ひめちゃんとタバサねーちゃんは、堀之内を西に出て、天神田(字天神の田んぼ)を歩きます。
ここはまだ案山子は出現してません。
あれ、キジの雄です
カメラが間に合いません
ハンターひめちゃん、真剣に情報収集です。
後ろ姿で失礼します。
キジは逃げ足が速く、もうどこにも姿はありません
キジは、見かけの割にたくましい鳥です
七海ママと小次郎パパの安眠妨害をして、堀り堀りしていたのもキジの雌でした
タバちゃん、低いけれどジャンプです
なかなかハイジャンプの瞬間は撮れません。
雑草に負けてるひめちゃんちのガーデン、リコリスが咲いてくれました。
ありがとう
本日、(前橋市)小島田のショッピングモールに出かけました。
酷暑の昼間ですけど、お盆モードでたくさんの人出です
用事を済ませて、国道50号線ではなく、後ろの細道を帰ります。
日光裏街道・小島田の道しるべは健在です
左日光、右○○波(志波?)
日光裏街道は、七海ママの故郷・柴宿(伊勢崎市柴町)から日光例幣使街道と別れて北上して始まるのです。
建立した人々の名前も刻まれています。
左は民家になってます。
前回の訪問(2021年3月)より、だいぶスッキリしています
左に行って日光に行けるかな?
道しるべは、近くから移動してきたかも?
今日はお地蔵様だけ、飾り立てられてます
地蔵盆かな?
後ろの石造物のみなさん、こんにちは
少年のような阿弥陀様、またお逢い出来ました
合掌
ここには、戦国時代に長明寺という大きな寺があったそうです。
「官報えいめい」2018年5月15日発行(前橋市永明公民館)に、「上杉謙信と長明寺・阿弥陀様」(寄稿者 小島田町生涯学習奨励員・橋本利通さん)がありました
引用させていただきます
天皇制の確立期であった西暦701年に制定された大宝律令によって小島田は集落の南側・古利根川の北岸段丘上に昔の国道東山道(滋賀から群馬・東北地方)が建設されて繁栄していたと推測されます。その名残は法務局で土地の登記謄本を取り寄せてみると小島田に八日市という地名が記載されていることからも伺い知れます。小島田の中心部に戦国時代に廃寺となった長明寺という大寺院があり、大門跡に群馬県最古の阿弥陀如来の板碑がありその下部に橘清重という人物が仁治元年(1240)に亡き息子の極楽往生を願う碑文を遺しております。戦国時代に当地を治めていた上杉謙信が武田信玄と戦った時に再建を約束して寺院を燃やしたが再建されませんでした。
小島田の供養碑は、民家の一角という感じの所にあります。
今日は遠慮しておきます。
ここは、東山道沿いの古くからのパワースポットだったのです
そして今でも、現役のパワースポットなのでしょう