない正月(普段の質素な)にしました。これはこれで良いかな?と思っています。

1月10日は女房の7〇(まる)歳?の誕生日です。(女性は60歳から歳は止まっているようです。

年齢は知っていますが、どなたかに聞かれると70歳代とか、そのくらい歳とあいまいに答えています。

前期高齢者は間違いないのですが・・・。女性は年齢になると真実は言いたがらないようです。

行きつけの園芸店でも、仕入れはまだなのか?気に入った花はありません。

長く持つシクラメンにしました。(4月~5月くらいまでは咲いていると・・・)

花芽もたくさんありますし、葉がこんもりとしているのでこれにしました。

珍しい新しい品種のブルーシクラメンも買い求めました。

ときどきは、花を開いて新芽に陽を入れると良いと聞きました。

女房はまだ働いてます(自営ですが)。先日も友だちとある地域のダンスパーティーに出かけたり、ジムで岩盤浴ヨガに行っりしていますが、ダンスでもっと運動したいと言っています。

私は近所のジムで2時間半ほど過ごしました。

シクラメンを買い求めた日は、女房ダンスパーティーに行っていましたので、私は遅い(早い)夕食なので、近所の「かつや」に行ってテイクアウトで簡単に食事を済ませます。

この店が、こんな時間に何故混んでいるんだろう?と思うくらいです。

自宅で黙っていただく一人飯も良いものです。

なんだか、やることなすことが段々面倒になって来ました。

スマートウォッチのベルトの輪も切れるし、適度な穴に差し込むのも面倒なのでマジックタイプのベルトにしました。アマゾンで探したら1,000円くらいのものがあり注文したら翌日には届きました。

ダンスパーティーとかジムの話しが出ていますが、学生時代の親友の奥さんから喪中のはがきが届いたり、寝込んでいる友人もいます。

女房の友だちも認知症になり、最近 近くの大きな病院に入院したとのことです。

奥さんの様子が気になり電話したら、ご主人が出て泣き声だったそうです。部屋の番号も聞いたので、行って見ると言っていました。

ダンスも夫婦で25年以上続けています。また私ももうすぐ喜寿になりますが、歩幅が小さくなり年寄り体型から脱皮したいのです。これもお互いに少しでも長く、元気で・健康でいたいからです。

 

Hiro


関西弁や文化は関東人には分からない!(長文)

2025年01月13日 | なかま道志ベース
いま、ジムに通っていますが、関西出身のパーソナルトレーナーが東京に来てまだ1年経っていませんが、関西とはだいぶ生活感が異なるようで、途惑った話をしていました。

関西出身の吉本トレーナーです。(本来ですと顔や名前は伏せますが、そこは関西人で顔も名前も出してくださいと目立ちがり屋さんなのでしょう。)

そのトレーナーは気遣ってはしているのでしょうが、関西弁でしゃべっています。聞いていると面白いですね。よく笑うし、励まし方(ヨイショ!)も上手です。

ある時、吉本トレーナーが言うには、お好み焼きをピザのように放射状に切り分けるのはあり得ない。コテを使う場合は賽の目に切る。

そもそも「お好み焼き」は「1人1枚」が原則でシェアは絶対にしない。なので普通に箸で食べる。

そばが入っているのは「広島焼き」と思われがちだが、大阪でそばが入ったお好み焼きは「モダン焼き」という。と言っていました。本場は大阪で、広島は広島風と言うようです。

大阪のお好み焼きと広島のお好み焼きと、あえて区別しているのでしょう。

私は何処でも、なんでも同じように見えるんですがね?

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今回、ブログにアップするために、吉本トレーナーに下書きを見せたら、今年一番笑ったと言っていました。すべて載せてくださいと言っています。

それでも半分にしました。

 関東人(東京もん)の私が知っているはずはありません。

ほとんどがネットより拝借しています。お許しを!

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トレーナーの言葉から面白そうなので、関西の特徴を調べてみました。

結構ハードなトレーニング中です。

【先ずは、CMの歌です】

トレーナーは全部歌えると言っています。私にはさっぱり分かりません!

