続・黒柴ひめちゃんの葛塚村だよりⅢ

上野国山上・葛塚城堀之内に住んでます。ひめちゃんとおかあさんの見て歩きです。時には遠くにも出かけます。

新田館跡・総持寺

2023-09-05 13:50:19 | 早川物語2

ひめちゃんとタバサねーちゃんは、堀之内を西に出ます。

ムム、あんな所にシラサギがいる

そういえば、去年もあの辺にいたような

堀之内の西端を歩きます。

この飛行物体はトンボです。

今朝は、イヤにトンボが多い

 

 

 

今年のおおたんのスタンプラリー、最後は世良田の総持寺です。

スタンプは、山門の外にあります。

法事があったのでしょう。

黒い服の人が見えます。

邪魔をしないように、スタンプをゲットして、そこら辺を散策です

 

あれ、鐘楼堂の屋根が、新しくなってる

確か茅葺きのクラシックな鐘楼堂だったと思います。

ここは新田館跡ということです。

そろそろ説明板も新しくなってほしいものです

 

何様だろう?

 

 

寺の後ろを流れる早川を確認です

かなりの水量です。

新里の奥沢の山奥から流れ出して、長い長い旅をしてここまで来ました

早川の旅は、もう少し続きます。

 

橋の名は館橋(やかたはし)です。

向こうに見えるネットは、三ツ木のゴルフ場です。

女塚鉱泉(おなづかこうせん)も、早川の西にありました。

みんな世良田村だったのです。

昭和30年の町村合併の時に、三ツ木や女塚は尾島町ではなく、境町に合併しました。

 

早川を渡ると、今は伊勢崎市です。

 

早川の西を歩いて、館橋の一つ上流の橋を渡って戻りましょう

この先の左の方に、庶民の湯治場・女塚鉱泉がありました。  

女塚薬師鉱泉

一時は、女塚鉱泉入口というバス停もあったそうです。

 

名前のない上流の橋からの、総持寺と館橋です。

橋を渡って戻ります。

『上野国誌』の著者・毛呂権蔵さん宅もこの道沿いです

新里の人は知らないでしょうけど、毛呂さんちは舟田善昌館跡なのです。

 

総持寺は、何度か来ていますけど、未だに御朱印をと声が掛けられずにいます。

早川つながりで、縁のあるお寺なんですけど

 

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彦九郎が立ち寄った上田の大日堂

2023-07-24 13:29:36 | 早川物語2

ひめちゃんとタバサねーちゃんは、堀之内を西に出て、蕨沢川の東のくねくね道を歩いてきました。

赤城山は、姿を見せてます。

田んぼの稲は、生長しています。

 

堀之内に戻り、ミーナちゃんちの石垣で情報収集です。

この石は、古墳の石です。

ここらへんは、古墳がいっぱいあったようです。

たくさんの石が、庭石として利用されています。

 

早く帰って、御飯にしましょう

 

 

 

 

7月2日、早川が国道17号線をくぐる地点を散策してきました

 

この日、帰りに国道17号線に乗って大国神社の信号で左折、ちょっと寄道です。

紫陽花もまだ咲いてるし、初詣の時は石幢をあまりよく意識していませんでした。

大国神社の石幢を確認して行きます

六道輪廻というけれど、6度も生まれ変わって苦行しなければ極楽往生出来ないなんて疲れすぎ

少しでも、苦行が軽くなるのは誰でも願う所です。

 

お正月に上野国・五之宮と言うことで参拝し御朱印も戴いてます。

紫陽花の季節もいいですね

脇からの参道も、紫陽花の小径です

昔からの品種だけ植わっているどこかの公園と違って、ブランドものの新しい品種です

 

石幢です。

ここにあったのではなく、近くの御手洗池跡から出てきたのですね。

上で燈をともして、願いを込めて輪を廻したのかな?

 

拝殿で、2礼2拍1礼です。

さようなら、又来ます

 

 

大国神社の裏の道(県道292号線)を、しばらく走ります。

あれ、大日如来堂ですって

ちょっと寄っていきます

あれ、六地蔵さんだ

 

多くはないけれど、垢抜けた(?)石造物です

 

大日如来さん、お目にかかれるかな?

