ひめちゃんとタバサねーちゃんは、堀之内を西に出ます。
左の道から、黒柴の女の子がやって来ます。
ひめちゃんは、準備万端待っていましたけど、彼女は避けていってしましました。
残念
タバサねーちゃんは、最近年のせいか朝の目覚が遅いです。
まだ眠気が残ってるみたいです。
諏訪神社の向こうに、かすかに妙義山が見えます
諏訪神社の向こうの高台、キャベツかブロッコリーの植え付けです
今は手植えではなく、機械で植えるのかな
ここら辺りからタバサねーちゃん、俄然元気になります
高台の道突き当たりまで行って、南に下ります。
山上城趾公園の南を通って帰ります。
蕨沢川(わらびさわがわ)に架かる元町橋(もとまちばし)を渡って帰ります。
巨大な道祖神があります
橋供養の塔もあります。
今朝は文字がよく見えます
大雨できれいになったのかな?
2人の足は、当然ケンくんちに向かいます。
ケンくん、いるかな?
「タバサねーちゃんが来たわよ」の声にも反応はありません。
残念、いません。
お散歩に行ってるかな?
今朝通ってきた元町橋の供養塔、『赤城山』(大正6年、岩澤正作)復刻版に、気になる記述があります。
山上の石室
山上城趾の傍ら、田園中に在り。石を疊みて室となす。入口の廣六尺許、奥まで十歩許、横六七歩ありしと(上野誌)元禄四年此の石室を破潰せしものゝ中より南面なる前扉を發き其二個を以て字元町天神川に石橋を架したることあり。(今の念仏橋にして落ちて河底にあり今は土橋となる。)其後明治七年当寺の地主某其残石を佐波郡国定村秋葉神社の鳥居用材に売却したりといふ。
念仏橋の碑銘
斯此石橋全吉祥。 渡驢渡馬是平常。
本来功徳幾千萬。 子子孫孫世世昌。
元禄十四年辛巳天八月二十五日
この橋は念仏橋だったのです
川は天神川だったのです
永遠と思われた古墳の石を使った石橋は落ちてしまって川底にあったのを、明治7年に国定の秋葉神社の鳥居用材に売ってしまったと言うのです
国定の秋葉神社、検索するとあります
両毛線の踏切側で、駐車場はありません
本日、ストリートビューでよくよく路上駐車する場所を決めてから出発です
賽銭箱には、古い神社の記憶かな?
優れた彫刻の社殿があった時があるのでしょう。
2礼2拍1礼です
社殿の東には何様かな?
罵倒観世音と庚申塔かな?
社殿の裏には本殿でしょう
鳥居の記憶はなさそうです。
でも左程の距離ではないし、ほぼ南だし。
全くあり得ない話ではなさそうです