「♪関西電気保安協会」

「♪奈良健康ランド」           *もう大笑いが始まっています。

「♪ホテルニュー淡路」

「♪北極のアイスキャンデー」

「♪有馬兵衛の向陽閣へ」

「♪あられはやっぱり、とよす」

「♪はなてん中古車センター」

「♪たこーまさーのやこやき」

「♪ジョ、ジョ、ジョ、ジョーシーン」

「♪いいもの大切にマツヤデンキ~」  *いろいろな歌を口ずさんで(歌って)います。

「♪お仏壇の浜屋~」

「♪ま~ちと住まいの高橋かいは~つ」

「♪ABCハーウジーング」

「♪勉強しま~っせ引っ越しの~サカイ~」

「♪暮ら~し安心、クラシアン」

「♪箕面温泉スパ~ガ~デン」

「♪あ~ほんま、あ~まんま、あのでっかい夕焼け見てみいな~」

「♪とんかつとんかつK・Y・K」

「♪いちにぃサンガリアっ、にぃにぃサンガリアっ」

「♪あさひ美容外科~」

「♪来て見て便利な梅旧院~」

「♪越~前屋~」

「♪オリバぁーソぉースッ!」

「♪ピアノ売ってちょ~だ~い」

「みんなまぁ~るくタケモトピアノ~」 *分かる!わかる!と大笑いしています。

「♪琵琶湖わんわん王国~」

「♪フルフル フルフル フル 装備」

「♪泉北、ホ~ム!」

「♪近江住宅黒沢さん、いっしょに踊り~ましょ~(あ、それ!)」

「♪ヒガシマル うどんうどんうどんス~プ!」 *これ関東もんはしらんの~?と。

「♪ひ~らぱ~」

「♪ビーックビックビックビックカメラ」は昔は「♪カンカンカメラのナッニッワ」やったのにな

「おててのシワとっシワをっ合わせてっしあわせ」

「太平建設工業は、とことんサービスとことん安い!」

「ながーーーーーーーーーーーーーーーいおつきあい、京都銀行」

「うまいもんはうまい」           *これ知らんの~ 超有名やで~

「えらい詳しいですね~」

「わたしらそこのもんですねん」

「先斗町のいづも~やへ」

「京阪電車乗る人おけいはん」

パルナスの歌をフルコーラス歌うと賞賛される。パルナスがどこの味か知っている。

「六甲おろし」は普通にフルコーラス歌える。 *これを歌えなきゃ関西人じゃない。

*さすが吉本トレーナーです。すべて分かると、トレーニングそっちのけで大笑いしています。

「吉本 湯婆婆」で「末成由美」。    *全部分かるわ~

「吉本 アスパラ」で「中條健一」。

「吉本 ギター」で「松浦真也」。

「吉本 新幹線」で「伊賀健二」がヒットする。

さらに「おじゃましまんにゃわ」だけで井上竜夫。

「ドリルすんのかーい」だけで吉田裕。

「インガスンガスン」だけで末成由美。

「見下げてごらん」だけで池乃めだか。  *どうやら節は「見上げてごらん」らしい~

*トレーニングに身が入りません。

「行けたら行くわ」って言うたらほぼ確実に「行かない」。

相手に「考えとくわ」って言われたらはそれは「お断り」の意味。

「最近、どないや?」というぼやっとした質問にはとりあえず「ぼちぼちやね」と答えとく。

「せやな」って言う生返事はたぶん話を聞いてない。

何も違わないのに話始めが「ちゃうねん、」 で、文章の最後に「知らんけど」ってつける。

「絶対」と「多分」を一緒に使っても違和感がない。

例「ちゃうねん、絶対やって、絶対そうやって、多分!知らんけど」。

ほとんどの関西人は撃つと死んでくれる。切っても死んでくれる。

しゃべるときの身振り手振りが異常に多い。  *ここでまた大笑い!

説明にやたら「擬音」を使う。説明に擬音を入れてくる。

「この道をガーッと行って、右へシュッと曲がって、左の細い道にキュッって入ったとこにあるわ」

救急車やパトカーのサイレンが聴こえると 「お前、迎えにきたで」*言ういうと言っています。

「唐揚げ遅いなぁ」っていえば「今、ニワトリ捕まえにいってんのちゃうか」

「今から標準語で喋ろうや!」「ええよー」

「今日…はめ…すごく…暑いデスネ」「そう…だね」「なんでそんなカタコトなん…ですか?w」

「自分もやんwwあ、ミスった」 と、まぁ1分ももたへん。

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京セラドームには「地下鉄で行く派」と「JRで行く派」がいる。

甲子園球場が近いから高校野球をつい見に行ってしまう。

*吉本トレーナーは高校生まで野球どっぷりで甲子園出場経験あり。

特に関西のチームどっか入ってたら関西いうだけでそのチームを応援する。

PASMOとSuicaの違いがわかるのが関東人 

*道志には頻繁に走るバスが無いので、Suicaが使えるかどうかは分かりません。(痛勤・通学が主で、その時間帯しか運行していません。

PiTaPaとICOCAの違いがわかるのが関西人(知り合いのブログ友にもICOCAと言う方がいました!)

「自分、自分のこと自分自分いうてるけど、自分のこと自分ていうのやめて自分」の意味がわかる。 だから『ちょ、自分なんなん?』は、自問自答ではない。

関西で「ウチ」=標準語で「自分」のこと(「自分の家」ではない)

「ちょー!ちょー!!ちょー!!!」(訳:ちょっと、なにしてるのよ!)???

大阪のおばちゃんに「松坂慶子か思たわ」っていっても「そやろ!」といって否定しない。

おばちゃんは「ホンマはあかんねんで」といいながらおこづかいをくれる。???

買うかどうか迷っていると大阪のおばちゃんは「それ、おいしないからやめとき」と聞いてもないのに自分目線で勝手にアドバイス。

おばちゃんをほめると「いややわもう~」っていいながらたたかれる。

関西のおばちゃんの「さすべえ」の浸透度がハンパない。???

「さすべぇ」と「サンバイザー」がおばちゃんがチャリ乗るときの標準装備。???なにこれ?

おばちゃんの「自分、シュッとしているな~」は「あなた、イケてますね」の意味。

 「シュッとしてる」の反対語は「もっちゃりしてる」(もっさりしてる)。

関西人の一家にはなんかしらの「おかんエピソード」がある。*母親のことは特に話さない関東人

おかんは「ええかげんにせなしばくで」というが実際しばく気はあまりない。

おかんの「おこらへんからいうてみ」は怒られるやつ。

おかんの「先寝るで」という謎の報告。

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関西人A「大阪って一家に1台たこ焼き器あるやんな?ウチはあるけど」

関西人B「なんぼなんでも全部の家にはないんちゃう?ウチはあるけど」

関西人C「せやせや一家に1台はないって。ウチはあるけど」

関西人D「ホットプレートにたこ焼きプレートついてんのやったらあるで」

結局、一家に1台たこ焼き器はある!!! 東京人の我が家には無い。

たこやきは家で作れるから外でたこ焼きは基本買わない。外でたこやき買うてるんは観光客。

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【関西人の大間違え】思い込み強し!

「おにぎりせんべい」は全国区じゃない  *これ何処にもあるとちゃう?

「三角座り」は全国区じゃない      *じゃぁ~どうやって座るの?

「紅しょうが天」は全国区じゃない

「ポールウィンナー」は全国区じゃない

「しんどい」は全国区じゃない

「他人丼」は全国区じゃない       *卵入れて・・・と説明あり。

「冷やしあめ」は全国区じゃない

カールの「うすあじ」は全国区じゃない

エースコックのワンタンメンは全国区じゃない  *えっ!これ知らんの?

路線バスって後ろから乗るモンやろ? *ダメだこりゃ!でまた大笑い!

結局、トレーニングそっちのけで終了!でした。

 

Hiro


人生まだ途中 山坂転んで起きて

2025年01月12日 | なかま道志ベース
「人生まだ途中 山坂転んで起きて」
77歳なんて、まだまだ駆け出し!

「還暦(六十才) まだまだ三役 突き落とし」

長寿祝いは賀寿とも言い、中国の風習を取り入れて、日本では奈良時代から始まった日本特有の風習だったようです。

長寿のお祝いは還暦から始まり、本来は数え年の誕生日に祝うものでしたが、最近は満年齢で祝う人が多くなっています。長寿を祝う節目の年齢にはそれぞれ名前が付けられていて由来があります。

現代の満60歳は、働き盛りで高齢者でもありません。あまり年寄り扱いせず、感謝の気持ちといつまでも長生きしてほしいことを願ってのお祝いと思えばよいのでしょう。

ちなみに、60年で十巻十二支(じっかんじゅうにし)が一巡して〝もとの暦に還る〟誕生年に60を加えた年、つまり数えで61歳。赤いちゃんちゃんこは赤子に戻り、もう一度生まれ変わって出直すという意味。長寿祝いの色は赤・朱。

還暦以降はこんなにお祝い事が待っています。

・・・・

前期高齢者(65歳~74歳) 高齢者とは何歳からを指すのかは、法律や制度によって定義が異なるのが現状です。

世界保健機関(WHO)の定義では、65歳以上が高齢者とされています。1956年の国連の報告書において、65歳以上の人口の比率を「高齢化率」と記載されたことから一般化されたとしています。

例えば、道路交通法では70歳以上が高齢者と定義されていますが、「高齢者の居住の安定確保に関する法律」では、60歳以上が高齢者と定められています。

あの枯れ葉(初心者若葉マークは義務)は努力義務なのです。付けた方が安全かも?

