続・黒柴ひめちゃんの葛塚村だよりⅢ

上野国山上・葛塚城堀之内に住んでます。ひめちゃんとおかあさんの見て歩きです。時には遠くにも出かけます。

続・桜と土俵(相生・愛宕神社)

2024-05-07 17:39:10 | 県道3号線紀行2

雨の朝です

ひめちゃんは貧乏カッパでお散歩です。帰ってきて玄関から入り、フキフキしようとすると、悲鳴をあげます

右耳が痛いようです。

ここ数日なんとなく首をかしげてました。

でも動物病院も連休中、本日やっと受診出来ました

大変な込みようで、大型連休がいい面ばかりではないようです

耳の中が化膿し、腫れていました

お母さんには見せないけれど、動物病院の先生には、ちゃんと見せてます。

綿棒で拭いてもらって、耳薬を垂らしてもらって、レイザーを数分間照射です。

悲鳴を上げることもありましたが、先生をかじったりしません

ちゃんと治してくれる人と分かっているようです

注射を2本して一週間分のお薬が出て、また来週受診です。

 

本日は、ひめちゃんきょうだいのアーカイブです。

12年前の春、赤ちゃんの琥珀丸(こはくまる)です。

 

 

琥珀丸は、すばしっこい自己主張の強い子でした。

獅子丸は、シロタビをはいたおっとりした子でした。

右の写真、下にいるのが獅子丸です。

きょうだいで、いっぱい遊びました

 

 

 

(4月8日)相生・愛宕神社の散策続けます。

 

駒犬さん、こんにちは

 

日本の狛犬です。

 

昭和28年とあります。

日本製の狛犬は、しっくり風景に馴染みます

 

拝殿で、2礼2拍1礼です

額はシンプルです。

拝殿も比較的新しいかな?

 

 

拝殿の後ろにも赤い鳥居が見えます。

 

右手には、愛宕神社の本殿です。

なんとなく耐火建築の雰囲気です。

 

赤い鳥居の向こうは、稲荷神社でした。

2礼2拍1礼です

 

隣には、白瀧神社です。

2礼2拍1礼です

 

稲荷神社・白瀧神社の後ろには、石造物が顔を出しています

僧侶の墓石も見えます。

神仏習合の時代に、ここを管理していた別当寺の記憶かな?

合掌

 

本殿の脇を通って戻ります。

 

さっきは気にならなかったけれど、拝殿前にはしだれ桜が満開です

 

 

振り返って拝殿です。

しだれ桜が入ると趣深い景色です

 

秀ノ山雷五郎ゆかりの土俵を、もう一度確認です。

これと同じ形の土俵が、「宮城の先人達・第16話」にも映ってました。

 

この地の出身の高木源之丞は、日光例幣使街道・八木宿で成功した油商人で、奉公人・辰五郎の後援者となって、彼を相撲界に送り出したのです。

辰五郎は後に、横綱・秀ノ山雷五郎となったのです。

慶応4年(1868)、愛宕神社に土俵が開かれ、年寄り秀ノ山雷五郎の名の下に、盛大に奉納相撲が行われたのです。

 

秀ノ山雷五郎ゆかりの土俵、いつまでも大切にして下さいね

 

 

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桜と土俵(相生・愛宕神社)

2024-05-06 15:23:33 | 県道3号線紀行2

今朝も早いお散歩です。

ひめちゃんは、堀之内を北にでて、高縄の集会所を廻って帰ります。

いつもより一本西の道に入ります。

 

ここはまだ除草剤が撒かれてないでふよ

クンクン、誰か通ったようでふ

この道は、みんなでよく歩いたね

みんな元気で若かった

楽しかったね

 

 

 

4月8日、東の桐生市内からの帰り、満開の桜に誘われて、愛宕神社(桐生市相生町)に寄りました

よく通りますけど、なぜか寄りずらかったのです

 

神社前を、県道3号線が走ります。

 

元気な幟がいっぱいです

 

参道の左には、児童公園です。

境内に児童公園があったんだ

 

桜満開の参道です

 

社殿が見えてきました。

右の方に見なれないものがあります。

土俵です。

どうみても土俵です

でもどうしてここに土俵があるのだろう

 

