雨の朝です
ひめちゃんとタバサねーちゃんは、小やみを狙ってそこらまでのちい散歩です。
でも、やっぱり濡れてかえって、玄関でフキフキシテもらっておうちの中に入れてもらいます。
雨に濡れて帰った時のご褒美として、定着してきつつあります
おうちの中でちょっと遊んで、朝ご飯と共に自分のお部屋(サークル)に帰ります。
今朝は写真がありませんので、初めてレインコートを来たの獅子丸のアーカイブです。
実家に帰って約2ヶ月、2019年7月の獅子くんです。
ついでに、この頃の元気な獅子くんです。
獅子くん、大好きだよ
青蓮寺の説明板にあった付近の案内図です。
尚純萩公園(ひさずみはぎこうえん)が義国神社(義国公墓所)のそばになかったので心配していましたけど、一本東の道でした
県道142号線(旧国道354号線)を左折すると、まもなく岩松山跡です。
青蓮寺は、もとはここにあったのです。
すぐ北の森が尚純萩公園です。
あそこにみえる五輪塔が、岩松尚純夫妻の墓ですね。
入口の尾島カルタを確認です。
石に刻まれた碑もあります。
青蓮寺に尚純の自画像が残されていると言うことですから、この絵は尚純の自画像ですね。
尚純夫妻の墓です。
五輪塔が三基あります
説明板もあります。
尚純は、横瀬(由良)氏に金山城主としての座を追われ、ここに隠棲して、連歌の道に生きたのです。
そしてここには、連歌の道場として、多くの文人が訪れたのです
説明板にはありませんけれど、後にこの一族は「猫絵の殿様」として知られます
新田荘歴史資料館で、たびたび企画展が催されています。
2018年の企画展パンフレットがあります。
岩松氏について、
新田岩松氏は、鎌倉時代に足利義純と新田義兼の娘(新田義重の孫)との間に生まれた時兼を祖とする一族で、新田荘岩松郷に住し、新田一族の有力庶家として、その勢力を誇示しました。
新田義貞が鎌倉幕府倒幕に挙兵すると、岩松経家は足利高氏(尊氏)に組し、足利氏と行動を共にしました。新田義貞を中心とする新田本宗家が亡んだ後は、新田荘を支配し新田氏とも称しました。
戦国時代には、新田(岩松)家純は金山城を築きましたが、のち家宰横瀬氏(のちの由良氏)に実権を握られ、名目上の城主(「新田屋形」)にすぎませんでした。
企画展ごあいさつに、
「新田猫」とは、江戸時代に太田市下田島町に大きな屋敷を構えていた「交代寄合」格で禄高120石の旗本、新田岩松氏の歴代当主が4代にわたって描いた猫絵です。
養蚕が盛んであった上州・武州・信州では、「新田猫」は蚕の大敵であったネズミを除ける効果があったとされ、蚕室などに貼られ、蚕の神様として信仰されていました。
猫絵は岩松氏だけが描いただけでなく、浮世絵師や江戸市中を売り歩く僧侶などもいましたが、この中で、新田岩松氏の猫絵は、領主一族が持つ呪術的な性格に加え、徳川氏が先祖とした新田氏という特別な血筋を背景に、特に人気を博し、多くの猫絵が描かれました。
岩松氏について、簡潔にまとまっています
萩公園名残の萩です
むこうに石田川が見えます
先日、あの橋を渡りました