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「古稀(七十才) そんな誘いにや 耳かさぬ」

もともとは「古稀」と書き、奈良時代は初老といわれた40歳の祝いに始まる10年ごとの年寿祝いが行われていたとしています。

その理由は、古稀が中国唐代の詩人、杜甫(とほ)が詠んだ『曲江詩(きょっこう)』の中にある「酒債尋常行処有 人生七十古来稀」の一節に強い影響を受けているからだといわれています。

その意味は「酒代のつけなら私が行くところ至るところにある。しかし人生を70歳まで生きるのは非常に稀(まれ)なことだ」というものからのようです。当時は「人生50年」という感覚にぴったりだったのでしょう。色は濃紫または紺。

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後期高齢者(75歳) 誰が付けたのか実に不快な言葉です。もっと違う言葉があったのでは?苦労が足りない若いお役人が付けたんじゃないのと思ってしまいます。健康保険は2割負担になりますが、そのうち3割負担になるのでしょう。

しかし、後期高齢者になると後期だなぁ~と実感している毎日です。

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「喜寿(七十七才)  この山越えれば 花畑」

喜寿(きじゅ):77歳(満76歳)ですが、私もあと数か月で花畑になるよう。しかし 花畑のような生活(暮らし)は実感として無理かと思います。

この山さえ越えれば、考えるとまだまだ駆け出しです。

喜の草書を楷書にすると「㐂」と書き、字を分解すると「十七」の上に「七」が付いたような文字となることに由来で、長寿祝いの色は紫。

厚生労働省によると、平均寿命(2024年)が男性81.09年、女性87.14年に! 3年ぶりに延びる と発表していました。

問題は平均寿命でなく、【健康寿命】だと思います。誰の世話にもならいで過ごせること。2024年12月24 日では、女性が75.45歳と、前回2019年と比べて0.07歳延びた一方で、 ▽ ; 男性は72.57歳と前回より0.11歳短くなり、全体的には前回からほぼ変化はありませんでした。

男性の健康寿命は72.47歳ですので、すでに過ぎましたので少し儲けた感があります。

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「傘寿(八十才) まだまだこれでも 役に立つ」

「80」の漢数字「八十」を縦書きにすると、「傘」の略字「仐」に見えることが名の由来とされています。また「傘」の字形は末広がりで縁起がよいのも、この漢字が使われる理由のひとつだとしています。

「寿」は「長寿・長命」を表すので、「傘寿」=「80歳の長寿」という意味で、別名は「八十寿(やそじゅ)」と言います。

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「米寿(八十八才)  もう少し楽しみ 米と酒」

気持は理解できます。もう少し楽しみ 米と「酒」ですね。米寿(べいじゅ):88歳(満87歳)米の字を分解すると八十八となることに由来で、長寿祝いの色は金茶。

この時代(戦争は経験していますが、コロナウィルス・運動不足・便利過ぎる生活など無い)ですから、今後は平均寿命も段々短くなるような気もいたします

また、地球変動(地球が壊れ始めました)で、夏のあの暑さが証明しています。寿命が縮まる思いとはこのことなのでしょう。

個人的には健康で人の世話にならずに過ごせれば最高の人生だと思います。色は傘寿と米寿は濃黄色(山吹色から黄金色)です。

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「卒寿(九十才) 人生大学 卒業なしさ」

90歳のお祝いが卒寿と呼ばれる理由は、「卒」という漢字が由来とのことです。卒の旧字である「卆(そつ)」が「九十」と分解できるため、これにちなんで卒寿と呼ばれるようになりました。

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「白寿(九十九才)  この世は三色(みいろ) 黒白グレイ(私は禿げるタイプ)」

私は今でも薄くなってきましたので、この年齢では髪の毛が無いかと思います。もう一色の光る金色(肌色)を追加してほしいですね。

昔は、99歳まで長生きすることが珍しかったため、お祝いされることはほとんどありませんでしたが、平均寿命が伸びた現代の社会では、白寿のお祝いの機会も増えました。

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「百寿(百歳) 100年暮らすにゃ穏やかが一番 ここまで来ればみな下界」

 100年が一世紀ということから紀寿、また100歳であることから百寿と呼ばれています。

ちなみに、母は享年(数え)102歳で、行年(満)100歳と6カ月でした。

この100歳の祝いに際して、総理大臣・東京都知事・市長からも祝賀状と記念品をいただいています。こうなると毎年、長寿のお祝いをしているようになりますが、認知症など進行し自分の年齢も分からなくなるのでしょう。(母がそうでした・・・)

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「茶寿(百八才)  茶柱立ったよ まだまだ元気」

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「皇寿(百十一才) ここらでゆずろう 長寿日本一」

私の独り言でした。何かのご参考に・・・。

*画像は時期外れですが、庭の草花をパチリしました。

 

Hiro


サラリーマン時代のグッズを処分

2025年01月11日 | なかま道志ベース
今や初任給が30万円越えする時代になりました。その分入社して、責任ある仕事が求められるのでしょう。
 
先日、サラリーマン時代のグッズを処分していました。

一つひとつ思い出に残るモノばかりです。

凍てつく中、1時間半もかけて良く通勤したものです。その時は70歳を超えていました。

いくつかのステージはありましたが、最終的には72歳まで働き50年間勤めたことになります。

最後のステージでしたが、品川港南口を出て7~8分の本社に向かっています。

スイカの定期です。

私は以前からリーガルシューズが好きで、いつも通勤にはそれを履いていました。

もう履かないと思い処分しました。

背広も同じく礼服だけあれば十分で、あとはカジュアルなジャケットを着ています。

Yシャツ襟や袖がピンとしている糊強(のりきょう)でお願いしていました。

ある方に20枚近くクリーニングの出したものを、野良作業にでも使ってくれと差し上げました。

ネクタイも同じく、数本残して処分です。

通勤カバンも、いくつも変えました。これは最後のものかな?いつもはスリーウエイ(手提げ・肩掛け・背負う)ものでした。

いろいろなグッズをバッグに入れていましたね。軽いパソコンも持ち歩いていました。

パソコンなどは社内情報が入っていますので、すべて返却します。そう、USBなども使用できる社のものを申請して使うくらいです。個人のものは使えません。もちろん社のスマホも返却します。

重い訳です。個人用のiPadやスマホもバッグに入れます。あと品川時代は弁当も持って行きました。

長年使っていた手帳です。パソコン時代になっても、手帳は手放せません。予定が書ききれないくらい入っていました。

このケースは出張用です。ハードな入れ物で1~2泊には十分でした。

飛行機の棚にも乗るサイズです。(これは処分せずに、今も道志に持って行くパソコンなどを入れています)

いつもお見せする画像です。これだけで社内規定で執務室はパチリ出来ません。

説明かご意見か?何かを発言している時ですね。

ここは天王洲アイル駅近くで、右手にはレインボーブリッジがある場所です。

浜松町からモノレールでも通期したステージもありました。

処分した背広なども少なくなった分。軽くて機能的なワークマンプラスが増えました。

私には合っています。

先日も買い求めに行って来ました。ユニクロより、ワークマンの方が好きですね。

道志の野良作業に向いているからです。道志にはピッタリですよ!

