続・黒柴ひめちゃんの葛塚村だよりⅢ

上野国山上・葛塚城堀之内に住んでます。ひめちゃんとおかあさんの見て歩きです。時には遠くにも出かけます。

女塚薬師鉱泉

2023-07-11 17:06:05 | 早川物語2

6時前なのに猛烈な日射しです

ひめちゃんとタバサねーちゃんは、堀之内の西を歩いてきました。

赤城山は霞んでます。

 

帰道になると、タバサねーちゃんは、元気に歩きます

 

朝ご飯の後、歯磨きガムを食べるひめちゃんです。

器用に両手でガムをつかんでます

 

 

 

『世良田村旧蹟案内』(昭和11年、世良田村誌編纂会)の作成された頃、世良田村女塚(おなづか)の女塚鉱泉は現役で賑わっていたようです

村の西の方に、薬師湯と温泉マークがあります

女塚を東北に走る道は、旧例幣使街道と重なりそうです。

女塚の南を走る道は、かつての国道354号線、現在の県道142号線です。

 

鉱泉は今では存在しないようですけど、薬師堂があると言うことです

6月12日、確認に出かけてみました。

 

だいたい見当を付けて出かけたのですけど、なかなか見つかりません。

諦めかけた時、お堂の脇に出ました

わずかな駐車スペースはあります

 

お堂の正面に廻ります。

 

「女塚薬師の道しるべ」ですって

道しるべと薬師堂は、本来は離れていたのかな?

設置者名はどうして消えてるのかな

 

確かに日光の文字はあります。

本来は何処にあったんだろう?

 

 

さて、参拝です。

薬師様に逢えるかな

 

 

ドアが開きます。

直接のご対面が叶いました

合掌

 

堂内には、奉納された絵画があります

女塚鉱泉の記憶です

 

「女塚薬師鉱泉縁起」のプリントがあります。

いただきます

江戸時代から昭和の戦後まで、庶民の湯治に人気だったのです

国道354号線(現県道142号線)には、女塚鉱泉入り口のバス停もあったんですか

いただいた縁起をよくよく見ると、さっきの井戸の跡は源泉です

感激

 

東には、早川が流れます。

ちょっと行ってみましょう。

 

上流の流れです。

あの高いネットのあたり、三ツ木橋です。

 

下流の流れです。

右上に見えるお寺は、新田氏館跡という総持寺です。

 

新里の奥沢の山奥から流れ出した早川、その早川沿いに庶民に人気だった鉱泉があったのです

 

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龍燈伝説の香林寺

2023-07-10 17:48:25 | 早川物語2

朝から強すぎる日射しです

ひめちゃんとタバサねーちゃんは、堀之内を西に出て天神田(字天神の田んぼ)を歩いてきました。

暑いねえ

でも、お家に帰ると、玄関に直行です。

入れてね

お家に入れてもらって、ひと遊びして、朝御飯と一緒にテラスのお部屋(サークル)に帰ります。

 

さくらもちさんに、赤ちゃんタバサねーちゃんの絵を描いていただきました

グルメとペットの絵のブログ

ありがとうございます

同腹のきょうだいたちと、ミニドッグランで思い切り遊んだ記憶の写真です。

15才になったタバサねーちゃんは、この絵のように天真爛漫に生きてるように思えます

 

 

 

6月11日、三ツ木(伊勢崎市境三ツ木)の香林寺を、数年ぶりに訪れました。

実は前日も寄ろうとして、付近を探したのですけど、見つかりませんでした。

まさか廃寺

ストリートビューでよくよく確認、ちゃんと存在してます

 

めだたなく住宅地の中にあります。

龍燈山香林寺(りゅうとうさんこうりんじ)です。

お堂の前で合掌

 

ここは『世良田村旧蹟案内』(昭和11年 世良田村誌編纂会)に、しっかり由緒が載ってます。

香林寺
大字三ツ木早川の西にあり。臨済宗にして勢多郡粕川村龍源寺末なり。慶長年間、新井五左衛門開基なり。同家先祖代々菩提、並に子孫繁栄の為創建したるものにて龍燈山香寺と称す。当地は元亀天正の頃、数度の戦争ありて、敵味方の戦死者少なからざれば、旁以て其の霊魂を弔ひしといふ。
 附 、香林寺の東早川の西に、龍燈堀趾なるものを存す。往古此処より、数々の龍燈上りし事あり。依て香林寺の山号に用ゐたるなりと云ふ。

 

臨済宗はまちがいです。

曹洞宗です。

勢多郡粕川村(前橋市粕川町)龍源寺で、末寺である事を確認済みです。

それにしても、どうして龍源寺末なのかな?

