小雨の朝です
でも、ビンボー合羽を着るほどではないかな?
でもでも用心して遠出は避けて、夕方の短めコースです。
だれも来ないね
みんな、お散歩しないのかな?
庚申塚古墳を南に下ります。
ここには祈りの遺物と共に、若干の墓石もあります。
奥には僧形の墓石も1基あります。
小さな御堂があったことも、ありそうな場所です
道際の観音様の台石には、上野国勢田郡箱田某とあります。
ずっと東の、鏑木川の向こうに多い名字です。
交流があったのかな?
ここには双体道祖神です。
南に下ります。
いつも何気なく見過ごしている、巨大な道祖神です
これほど大きい道祖神は、なかなかお目にかかりません。
すっきりしたデザインです。
こか大きな道祖神が必要な幹線道路だったのかな?
すぐ近くには、よく似た感じで庚申塔です。
2つの石は、同じ所から運ばれたかな?
その南には道標です。
ひめちゃんたちの協力が得られなくて、西面と南面だけの撮影です。
彼女らは、案外自己主張の強い頑固者なのです
西側には「新里・・・」、たぶん設置者でしょう。
南は、「伊勢崎・赤堀」かな?
いずれにせよ、ここは交通の要衝だったのです
東に向かう細道を帰ります。
この細道は、かつては人々の行き交う道だったのです。
道ばたに、「南無阿弥陀仏」の文字塔です。
台座にたくさんの人名があります。
振り返って、かつての幹線道路です。
つきあたりの左手に道標、右の電柱の下に道祖神と庚申塔があります。
ひめちゃんたちは、「南無阿弥陀仏」の文字塔の先を左折北上、堀之内へ帰ります。
写真を撮り損なってしまいましたけど、左の家の前にかつては沼がありました。
さっきの「南無阿弥陀仏」の文字塔から、道なりに沼の前を通って、鏑木川を渡って大間々方面に行っていたのです。
しばらくく前に耕土改善とかで、地形も道も全く異なる風景になってしまいました
山上の住人になって○十年、沼の記憶はかすかにあります
古い資料が見つかりました
明治6年の山上後閑村の地図です。
右の黒丸が沼です。
沼の前を道が東に走ってます。
塚とあるのが庚申塚古墳です。
おや、その少し南にゲートの様なものがあります。
ちょうど、あの道祖神のあるあたりです。
少し西を見ると、稲荷様ですって
今は跡形もありません
地主・無量寺が何カ所もあります。
無量寺は、ここらへんの土地をたくさん持っていたのです
今では堂宇もなく墓地を残すだけで、でも存在するお寺です。
明治の初め頃は元気なお寺だったんですね
ケンくんちの側の忘れられたパワースポットも、地主・無量寺の所かな?
大分前に県立文書館で古い地図のコピーをもらってありました。
熱心に文書館に通っていた頃もあったのです。
今朝のムーハウスガーデンに、きれいに咲いてくれた花々です
ロイヤルサンセット、きれいなオレンジです。
ニュードーン、ツル草にめげずに咲いてくれました。
玉アジサイだったかな?
日当たりが悪く、葉っぱが汚くなってます。
対策が必要ですね。
秋のガーデニング、ガンバリます