シューズも靴ベラのいらないものになっています。

まだまだ、処分すべきものがたくさん有りますが、これには時間を要するのでしょう。

会社は多くの社員は単身赴任が多いのですが、特に営業部門は長い方ですと、20年近くも家族と離れて暮らしています。これも企業ならではの宿命なのでしょう。

昨夜も、一緒に働いていた社員から電話が入りました。5年間の本社勤めから北海道へ転勤になると・・・。(彼は出身は北海道者です)

北海道全域と東北方面(青森や岩手)も、範疇に入ります。でも家から通勤できると喜んでいました。

私は何も世話をしていませんが、印象が強かったのでしょう。お会いして挨拶したいと言っていました。その時は私に会いたいと言っている仲間もいるので、呼び出すと言っています。退職して5年近く経っているのにです。

サラリーマン時代のグッズは処分できても、思い出と人のつながりは残っています。

声をかけてくれるだけでも嬉しいものです。

 

Hiro


道志の寒さを楽しむと 帰り道

2025年01月10日 | なかま道志ベース

二日に女房と道志に入り、四日に帰宅しました。今回の目的は二人でゆっくりすることでなく、片付けや掃除などで終始しました。

私は早朝より残材を燃やしています。乾燥していますので見守りながらの作業ですが、何故か見とれてしまいます。

やっと、あたりは明るくなってきましたが、もう8時近くになってです。

それまでの時間はネット障害(ブログ)で、翌日にいつも伺っている方々への訪問です。

みなさん、冒頭に接続障害(NTTへのウイルス攻撃被害)のことを話題にしていました。

そして、朝9時ちょっと前になりました。

冷え込むことを予想して「氷中花」を作る準備をしていたのです。

こうして、洗面器に水を張り自宅から持って来た草花などを浮かべました。

山の向こうから陽が射して来ました。

洗面器を裏返して見ると、氷中花が出来ていました。

青い空に掲げて見ると、こんな感じにです。

これも道志での冬の風物詩になりました。

しかし、水と草花を入れ過ぎたので、完全氷結していませんでした。

直ぐに崩れるように、見るも無残な崩壊です。

これも経験だと思います。

道志の朝はマイナス5度でしたので、ホースからの水も凍って出てきます。

ブログで知り合ったの地域(旭川)は、零下14度とお聞きしました。

日本は広いなぁ~と思う一瞬です。

帰宅の準備をしていますので、簡単な朝食です。

これといつもの白菜サラダでした。

女房は掃除機をかけて、私は持ち帰るものを車に積んでです。

普段は上げて置くフロントワイパーもそのままでした。エンジンをかけて解凍します。

道志街道を通って山道に入り、相模湖インターから中央道のコースでの帰宅です。

これらの内容は前回ご説明したとおりです・・・・。

渋滞の原因である車は、カーブの手前からブレーキランプが点いたり消えたりしてかなり低速運転です。後ろの車もイラついているのか?あおっているようにも感じます。特にバイクは追い越すチャンスを狙っているようです。その先頭車両がのんびりゆっくり運転だったのです。

この車とは途中で相模原方面に行きました。ここでお別れで、あとはスムーズな運転になりました。結局、普段より少し遅くなった到着時間でした。

いつものカップで、コーヒーを飲んで、ちょっと遅い昼食です。

それから、ちょっと出かけました。「さかな屋さん」に刺身を買い求めに行ったのですが、魚河岸がまだ開いていませんね。店は閉じられていました。

そして、コンビニへ向かいます。レジで買い物をすまし、袋に入れてバイクに戻りました。

あれ?無い!

ちょっと高価な片方の補聴器がありません。ポケットを探ってもありません。

急いでコンビニのレジへ向かいました。

店員さんもモノを退けて探してくれましたが・・・。

結局、袋を出す時に絡まって落ちてレジの反対側に落ちているのを店員さんが見つけてくれました。(私には欠かせない必需品で高価なものですから、安堵しましたよ!)

今年初の落とし物です。これから増えるのでしょうね。

さて、今日から私はジムへ。

女房は友だちとダンスパーティーに行って来ると言っていました。

それぞの趣味(楽しむのも)も良いのでしょう!

 

Hiro


コーヒー一杯から始まる道志

2025年01月09日 | なかま道志ベース
この内容は1月4日のことでした。道志に入って2日目の朝・・・。

かなり早朝に目が覚めました。その時は覚えていた初夢も直ぐに忘れています。

先ずは洗面後にコーヒーを飲むのが習慣になっていす。

道志に通い生活して、10数年が経過しました。それまでは作る・育てる楽しみでしたが、今や作ったモノの改修や大きくなった木の剪定になって来ました。

自然相手ですので、朽ちたり育ったりします。

やはり、お正月なのか?切り落とした枝も紅白になっています。赤い枝は梅かも知れません。

女房が起きる前から(6時半ごろの日の出前)から防寒対策して動き始めました。

切り落とした枝木などを処分です。これを終えるまでに、3000歩になっています。

歩いたのではなく、手を動かしていたからなのでしょう。

やっと、朝食にありつけました。普段は一人暮らしですので、お茶漬けやトーストなどあるのもで済ませています。

その後は、こちらの枝木の処分です。

蔦のかっらまった枝もオブジェになりそうです。自宅近くの園芸店に差し上げたら喜ばれました。

山のようにあった、枝木や落ち葉も片付けました。落ち葉は堆肥にします。

落ち葉やおが屑を花畑や畑に撒きました。やがては腐葉土と霜よけになるのでしょう。

その時期になれば、耕うん機(プチな)で耕します。

落ち葉は女房が履いてくれたり手伝ってくれて、思ったよりきれいに片付きました。

私は農機具小屋の剪定に入りました・・・。

女房は近くの温泉に行きたいと言っています。

近くの道志川温泉「紅椿の湯」に送り届けました。結構混んでいたようですが、温かいお湯に浸かってゆっくりとしたようで何よりです。

 