遠い

 

 

お堂の裏には古い墓石が積み上げられてます。

新しいお墓も増えてるような

 

前回の訪問、2017年12月、付近の家で庭仕事のおじさんと会話出来ました


『世良田村旧跡案内』にあった事を告げると、「ここは世良田村だったんだよ。」
「お寺はまだやってるんですか?」
「やってるよ。最初から曹洞宗だよ。」
「檀家はどのくらいいるんですか?」
「5軒。本家が抜けちゃってねー

おじさんには、新田郡世良田村の記憶が残ってました
おじさんは、開基家の分家らしかったです

今回は逢えませんでしたけど、檀家は増えてるようです

よかった

 

 

付近を少し散策です

 

香林寺前からの早川です。

 

左手に、三ツ木橋のあたりです。

 

自転車道からの、三ツ木橋です。

 

下流の流れです。

東武鉄道伊勢崎線の線路が見えます。

世良田駅と境町駅のちょうど中間当たりです。

 

龍燈堀址と思われるものは、やはりありません

蛇行する川は嫌われて、改修工事がされたのでしょう。


龍燈が出現するためには水が必要です。
早川から水を引いたか、あるいは早川へ注ぐ川か?


戦乱で多くの戦死者が出たというと人魂かな


早川付近に、怪火が出る条件はそろってます



新里の奥沢の山奥から流れ出した早川は、ここより少しだけ上流のあたり、国道17号線(上武道路)と国道354号線が交差して立体交差になっているあたりから、それまで東南に流れていた進路を南に変えます。
17号線の北側を平行して走っていたのが、17号線をくぐり、進路を南にとるのです

(後日、早川が進路変更するあたりを歩いてみました。記事はのちほど

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頼光塚と頼光塚公園

2023-07-08 16:50:34 | 早川物語2

今にも泣き出しそうな空です

ひめちゃんとタバサねーちゃんは、堀之内を西に出ます。

あれ、男の子がやってくる

ひめちゃんは、新しいボーイフレンドが欲しいようです

あちゃあ、行ってしまった

アタチが待っていたのに

クンクン、ひめちゃんは彼の情報収集です。

アタチは、そういうことは超越しております

本当かな?

 

本格的な雨の降り出しがお昼頃だったので、草むしり頑張りました。

ユリも雑草の海の中で、華麗に咲いてくれてました

椿は、どの木もみんな実を付けてます

椿が、こんなに実を付けるなんて、今まではなかったような

 

 

 

 

6月10日、小角田観音堂から県道291号線を帰り、頼光塚を探します。

らしきところをクルクル、見つかりません

 

頼光塚公園に出ました。

ここから北に150mですか。

ちょっと疲れたので、又出直しましょう

ここは、古墳群があったのですね。

遊具の向こうに、古墳イメージの塚があります。

 

 

翌日、ストリートビューでよくよく確認して、出直します。

めだたなく、でもしっかり存在してます

ビニールハウスと住宅地の間、知らないと見つかりません

昨日も前を通ったはずでした

 

ちゃんと説明板もあります。

笠懸野天神山の凝灰岩でできた、笠塔婆らしいのですか

 

確かに、斜めに一刀両断というように割れてます。

なんとなく仏のお姿があるかな?

合掌

源頼光が来たわけではなかったんですね。

 

 

雨なので、無理をせずに帰ります。

渡る川は早川です

橋の名を確認です。

「じんやはし」です

あの東村を支配していた久永氏の、陣屋(大東神社)の近くです。

残念ながら、赤城山は見えません

 

一つ上流の橋を渡って、県道291号線に戻ります。

渡る橋は、神社橋です

先日訪問した、大東神社&水生植物公園の近くです。

 

そばには、遊歩道です

早川物語です

新里の奥沢の山奥から流れ出した早川は、伊勢崎市東町(旧佐波郡東村)でも、大きな存在なのです

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早川の蛇行点・西今井中世館跡

2023-06-01 16:55:55 | 早川物語2

4年前の6月初旬、獅子丸は実家に戻りました

実家には、小次郎パパと七海ママの両親もまだ健在でした

パパとお散歩というわけにはいかないけれど、おねーちゃん達やママやひめちゃんと楽しくお散歩してました

本日は、7年ぶりに実家に帰ってまもなくの獅子くんアーカイブです。

このころ、東の牧場に行って、初めてヤギという生物に遭遇しました。

ひめちゃんと、時折、ヤギさんに逢いに行きました。

 

 

 

妙見寺の先には、石造物群がありました。

 

朱の跡が残る青面金剛です。

上州新田領今井村の文字が見えます。

新田だったんだ

イワザル&キカザル、目が生きてます

 

ちょっと個性的な如意輪観音です。

 

あのお地蔵様だけ、覆い屋が付いています。

それなりの御利益のお地蔵様かな?

