どんよりとして、雪が降り出しそうな朝でした。
ひめちゃんとタバサねーちゃんは、堀之内を北に出て、岩神沼まで行ってきました
沼の西に細道があります。
残念、途中で行き止まりです
戻って、沼前で、はいポーズです
獅子くんが、よくやってくれたね
ひめちゃんも、そろそろ換毛が始まるかな?
ひめちゃんとタバサねーちゃんは、今日は一日中おうち犬です
朝ご飯の後、ちょっと外に出てみると、雪が降り出しています
暖かさに誘われて咲いた椿、大丈夫かな?
賀茂神社の駐車場のすぐ隣は、法楽寺です。
高い塀の向こうなので、賀茂入沢川の方から、回り込みます。
雰囲気として、神社とあまり交流がなさそうです。
賀茂神社の旧参道を下ります。
法楽寺駐車場は、それなりの広さのようです。
こんにちは
ちょっと険しい顔です
山門に回り込みます。
右手の石仏です。
凜とした青面金剛です
しっかり邪鬼を踏みつけています
左手の石造物です。
あれ、「納経所 別当法楽寺」ですって
隣の青面金剛は、お姿がありません
神仏分離の時に削り取られたかな?
賀茂神社の脇からの沢です。
川ではなく、沢です。
水がほとんどありません。
山門をくぐって、右手に御賓頭盧(おびんづる)さまです。
せっかく目立つ所にあるのだから、御賓頭盧さまの御朱印でもあるといいなあ
とりあえず、合掌
墓地と六地蔵さんは、神社側の西方にあります。
賀茂神社の森がすぐそこです。
本堂前で合掌
法楽寺の御正体ですか。
賀茂神社にあったのが、神仏分離の時に、こちらに引き取られてきたのですね
写真でもあるといいのになあ
静かすぎて、庫裏を尋ねて御朱印をという雰囲気ではありません
静かに、退散です
さきほどの橋を確認です。
橋は賀茂橋でした
『ぐんまのお寺 真言宗Ⅰ』(平成13 上毛新聞社)によれば、法楽寺は
寺伝では、「天喜5年(1057)八幡太郎義家は朝廷の命に随わぬ奥州の阿部貞任と宗任を討つため、当寺に立ち寄り戦勝祈願した。
戦いは勝利をおさめ、康平元年(1058)3月、戦勝のお礼のため賀茂神社と当寺の間に舞台を造営して、法楽の舞を奏上した。
後にお供の周東刑部左衛門が当地に残り、八幡太郎義家の命によって戦没者の慰霊のため、当寺を建て替えて山号を八幡太郎にちなみ八幡山とし、寺号は法楽の舞を奏上した事から法楽寺と名付けた」と伝える。
この伝承を史実とする史料は残念ながら不明である。
賀茂神社でも、義家が奥州討伐の戦勝祈願をしたとありました
戦勝祈願ばかりしてると、戦いの前に疲れてしまいますね
この寺には、戦を勝利に導く有名な仏があったんでしょうか
戦没者の慰霊のための場所は、戦いの行われた所・奥州にもっと近い方がいいでしょう
わざわざ、お礼に舞台を作って法楽の舞を舞ったんですか。
お供の周東刑部左衛門、なぜ残ったのでしょうか?
ロマンがいっぱいの伝承です