その答えは、社殿への階段、右下にありました

一部拡大です。

ここの出身の高木源之丞は、日光例幣使街道・八木宿で成功した油商人で、奉公人・辰五郎の後援者となって、彼を相撲界に送り出したのです。

辰五郎は後に、横綱・秀ノ山雷五郎となったのです。

慶応4年(1868)、愛宕神社に土俵が開かれ、年寄り秀ノ山雷五郎の名の下に、盛大に奉納相撲が行われたのです。

 

すごい由緒の土俵なのです

YouTubeで「宮城の先人達・第16話」観ました

 

(つづく)

 

 

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続・(天保3年から無住)桜の南蔵院

2024-05-02 21:23:46 | 県道3号線紀行2

ひめちゃんは、赤柴の超老犬・プーちゃんの前を通って、堀之内の西を歩いてきました。

 

実っても刈り取られなかった稲、土に帰ったようです。

日本の農業どうなって行くのかな

 

タバサねーちゃんは、そこらまでのちい散歩です。

 

帰道は、飛ぶように歩きます。

 

昼間はお外犬です。

昨日は昼頃から土砂降り風の雨になって、ひどいことになったでふよ

今日は大丈夫でふかねえ

 

 

 

 

4月12日、旧粕川村の伴内酒造跡と粕川土手の桜並木の後、県道3号線に出ました。

少し北の方に、天保3年から無住だという南蔵院というお寺があったはずです。

無住なのに、桜がきれいに咲いていました

天保3年から無住・桜の南蔵院

 

今年はどうかな?

寄り道して行きましょう

 

咲いています

石造物も、まだしっかり残っています。

 

『ぐんまのお寺 真言宗Ⅰ』によれば、

南蔵院(なんぞういん)ー勢多郡粕川村

南蔵院の由来は『上野国郡村誌』によれば、「開基創建は不詳。天保9年(1838)2月22日に焼失する。元治元年(1864)に仮本堂を再建する。当寺は天保3年(1832)より無住となり、本地の赤城寺(せきじょうじ)の住職が兼務している。」とあり、この天保9年の火災で古記録などすべて失ってしまった。明治8年(1875)に村方が提出した「無住寺院取調御届」によると、「本堂、庫裏共に一戸 萱葺 間口八間半 奥行四間半 天保9年3月住僧初瀬へ出世に参り、帰国仕ズ。是迄無住ニ御座候」~(中略)~南蔵院は天保年間(1830ー1844)以降無住となり、本寺である宮城村の赤城寺の住職が兼務している。現堂宇は大正末期に再建された。しかし檀家の離檀が相次ぎ衰退した。 

 

和尚さんが初瀬に行ったきり帰ってこなかったんですね

 

前回の訪問時より、咲き進んでるかな?

 

 

 

無住でも、桜はきれいに咲いてます

石造物も、ほぼ残ってます。

今のご時世にも、時の流れが止まったようなゆったりとした空間です

寄ってみてよかった

また来まーす

 

この入り口付近に駐車してました。

そのまま路地を進みます。

鳥居があって神社があります。

寄って見たいけれど、境内の集会所に人が集まっているみたい。

うまく駐車出来ずに、Uターンして南蔵院前に戻ります。

 

折角だから、裏から廻り込んでみよう。

 

横(西側)からの南蔵院です。

やはり桜の南蔵院です

 

少しウロウロして、裏から神社駐車場に廻り込みました。

八幡宮です。

拝殿で2礼2拍1礼です

前回も寄ろうとして、寄れませんでした。

初めての参拝です。

 

拝殿前から鳥居を眺めます。

大げさにいえば、桜の花びらジュウタンの参道です

駒犬の向こうまで出てみます。

 

振り返って駒犬です。

こんにちは

杉木立の中の、村の鎮守様ですね

やっと参拝出来ました。

 

 

さて、南蔵院前を通ってつき当たりを左折、県道3号線に出ましょう。

 

 

少し行くと、上毛電鉄・新屋駅です。

行きには気づきませんでした

 

また少し行くと、大きな道祖神です。

行きにも気になりましたけど、後続車があって停車できませんでした。

現役で活躍中のようです

この道は人々が行き交う街道だったのでしょう

 

南に行くと県道3号線、北に行くと何処に行くのだろう

 