 

宝篋印塔っぽい石造物も見えます。

江戸時代から今日迄使用されている、現役の墓地のようです

 

記憶を辿って細い路地を通り、西今井中世館跡に、やっと辿りつきました。

だいぶ前に来た事があります。

この館跡は、「上今井中世館跡」ともいわれ、鎌倉時代新田氏の一族である今井氏が居住し、後に桐生から茂木氏が移住んだと伝えられる。~(中略)~新田庄西方を流れる早川は、当時の潅漑水利にとって重要な役割を担っていた。この館はちょうど早川の蛇行点に位置し、堀は早川の水を貯蔵し、堰は水量調節という役目を果たしていたと考えられる。当寺の館をめぐる堀は敵に対する防御という他に、農業用水の安定というもうひとつの役目をもっていた。ここで貯水され、水量を調節された水は南方の中今井・下今井・女塚・世良田等のいわゆる「空閑の郷々」の水田の西半分を潅漑していたと思われる。

 

そうだったんですか

前回はさほどの感動もなかったですけど、今回はおおいに感動です

 

堀の名残かな?

重要な史跡ですね

 

 

妙見寺方面に戻ります。

妙見寺の隣は、西今井会議所です。

以前ここまで来ましたけど、その向こうがお寺とは思えず引き返してしまいました。

もっと元気が出るように、幟でもはためいていればいいなあ。

 

中世においては、妙見寺あたりも館の中だったのでしょう。

また、西今井中世館跡の裏を通って帰ります。

 

振り返ると、国道17号線(上武道路)です。

あの向こうは、早川です

でも、かつては蛇行してここら辺を流れていたんですね。

西今井中世館跡は、かつての早川の記憶でした

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元気が湧き上がるパワースポット(?)妙見寺

2023-05-31 20:54:21 | 早川物語2

ひめちゃんは、一人散歩で山上城の向こうを歩きます。

山上城に入る手前の耕作放棄地っぽい畑で、ポピーがインパクトいっぱいに咲いています

ひめちゃんは、興味なさそうで、なかなかコラボしてくれません。

 

山上城三の丸の南を通って帰ります。

 

山上城東側の田んぼも、田植えが始まりそうです

常広寺の壇信徒会館(旧城山幼稚園)が田んぼに映ってます

 

ケンくんちのそばを通って帰ります。

ムム、黄色い帽子の集団(小学生の集団登校)がやってくる

アタチは、いくつになっても子供が苦手です

ゆっくり通過を待って帰ります

 

 

 

一昨日(5月29日)、用足しついでに国道17号線(上武道路)を南に下り、早川右岸の妙見寺と西今井中世館跡(旧佐波郡境町)に足を延ばしました。

境交番前で、右折です。

最近まで、堺警察署前だったのに、ちょっと寂しい

まもなく表示に従って、左折です。

あそこかな?

右手に見えるクラシックな建物に惹かれて右折です

 

あれ、ちょっと違うかな?

もしかして、この先はあの西今井中世館跡?

 

バックして戻り、少し先の御堂らしきところを目指します

川というか水路が走ります

早川から引いてるかな?

 

御堂の正面に廻り込みます。

堂宇は一つだけ?

 

妙見寺とあります。

妙見寺はHpによると

妙見寺は元気が自然と湧き上がってくるパワースポットです。

当寺は山梨県にある身延山久遠寺を総本山とする日蓮宗のお寺です。正式名称は上榮山文明院妙見寺と申します。明治18年(1885)の創建で開山は文明院日薩上人、開基は文和院日燦上人です。

 

わずかに開いてます。

失礼します。

とりあえず合掌

 

賽銭箱の右に御朱印が何枚かあります。

月末で少なめになってるかな?

御朱印や御札の値段一覧があります。

できれば直書きが欲しいなあ

 

隣の建物を覗きますけど、反応がありません。

 

やむなく、賽銭箱に500円入れて書き置きを1枚いただきます。

この子は、ここの子かな?

 

 

さて、境内散策です。

文政・元文の年号が見えます。

墓石です。

妙見寺が開山される以前、ここにはお寺があったのかも

 

薔薇がきれいに咲いてる

実家では、仏様にはトゲのある花をあげてはいけないと教えられたけど、今は気にしないのかな

「わら観音」ですか

「わらをもつかむ思い」から「笑って過ごせる生活」に変えていきましょう。

いい言葉です

合掌

 

 

参道をゆっくり出ます。

アジサイが色好き始めています。

北辰妙見大菩薩?

 

門柱を出ます。

門柱からすると、堂宇はちょっと新しい

少しミスマッチな印象

こちらから入って参道を進むと、もっと元気をもらえたかな?

 

門柱の先にはたくさんの石造物です。

やっぱり妙見寺以前にも、お寺があったかも

 

 

(つづく)

 

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