ひめちゃんとタバサねーちゃんは、堀之内を西に出ます。
まだカンカン照りではないので、高齢犬のタバサねーちゃんも、少し遠くまで歩けそうです
久しぶりに山上の薬師の道でも行こうか
諏訪神社の向こうの高台中央で、北に進路をとります。
お久しぶりの薬師の道です。
草に埋もれているけど、みなさんご無事です。
合掌
この道の先には、正泉寺(しょうせんじ)です。
今は山門を残すだけで農耕されています。
でも、常広寺が兼務と言う形で、寺としては存続しているそうです。
右折して帰ります。
少し行くと、姿は見えねど、川を渡ります。
胡桃の木の下を、水音を立てて流れる川があります。
この川は、山上の元蓮田の脇を流れ、膳八幡神社の脇を流れ、やがて八幡(やはた)橋で蕨沢川(天神川)に合流します。
地図を眺めると、ここが始点です。
でも、振り返ると、もっと先から流れてきているようです。
そのうちに探検してみましょう
8月9日、吾妻から大正橋で利根川を渡って、国道353号線で帰ります。
おや、妙にクラシックで気になる建物があります。
上三原田(かみみはらだ)の歌舞伎舞台です。
噂は聞いていましたけど、そして何度も前を通っていたけれど、初めて気がつきました
一応駐車場もあります。
これは是非見学です
懐かしい心安らぐ景色です
説明板を確認です。
この地、赤城町上三原田に生まれた大工、永井長治郎翁が各地を巡遊した後、大阪で技術を修行し、工夫考案して文政二年(1819)に赤城山天竜寺境内に建立した。
それを明治十五年(1882)に現在の地に移設した。
そんなに凝った建造物を、何故わざわざ移転したんだろう?
『ぐんまのお寺 天台宗Ⅰ』(上毛新聞社 平成11)に、赤城山天龍寺(勢多郡赤城村大字上三原田)があります。
舞台移設の経緯もありました。
文政二年(1819)、名工永井長治郎が、龍龍寺境内へ歌舞伎回り舞台を建築した。しかし、龍龍寺が三原田学校の校舎に使用された(明治七年)ので、教育上差し支えがあることから、明治十五年(1882)に、現在地に移転された。(角田恵重『名工永井長治郎伝』)
現在とは価値観が違うのでしょう。
教育的に差し支えがあったんですか
むしろ教育的な事のように思えますけど
上演の写真です。
客席のアーチは、地元の人々が竹を組みあわせて、作るんだそうですね。
由来がありそうだけど、分かりません。
左から見学です。
舞台正面です。
赤城山が見えます
ここは勢多郡赤城村でした。
振り返って客席です。
ここに巨大なアーチのドームが作られるんですね。
地域の人々の協力って素晴らしい
駐車場の側に、バス停「舞台上」です。
赤城山の中央に聳える地蔵岳が見えます