金色に輝く大日如来です

合掌

 

お堂裏にも、若干の石造物です。

如意輪観音さん、割れてなければ美人なのに

 

この大日堂については、検索しても分かりません

ただ、『東村誌』(群馬県佐波郡東村 昭和54)に、写真が1枚だけ載ってます

「高山彦九郎日記に出る上田の大日堂」とだけあります。

他にはいっさい解説はありません。

彦九郎さん、この辺りも歩いた記録が残ってるのかな?

作品名も載せて欲しかったなあ

 

 

 

 

 

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続・国道17号線をくぐって

2023-07-18 17:33:04 | 早川物語2

ひめちゃんとタバサねーちゃんは、天神田(字天神の田んぼ)から、字塚越(つかごし)を通って堀之内に戻ります。

道ばたの黄色い花がきれいです

でも、暑いよう

 

塚越の庚申塚古墳を通ります。

あれ、草刈りがしてある

祈りの造形が、日の光を浴びてます。

双体道祖神さん、お久しぶりです

この古墳の南は、昔は宿(しゅく)といって、商店が建ち並んでいたとか

 

 

 

早川沿いの自転車道から、県道315号線に出ます。

県道には自転車道があります。

ライダーさんも活用中です。

国道17号線(上武道路)をくぐります。

 

早川も、くぐってます

静かな流れです。

 

行く手に見えるのは、国道354号線です。

ここは三ツ木アンダーと名前があります。

三ツ木アンダーで、国道354号線をくぐります。

 

早川の土手に登ってみます

向こう(下流)に、三ツ木橋が見えます。

最近、何度も渡ってます

 

振り返って、354号線下の早川の流れです。

 

 

 

下流の三ツ木橋と県道315号線を見ながら戻ります

 

早川沿いの自転車道を戻ります。

左に見える森は、なんとなく鎮守の杜の雰囲気です

森の脇を早川に流れ込む小川があります。

森には社のようなものはないようです

 

 

車を止めた芝生公園が見えてきました。

ちょっと違う道を帰りましょう。

土手脇に調節池のようものかな?

ガマかな?

国道17号線が見えます。

早川のこちら側に、こんな景色がひろがっていたなんて

 

右の道を降りてきました。

水路が複雑に走ってるみたいです。

 

ガマの穂を見ながら帰ります。

 

駐車してある下田中芝生公園に戻りました

ところで下田中(しもだなか)って、新田でしたよね

 

『新田町誌基礎資料第8号 村々の沿革と絵図』(平成3 新田町誌刊行委員会)に、古い下田中の絵図があります。

下田中は、早川と石田川に挟まれた村だったのです。

石田川も蛇行していますけど、早川の蛇行は大きい

早川沿いには、庚申塚・諏訪などのパワースポットあったのです

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国道17号線をくぐって

2023-07-17 13:16:14 | 早川物語2

昨夜は、激しい雷雨に見舞われました

ひめちゃんは、お家に入れてと大騒ぎです。

でも、サークルのドアを開けたりするわけには行きません。

パニックになって、裏の道に飛び出したりしたら大変です

おかあさんは、サークルの側で、「大丈夫よ」としばらくの付き添いです。

タバサねーちゃんは、騒がずに静かです

同じ両親から忌まれたのに、雷反応も全く異なります。

 

今朝は、早朝から猛烈な暑さです

ひめちゃんとタバサねーちゃんは、堀之内を西に出ました。

タバサちゃん、側溝の上でジャンプです

 

諏訪神社の向こうの沼まで行きました。

沼には誰もいなくて、水は濁ってました。

 

暑すぎて、ここからUターンです。

今夜も心配だね

今朝は、除草剤を撒いてる人の姿はありません。

でも、お薬気を付けようね

 

 

 

新里町奥沢の山奥から流れ出した早川は南に流れ、淵名の大国神社東あたりから国道17号線(上武道路)にそって東南に流れます。

 

そして三ツ木のあたりで17号線をくぐり、南に進路を変えます。

7月2日、この進路変更地点を確認に出かけました

国道17号線を西今井のあたりで右折、橋を渡ると公園があります。

下田中芝生公園です。

誰もいないと思いきや、何人もの人です

けっこう利用されているようです。

あの高いネットをはったゴルフ場、三ツ木橋の側です

 

川縁で早川の流れを確認です。

濁ってるけど、水量あります

 

見下ろして公園です。

何があるという訳ではないけれど、ゆとりの空間です

 

川沿いの自転車道を歩いて、早川と共に国道17号線をくぐってみましょう

ちょっとお疲れの自転車道かな?