小屋に絡まる蔦も剪定しました。ガラス窓には家や山の景色が映っています。

このようにハシゴをかけて、覆っていたバラなども剪定しました。

この小屋も一人で作るには大変でした。家の全景と広いデッキが見えます。

屋根に登ると、景色も変わります。

女房から迎えに来てくれと連絡がありました。温泉も気持ち良かったと・・・。

湧き水も勢い良く出ています。この1か月以上雨が降らないので、水源も心配です。

せせらぎの渡り木ですが、だいぶ朽ちて来ました。あれもこれも作ったと思い出します。

このせせらぎも、掘ってはシートを張り砂利を入れて作りましたね。

ワサビの茎がシカに食べられた痕跡があります。

水草に隠れているワサビです。

水面に青い空が映っています。空気は美味しいし、清々しい気分になります。

この辺りは次回入った時に片付けます。体力的にも限度ですね。

簡単な夕食(温泉で買い求めた食材)で済ませました。

翌日は帰宅しましたが、いつも湧き水をポリタンに積んでいます。

この朝5時の外気音はマイナス5℃でした。

翌日の昼ごろの道志を出ましたが、道志みちは安全運転?(ノロノロ運転で渋滞しています)

みなさんイライラしている様子が分かります。これは安全運転とは言えません。約2時間で帰宅できました。この内容は次回ご紹介いたします。

 

Hiro


二日 珍しく女房と道志に入りました

2025年01月08日 | なかま道志ベース

そう、元旦のまで使えていたブログ機能でしたが、2日にアップしようとしたら、うんともすんとも開けませんでした。他のネット回線は使えたのですが・・・。

正月早々でしたので、なんで?どうして?と言う感じでいました。

(結局は、2025年1月2日(木曜)午前5時27分頃から、gooにはアクセスできない状況で、外部から、、サイバー攻撃?があったようです)

これだけパソコン(ブログ)生活に入り込んでいたのが分かりました。

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久し振りに、女房と道志に向かいました。

普段なら1時間30分はかからないところ、2時間以上かかりました。

中央道に入って直ぐに渋滞に巻き込まれました。

この富士山方向を目指します。

荷物を降ろし、早速動き始めました。風もなく日向ぼっこ出来るような感じです。

デッキで遅いランチです。やはり一緒にいると心強く感じます。

やはり、自然の中で外で日向ぼっこしながらのランチは更に美味しく感じさせます。

室内の窓越しから、ゆっくりしている女房が見えます。こんな姿を見ていると51年間も一緒にいただなぁ~と思ってしまします。

冬の道志とは思えないような、気温で青い空と澄んだ空気が時を一寸止めたような感じです。

私は前回やり残した屋根に被る枝木の切り落としです。梯子を固定して落ちないように(ケガしないように)細心の注意を払ってです。

見ずづらいかと思いますが、かなり切り落としました。

切り落とした大量の枝です。いかに処分するかです。

陽も落ちてきました。やはり寒くなって来ましたね。普段なら、ここから一人飯づくりですが、今回は女房が夕食づくりしてくれました。

食べながら、飲みながらいろいろな話になりました。たとえば、今後の生活やダンスをどうするの?とかです。

やはり、コロナ禍と退職後のハシゴを外されたような生活(気持ち)、その間にも諸々のことがありました。ここ最近になってジムにも通い出し、前向きになって来たところです。

お互いにそれなりに元気ですが、10日の健康診断の結果でなんと言われるかです。

道志の家も、作ることから補修することが多くなって来ました。

手放すこともそろそろかと考えています。まぁ~10数年たくさん楽しませてくれましたからね。

今朝の気温はマイナス2度でした。

冬の時期は7時半過ぎてもお日さまは上がって来ません。

今日も天気は良さそうですね。

霜も降りて、白い道志になっています。

朝のうちに(8時前)には枝木も半分処分して、すでに3500歩になっています。

正月も平日も変わりない作業があります。

永住していれば、ゆっくりといろいろなことが出来るのでしょうね。

 

Hiro

 


初夢は何を見ましたか?(書道は面白い)

2025年01月07日 | なかま道志ベース
元旦から二日にかけてみる夢が「初夢」です。私はこれが初夢だと思っていたのですが、目が覚めたら忘れていました。残念!

自宅には内田藍亭先生が揮毫された、母の「幸」の字を入れた『幸慶』の額装が飾られれています。

友人の書道家 内田藍亭さんとはどちらかと言えば酒飲み仲間で、いろいろな場面でお付き合いさせていただいています。

以前、「夢」と言う字を揮毫(書いて)いただきましたので、夢に絡んで無理言って「初夢」を揮毫してくれないかとお願いしました。

すると「漢字5書体」もお送りいただいたのです。篆書体(金文)・隷書体・草書体・行書体・楷書体で揮毫されたものでした。

各書体については、後日詳しくご紹介いたします。

金文で「初夢」と揮毫(書かれて)されています。そこで漢字の原点のような金文で「初夢」と言う書体の成り立ちなどお教えいただきたいので、昼飲み会をしたのも一つの理由です。

ある日のこと、お互いの中間点である駅前で待ち合わせしました。私はよく行く店です。

いやぁ~混んでいますね。まだ昼の1時過ぎですよ。8割方が女性客です。

我々も負けじと乾杯です。

先生が編集なさった「古典に見る臨書研究(中国編)」の図書をいただきました。

次に熱燗を注文しました。美味いですねぇ~  特に昼飲みは・・・

藍亭先生からいただいた「加工紙・大色紙サイズ」の「初夢」です。

金文でのご説明です。

そして、書体の成り立ち?をお教えいただきました。

指さしているのが「初」と言う字です。これが「初」に読めますかね?