南蔵院の本寺は鼻毛石(旧宮城村)の赤城寺です。

鼻毛石に行きそうです

鼻毛石は、ひめちゃんたちのパパ・小次郎の生まれ故郷です

 

 

 

 

 

 

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続・鳥居が小さく見えます(村主神社)

2024-04-24 16:35:20 | 県道3号線紀行2

強い雨の朝です

ひめちゃんとタバサねーちゃんは、貧乏カッパでお散歩です。

 

去年の今頃は、膳城趾公園や鹿田山フットパスによくお出かけしていました

 

 

 

2人ともお出かけを待ってます。

今度は何処に行こうか

 

 

 

吽形の狛犬さんの後ろに、大きな切り株があります。

 

でも、先に村主神社の由来を確認しておきましょう。

ちょっと見えにくい

延喜元年(901)創建とすると、1000年以上の古社です。

 

彫り上げた御神木の、大きな大きな根っこが、保存されています。

赤城山から見ても、この杉の巨木で、村主神社の位置が分かったとあります。

数年前に、ここで出逢ったおじいさんもそのように言ってました。

 

大きい

合掌

 

 

さて、しだれ桜が似合う駒犬さんの脇を通って、裏の鳥居も確認です。

 

 

 

お地蔵様です。

どうしてここにおいでなのでしょう?

 

合掌

 

通路の左手には、境内社です。

 

裏鳥居を出ます。

ちゃんと額も村主神社です。

一の鳥居から一直線かな

巨大な桜の下に鳥居が見えます。

 

 

再び裏鳥居を入って帰ります。

数年前、ここで出逢ったおじいさんに、自音寺沼を教えてもらいました。

ここでの出合いが、忘れられていた歴史の一コマを教えてくれたのです

また、高津戸の自音寺に行ってみましょう

 

桜の巨木で、鳥居が小さく見えた村主神社でした

 

 

 

 

 

 

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鳥居が小さく見えます(村主神社)

2024-04-23 16:46:59 | 県道3号線紀行2

今にも泣き出しそうな空です

ひめちゃんとタバサねーちゃんは、堀之内を西に出ます。

ひめちゃんは、タバサねーちゃんのお尻の匂いを嗅ごうとして、叱られました

どうしてでふか?

ママが教えてくれたのでふよ

 

ひめちゃんたちのママ・七海は、「恋の季節にはママとノカリッこするのよ」とひめちゃんに教えました。

ケンくんは大好きだったけれど、ケンくんを受け入れるという選択肢はなかったようです。

ひめちゃん、恋の季節?

 

まもなく降り出して、朝散歩は早々に切り上げです。

今日は室内犬です

 

ムーハウスガーデンには、早くもダッチアイリスが咲き始めました。

一重のモッコウバラも咲き出しました。

上野国山上も、春真っ盛りです

 

 

 

 

4月11日、伊勢の杜の神明宮から、村主神社(すぐろじんじゃ)を目指します。

代車でナビのない車だったので、記憶を頼りにウロウロ。

枯れ草の絡まる酒蔵の大きな煙突が見えました

でも、後続車があって停車できません

捲土重来を期して(翌日、再訪しました)、村主神社めざしました。

 

境内に駐車です。

振り返って鳥居です。

 

大きな大きな桜があって、鳥居が小さく見えます

確かあそこらへんに、「武田勝頼の逆さ梅」があったはずです。

 

ありました

 

天正8年(1580)、武田勝頼は膳城攻撃の時、ここで休息を取ったとあります。

そして持っていた梅の鞭をここに刺した。

それが根付いて、400年以上の歳月が流れている。

 

膳城までは、もうすぐです。

 

数年前、このあたりで、シニアカーに乗ったおじいさんと色々話しました

自音寺沼も教えてもらいました

そして、大正15年1月1日未明の常広寺(桐生市新里町山上)火事の時には、みんなで駆けつけた話もしてくれました。

さらに、その後みんなで離檀したとも話してくれました。

 

お元気かな?

残念ながら、再会出来ませんでした

 

 

鳥居をくぐります。

 

 

 

手水社には、元気な若い龍です

 

龍の爪は3本です

 

 

駒犬さん、こんにちは

しだれ桜が似合いますね

 

 

 

 

しだれ桜とよく似合ってますね

 

拝殿で、2礼2拍1礼です

わりとシンプルな額です。

 

 

(つづく)

 

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