こぬか雨の朝です
ひめちゃんとタバサねーちゃんは、諏訪神社まで行ってきます。
ひめ、早く行こうよ
ひめちゃんは、庭の隅の笹の葉に食いつきます。
しばらくムシャムシャして、やっと出発です
諏訪神社前のコスモス、いい雰囲気です
用を済ませたし、本降りにならないうちに帰りましょう。
ひめちゃんちの鉢植えの蓮、3本目の花芽が大きくなってきました。
最初の花は種が成長していそうです。
7月28日、渋川市北橘町(旧勢多郡北橘村)の発掘情報館に出かけました。
あるスタンプラリーのスタンプをゲットするためです。
受付でスタンプをゲット、もう一件別のスタンプラリーの用紙ももらいました。
忙しくなりそう
館内を見学です。
貴重なお宝がいっぱいです。
さらにうれしいことに、カメラOKです
ハート型土偶です。
こんにちは
出土地の郷原駅を訪ねたこともありました。
遮光器土偶、いわゆるサングラス土偶です。
本場の東北地方から、はるばる唐堀遺跡まで運ばれてきた搬入品と考えられます。
東北地方が本場なのですね。
多賀城の博物館でお目にかかったことがあります
「甲(よろい)を着た古墳人」です。
6世紀初頭に発生した榛名山大噴火の際、甲を着たまま火砕流に巻き込まれた成人男性です。
赤城山南麓に残る弘仁九年の地震地形と被災遺跡です。
3:新里村板橋・山街道
5:新里村高泉・向江
6:新里村大久保・原
7:新里村前田原
8:新里村砂田遺跡
9:新里村蕨沢遺跡
10:新里村板橋・上中堀
むむ、新里村が多いぞ
『類聚国史』の記述が引用されています。
弘仁九年(818)七月、相模、武蔵、下総、常陸、上野、下野などの国に地震があった。山が崩れて谷が数理にわたって埋もれてしまい、圧死した百姓は数えることができないほどである。
朝廷は、この時租税を免じ、救済措置も執ったといいます。
新里村の辺りは、弘仁の大地震で大きな被害を蒙ったのです
そしてその巨大地震の爪痕も残ってるのです
具体的に何処なのか分かりませんけれど、8:新里村砂田遺跡&9:新里村蕨沢遺跡は近いぞ
余計なことかも知れませんけど、蕨沢遺跡の側を流れていたのが、もともとの蕨沢川(わらびさわがわ)でしょう
河川の改修工事等によって、現在は山上芝の童沢貯水池が蕨沢川の始点となってますけど。
もう一つ余計なことを言えば、山上の多重塔が建立されたのは、延暦20年(801)です。
無事だったのかな