初」は「衣があって+刀」と言う字になっています。

意味は、刀で衣を裁ち産着を初めてつくる。ことから「初」と言う字(金文?)が出来たそうです。

続いて「夢」と言う字です。時代背景が異なると仰っていましたが、なんか上の部分が角のように見えますが、太い眉毛と目で寬(うかんむりの無い字)カン*パソコンでは出て来ません。で「巫女」を表し+下の(夜)で、巫女が操る霊が夜にあらわれる。と言う形が「夢」と言う字を表していると言っていました。

へぇ~です。夢は巫女さん操る霊なんですね。私はよく夢を見ますが、巫女さんが操っているとは・・・。女難の相があるのかなぁ~?そんな相があっても、今ではその気にもなりません。

いやぁ~簡単な考えで、「初夢」を書いてくれないかと無理なお願いをしちゃいました。

初夢とは、年明け後の元日~1月2日にかけて初めて見る夢のことで、近年に使われた言葉だったんですね。

一富士二鷹三茄子(いちふじにたかさんなすび)」の夢を見ると縁起が良いといわれています。富士は「無事」、鷹は「高い」、茄子は「成す」という言葉にかけられています。

一富士二鷹三茄子の由来には諸説あるようですが、徳川家康が好んだ「富士山」「鷹狩り」「茄子」を順番に並べたという説が有力のようです。

いづれにしても時代背景のない合わせ文字なので、先生もご苦労なさって書いてくれたのでしょう。

このような話(説明)を聞きながら、書の奥深さと面白さを知りました。

字を上手く書きたいと思う時は、冠婚葬祭で袋や記帳する名を書く時や年賀状、またはサインする場面ですよね。また、かな文字がきれいに書けると良いなと!と思うこともあります。

私も今は筆を休めています。各書体が上手く書けるには日々の勉強(筆を持つこと)が必要なのでしょう。準師範までになりましたが、都合で筆を止めています。日記だけは小筆で書いていますけどね。

親しくさせていただいている内田藍亭(うちだらんてい)先生は、今の天皇陛下がご幼少(皇太子)のころ、書を習っていた先生が桑原翆邦先生で藍亭先生は門下になります。私は強いて言えばその門流ですがず~っと下流になるのでしょう。

お隣にいた女性にその鍋美味しそうですねと声をかけたら、一緒にどうですか?と誘われましたが、会計も済ませていますのでサヨナラしました。

ポーズしている時の若い女性の笑顔が印象的でしたね。

女性も自分のスマホでパチリしてくれないかと言われましたので、撮って差し上げました。

また、いただいた「初夢」の各書体の歴史や説明などは、後日ご紹介いたします。

 

Hiro

 

参考

内田藍亭(らんてい)uchida rantei

1971年生まれ。富山県出身。 静藍社 主宰

武蔵野美術大学大学院特別指導講師

二松學舎大学文学部講師

三越カルチャーサロン講師

書宗院参与理事

全日本書芸文化院運営総務

墨華書道研究会同人


75歳が健康(気持ちも含めて)の分かれ道

2025年01月06日 | なかま道志ベース
 

正月2日から4日まで、静養と言うより片付けに女房と道志に入りました。

何故か、道志に入ると元気に動き回ってしまいます。

暮ですが女房を駅まで送り、その後スタンドに寄り給油と洗車、そして道志用の石油も買い求めました。

道志のスタンドはそんなに利用者も多くは無いのか?そこまでの運搬賃なのか、各種燃料が割高になっているからです。

機械洗車での水洗いだけしてもらい、自宅で拭き取ります。(600円だったかな?)

それから大型電気店にカメラのレンズにホコリが入り、修理をお願いしました。

また、修理のために3万円近い出費です。

材木屋さんでいつも、おが屑(カンナ屑など)をいただきますが霜よけや通路に撒いています。これもなかなか手に入らないものなんです。

普段は、大学の馬術部が貰いに来るそうです。

正直、ダンスも嫌いじゃないけど、退職後は気も抜けそれほど(夢中になるほど)好きじゃ無くなったような気もいたします。働いていた頃は試合に出場したり、それなりに頑張ってはいたのですが・・・。

やはり、自由時間も少なくバリバリ忙しく行動している時の方が、多趣味でなんでも熟せるのですね。「忙しい方が、何でもこなせた時期もあった」

60歳で定年。65歳まである団体の役員で。ハンティングされて72歳まである企業のアドバイザーとして、羽田と品川まで約1時間半かけての通勤でした。

この時期ですと、まだ陽が昇っていない時間に家をでました。目的地近くまで座って行きたいので、この駅発の1本見送って次の電車に乗ります。

品川駅の港南口ですね。ここの本社にも出勤していました。

また、モノレールで羽田方向にも勤めました。

モノレールは浜離宮付近を通過します。

手前が自席です。窓際は役員クラスの席ですが、嘱託社員の私が窓際になっていました。

詳しくは申し上げられませんが、窓際が自席でした。

ここは羽田飛行場の近くで夜景がきれいな場所です。

上層階の社員ビュッフェからパチリです。

普段の仕事はアドバイザー(言いたいことを言う)立場でした。

時には、社員幹部を前にしてお話しする機会もあり、また全国を飛び回っていました。大した技量も無いのにです。

結構充実した仕事で、一年契約更新でのただの嘱託社員(アドバイザー)です。

まだ、もう少し手伝ってくれと言われていたのですが、コロナ禍となりまたテレワークとやらで週に数回の出社でしたので、72歳で仕事人間から完全退職したのです。

*退職して間もなく(コロナ禍が収まって)、本部長よりメールがあり会長と3人で送別会をしたいと連絡がありました。場所は神楽坂のお店です。

完全退職してからは、何もすることの無い誰とも話をすることもない生活がスタートしたのです。なんか、ハシゴを外された感じの日々です。

エブリーサンデーとはこのことを言うのでしょう。誰しも経験する大きなスランプ?が4年続きました。

"こんな筈じゃない!"一人観光バスに乗っても、バスの中はみなさんグループで話し相手もいなく、そんなに面白いものではありませんでした。近くの公園を散歩しても、万歩計のためでした。

追い打ちをかけたのは、昨年からの夏の猛暑です!暑すぎて動けるような状態ではないのです。

バイクでの交通事故(被害者)から、母の他界その後の手続きなどもありました。

救急車での搬送でした。

その間に、結婚50周年も迎えました。

今年になって自分の不注意から手のケガも3度もあり、探しものする日々は数えきれないくらいです。

誰が付けたのか「後期高齢者」と言う言葉です。運転免許書更新も認知機能検査も加わりました。いま思うと、高齢者の更年期状態だったと思います。

これじゃ~本当に年寄りになっちゃうと思い、9月からスポーツクラブに通い始めました。

運動習慣を身に着けるためと、年寄り体型(頭が突っ込んでいる。背中が丸い。歩幅が小さいなど)を改善するためにです。

パーソナル(個人指導)は週に3回でしたが、今では2回にしています。

全て私のメニューに合わせてです。段々体力と体幹も出来て体型も変わりました

以前は出来なかったことが出来るようになります。

ちょっと、火が付きましたね。

やはり、今の私にとっては運動習慣を身に着けることが、目的と発散につながっているのでしょう。

関西出身の孫のようなトレーナーですが、からかっているのも(会話も)面白いものです。

退職後の誰しも経験する大きなスランプ?(4年間)から、脱皮できそうな感じです。

同じ経験をしている仲間も、抜け出すのに苦労しているようです。

先日もご紹介しましたが、75歳が健康(気持ちも含めて)の分かれ道のような気もいたします。

私が思う「75歳の壁」です。

昨夜も美味しい鍋をいただきました。

すみません!これこそ個人的な状況をお話ししてしまいました。

「75歳の壁ある」と感じますが、同じような境遇の方がいれば何かの参考になるかと思います。

 