 

早川は曲がり始めます

 

自転車道反対側の景色です。

よくあの青い道路標示の所を通ってます

 

曲がってます

もうじき、17号線をくぐります。

上の道をいつも通っていたんだ

あれ、自転車道が終わりそうです

自転車道は終わりそうです。

振り返って、自転車道です。

 

県道へ降ります。

この道は県道315号線、三ツ木橋東に出る道です。

県道に自転車道です

国道17号線をくぐります

 

 

 

(つづく)

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湯殿一世之行人・源海(東光院法楽寺)

2023-07-15 16:50:15 | 早川物語2

雨上がりを待って、少し遅めの朝散歩です。

ひめちゃんとタバサねーちゃんは、堀之内の西に出ます。

マリーゴールド、土もほとんどないところにしっかり咲いてます

「雨が降ってくるといやだから、近回りで帰ろうよ

 

堀之内の端を歩いてきました。

あれ、アオサギだ

カメラが間に合いません

朝ご飯探していたのかな?

この道の右は堀之内、左は東芝(ひがししば)です。

山上の字(やまがみのあざ)もいっぱいあるね

 

 

 

6月12日、庶民の湯治場としてにぎわった、女塚鉱泉(おなづかこうせん)の記憶を確認できました

帰りは、東光院法楽寺に寄ります。

 

「女塚薬師鉱泉縁起」に、「この地の東光院住職玄海大僧正はこの水は飲み水には適さないが、暖めて入浴すれば万病に効果があると教えたのが始まりと聞いております。」とありました

 

『世良田村旧蹟案内』(昭和11年、世良田村誌編纂会)には、

                      
大字女塚の北方にあり。薬王山東光院法楽寺と称す。新義真言宗にして、大字世良田総持寺の末寺なり。開創年月は詳ならず。
安永年間、毛呂権蔵の筆記に曰く。
女塚の法楽寺は総持寺の寺中東光院とす。慶安二年に寺号を改め、今の地に移す。元は高橋の西、道の北に屋敷あり。今に其時の住持源海という人の墳あり。夫故高橋の西北の畠を源海といふ。
境内に先住の石塔五基あり、内宝塔形の一基に「湯殿一世之行人源海」と標題し。左右に「元和元年十一月廿九日」と刻す。是れ右に述ぶる所の住持源海なるべし。また卵塔の一基に「法印俊海不生安永七戌戌八月籾二日」と標題し、表面に「当寺建立寛心」と刻す。思ふに此建立とは、再建の意味にして創建の意味には非ざるべし。

境内別に法印重英の廟所あり。重英は正徳享保頃の当寺住持にして常に四方に巡錫し、囚人の疾病災難に悩む者あれば、加持祈祷を施して直ちに厄災を去らしむ。世人因て祈祷坊と称したり。

 

 

行きに素通りしてあるので、迷うことなく到着です。

祈祷法印開山堂ですって

もう女塚鉱泉との係わりは、忘れてしまったのかな?

玄海(源海)さんの記憶は、忘れられてしまったのかな?

 

真っ赤な屋根の本堂です。

隣に神社があります。

どこから入って、参拝しよう

ちょっと拒否されてる感じ

 

隣の元気な神社から参拝しましょう。

女塚稲荷大明神です。

2礼2拍1礼です

 

さて、本堂前で合掌です

建物はクラシックでいい感じなのですけど、隣の庫裏らしいところに声は掛けにくい

 

後ろの開山堂を覗きます。

祈祷法印・重英さんの廟所です。

合掌

 

開山道の脇には、歴住の墓標かな?

合掌

塔婆の立ってるところが気になります

うっかり確認してきませんでした

玄海(源海)さんお墓標かも。

今度行ったら、しっかり確認しましょう

 

 

裏には、東武鉄道伊勢崎線が走ります。

踏切を渡って左に、大きな墓地があります。

 

 

石造物の皆さんに、さようならです

ここは、佐波郡境町女塚(さわぐんさかいまちおなづか)でした

昭和30年迄は、新田郡世良田村大字女塚でした

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