Hiro


片付けも終わったが まだ半分(道志)

2025年01月05日 | なかま道志ベース

二日に女房と道志に入り、昨日(四日)に帰宅しました。今回の目的は二人でゆっくりすることでなく、片付けや掃除などで終始しました。

私は早朝より残材を燃やしています。乾燥していますので見守りながらの作業ですが、何故か見とれてしまいます。

やっと、あたりは明るくなってきましたが、もう8時近くになってです。

それまでの時間は、一昨日のネット障害(ブログ)で、いつも伺っている方々への訪問です。

みなさん、冒頭に接続障害(NTTへのウイルス攻撃被害)のことを話題にしていました。

そして、9時ちょっと前になりました。

冷え込むことを予想して「氷中花」を作る準備をしていたのです。

こうして、洗面器に水を張り自宅から持って来た草花などを浮かべました。

山の向こうから陽が射して来ました。

洗面器を裏返して見ると、氷中花が出来ていました。

青い空に掲げて見ると、こんな感じにです。

これも道志での冬の風物詩になりました。

しかし、水と草花を入れ過ぎたので、完全氷結していませんでした。

直ぐに崩れるように、見るも無残な崩壊です。

これも経験だと思います。

道志の朝はマイナス5度でしたので、ホースからの水も凍って出てきます。

ブログで知り合った、北海道旭川方の地域は、零下14度とお聞きしました。

日本は広いなぁ~と思う一瞬です。

帰宅の準備をしていますので、簡単な朝食です。

これといつもの白菜サラダでした。

女房は掃除機をかけて、私は持ち帰るものを車に積んでです。

水道の元栓閉めて、不凍液を流しトイレは便座は保温して置きます。一昨年ウオシュレットが破裂してしまいましので・・・。

普段は上げて置くフロントワイパーもそのままでした。エンジンをかけて解凍します。

道志街道を通って山道に入り、相模湖インターから中央道のコースです。

あぁ~っ。道志街道で車が渋滞しています。先頭車両がのんびりゆっくり運転だったのです。

カーブの手前からブレーキランプが点いたり消えたりしてかなり低速運転です。後ろの車もイラついているのか?あおっているようにも感じます。特にバイクは追い越すチャンスを狙っているようです。

この車とは途中で相模原方面に行きました。ここでお別れで、あとはスムーズな運転になりました。結局、普段より少し遅くなった到着時間でした。

いつものカップで、コーヒーを飲んで、ちょっと遅い昼食です。

それから、ちょっと出かけました。「さかな屋さん」に刺身を買い求めに行ったのですが、魚河岸がまだ開いていませんね。店は閉じられていました。

そして、コンビニへ向かいます。レジで買い物をすまし、袋に入れてバイクに戻りました。

あれ?無い!

ちょっと高価な片方の補聴器がありません。ポケットを探ってもありません。

急いでコンビニのレジへ向かいました。

店員さんもモノを退けて探してくれましたが・・・。

結局、袋を出す時に絡まって落ちてレジの反対側に落ちているのを店員さんが見つけてくれました。(私には欠かせない必需品で高価なものですから、安堵しましたよ!)

今年初の落とし物です。これから増えるのでしょうね。

さて、今日から私はジムへ。

女房は友だちとダンスパーティーに行って来ると言っていました。

それぞの趣味(楽しむのも)も良いのでしょう!

 

Hiro


モノ作りから改修の時期に!

2025年01月04日 | なかま道志ベース

一昨日も良く動きました。

かなり早朝に目が覚めました。その時は覚えていた初夢も直ぐに忘れています。

先ずは洗面後にコーヒーを飲むのが習慣になっていす。

道志に通い生活して、10数年が経過しました。それまでは作る・育てる楽しみでしたが、今や作ったモノの改修や大きくなった木の剪定になって来ました。

自然相手ですので、朽ちたり育ったりします。

やはり、お正月なのか?切り落とした枝も紅白になっています。赤い枝は梅かも知れません。

女房が起きる前から(6時半ごろの日の出前)から防寒対策して動き始めました。

切り落とした枝木などを処分です。これを終えるまでに、3000歩になっています。

歩いたのではなく、手を動かしていたからなのでしょう。

やっと、朝食にありつけました。普段は一人暮らしですので、お茶漬けやトーストなどあるのもで済ませています。

その後は、こちらの枝木の処分です。

蔦のかっらまった枝もオブジェになりそうです。

山のようにあった、枝木や落ち葉も片付けました。落ち葉は堆肥にします。

落ち葉やおが屑を花畑や畑に撒きました。やがては腐葉土と霜よけになるのでしょう。

その時期になれば、耕うん機(プチな)で耕します。

落ち葉は女房が履いてくれたり手伝ってくれて、思ったよりきれいに片付きました。

私は農機具小屋の剪定に入りました・・・。

女房は近くの温泉に行きたいと言っています。

近くの道志川温泉「紅椿の湯」に送り届けました。結構混んでいたようですが、温かいお湯に浸かってゆっくりとしたようで何よりです。

 

小屋に絡まる蔦も剪定しました。ガラス窓には家や山の景色が映っています。

このようにハシゴをかけて、覆っていたバラなども剪定しました。

この小屋も一人で作るには大変でした。

家の全景と広いデッキが見えます。

屋根に登ると、景色も変わります。

女房から迎えに来てくれと連絡がありました。温泉も気持ち良かったと・・・。

湧き水も勢い良く出ています。この1か月以上雨が降らないので、水源も心配です。

せせらぎの渡り木ですが、だいぶ朽ちて来ました。あれもこれも作ったと思い出します。

このせせらぎも、掘ってはシートを張り砂利を入れて作りましたね。

ワサビの茎がシカに食べられた痕跡があります。

水草に隠れているワサビです。

水面に青い空が映っています。空気は美味しいし、清々しい気分になります。

この辺りは次回入った時に片付けます。体力的にも限度ですね。

簡単な夕食(温泉で買い求めた食材)で済ませました。

今日は帰宅しますが湧き水をポリタンに積んで、片付けとちょっとした作業をする予定です。

朝5時の外気音はマイナス5℃でした。

昼ごろの道志を出ますが、道路は混むのかなぁ~?

 

Hiro


システム障害と二日の道志

2025年01月03日 | なかま道志ベース

昨日、元旦のまで使えていたブログ機能でしたがアップしようとしたら、うんともすんとも開けませんでした。他のネット回線は使えたのですが・・・。

正月早々でしたので、なんで?どうして?と言う感じでいました。

(結局は、2025年1月2日木曜 午前5時27分頃から、goo docomoにはアクセスできない状況で、外部から、サイバー攻撃?があったようです)

これだけパソコン(ブログ)生活に入り込んでいたのが分かりました。

*******

久し振りに、女房と道志に向かいました。

普段なら1時間30分はかからないところ、2時間以上かかりました。

中央道に入って直ぐに渋滞に巻き込まれました。

この富士山方向を目指します。

荷物を降ろし、早速動き始めました。風もなく日向ぼっこ出来るような感じです。

デッキで遅いランチです。やはり一緒にいると心強く感じます。

やはり、自然の中で外で日向ぼっこしながらのランチは更に美味しく感じさせます。

室内の窓越しから、ゆっくりしている女房が見えます。こんな姿を見ていると51年間も一緒にいただなぁ~と思ってしまします。

冬の道志とは思えないような、気温で青い空と澄んだ空気が時を一寸止めたような感じです。

私は前回やり残した屋根に被る枝木の切り落としです。梯子を固定して落ちないように(ケガしないように)細心の注意を払ってです。

見ずづらいかと思いますが、かなり切り落としました。

切り落とした大量の枝です。あとは処分と片付けです。

陽も落ちてきました。やはり寒くなって来ましたね。普段なら、ここから一人飯づくりですが、今回は女房が夕食づくりしてくれました。

食べながら、飲みながらいろいろな話になりました。たとえば、今後の生活やダンスをどうするの?とかです。

やはり、コロナ禍と退職後のハシゴを外されたような生活(気持ち)、その間にも諸々のことがありました。ここ最近になってジムにも通い出し、前向きになって来たところです。

お互いにそれなりに元気ですが、10日の健康診断の結果でなんと言われるかです。

道志の家も、作ることから補修することが多くなって来ました。

手放すこともそろそろかと考えています。まぁ~10数年たくさん楽しませてくれましたからね。

今朝の気温はマイナス2度でした。

7時半過ぎてもお日さまは上がって来ません。

今日も天気は良さそうですね。

霜も降りて、白い道志になっています。

朝のうちに(8時前)には枝木も半分処分して、すでに3500歩になっています。

今日は残った枝木の片付け中心になるのでしょう。

 

Hiro

 


お休み(1月2日)

2025年01月02日 | なかま道志ベース

gooブログのシステム障害によりお休みいたします。

 

Hiro


我が家にもお正月が来ました!

2025年01月01日 | なかま道志ベース

お早うございます。時は平等に止まりませんね。

我が家にも正月(元旦)が来ました!

家主としては、先ずは仏壇に手を合わせます。(拝)

紅白も見ずに、知らないうちに元旦になっていました。良く寝ていて幸せなものです。

カタチだけですが、年越しそばをいただきました。(おいしゅうございました!)

願うは先ずは、己(おのれ)の健康です。

昨年は指をケガして、診療所で12針処置してもらいました。

今年は、道志でケガしないことを願うばかりです。

誰に申し上げて良いのか?今年もよろしくお願いいたします。

 

Hiro


感動的な文「団塊シニアのひとりごと」さんより

2024年12月31日 | なかま道志ベース
拙ブログをご笑覧いただいている「団塊シニアのひとりごと」さんは全くの同世代で、いつも意味深い内容をご紹介されています。

今回は特に感じるものがありましたので、ご本人の承諾を得ずにご紹介させていただいます

「夫婦の絆を感じるさせる一枚のはがき」  2024年12月24日 老後の生き方より

全文をご紹介いたします。

日本郵便のはがきの名文コンクールで入賞した71歳の男性が神様に宛てたはがき、奥様との闘病生活の日々が目に浮かび奥様の無念さ、御主人の悲しみが癒えない気持ち、そして今なお奥様に対する熱い想いが伝わってくる素晴らしい内容に心を打たれた、その一枚のはがきを紹介します。

神様に宛てたはがき

七年前の今日、三年間の苦しい闘病生活を終え、妻が旅立った、一段落して妻のベッドを片付けていると、「もし生まれ変わったら、また結婚してくれますか」と記されたメモを見つけた。

力のない震えた字が愛おしかった「もちろん」と生きている妻に応えたかった。伝えたい言葉がたくさんあったのに、見せたい絵も、聴かせたいジャズも、行きたい街も、神様お願いです、

「僕の方こそお願いします」と必ず妻に伝えてください。と・・・・。

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縁側に咲くシャコバサボテン

これは私の話しになりますが、義父が他界した時に長男が父が母に対する想いを綴った手紙を見つけ、葬儀の際に読み上げた内容でした。そこには義父が妻に対する感謝と愛情の想いがあったのです。

「まさ子・・・苦労かけたな。・・・ありがとう。苦しまずに他界してください・・・」全文は控えます。

戦争を経験し、国鉄の機関区で仕事し昇進するための異動があっても、家族とは離れないと断った父です。小さな田んぼを耕しながら暮らしていました。今でも長男が米を送ってくれます。

女房(娘)を東京に出した後(私との結婚)も、子を思う親の気持ちか相当心配したのでしょう。胃潰瘍になり胃を切る手術もしたくらいの父です。

実際に義母と言うより、私に取っては実の母のようでした。前日まで長男夫婦や孫に囲まれて世間話をしていたようです。

翌朝 母はトイレに行き、寝室に戻る途中で倒れて苦しまずに帰らぬ人になりました。突然の別れに、その時の家族の驚きは相当なものがあったかと思います。

しかし父の想いを知っていたのか、母は苦しまずに他界いたしました。その時代でも、愛する妻への手紙を残していた義父でした。

私たちも結婚52年目を迎えます。義父や義母にも申し上げたいですね。おかげさまで幸せに暮らしていますよと・・・。

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我儘な私です。団塊の世代ですので、それなりに苦楽ある生活をして来ました。

私自身はまるでお釈迦さまの手のひらにいる孫悟空の様に、自由気ままに飛び回り暮らしてきました。

これも女房のおかげかと思います。私も生まれ変わったら、また女房にめぐり合いたいと思いっていますが、女房は今度は違う人と言っていました。

残念ながら それも有りかな?と思えます。

今年の大みそかになりました。そうぞ!みなさま良い年をお迎えください。

2日は道志でゆっくりします。

 

Hiro