雨の朝です
ひめちゃんとタバサねーちゃんは、貧乏カッパでお散歩です。
「アタチ挟まってまふ」の子が出ると困るので、二人とも今日は室内犬です。
朝ご飯の後、おかあさんはガーデンパトロールです。
昨日は、先住犬たちのお墓に、チューリップの球根を埋めました
あれ、何かの足跡がある
犬か猫か
あれあれ、獅子丸のカバさんのぬいぐるみの後ろに、球根が落ちてます
何が出てるんだろう
三四郎地蔵&サマンサ地蔵&ののこ地蔵はどうかな?
やっぱり何か出たかな
ひめちゃんは、おかあさんのベッドの上で熟睡中です。
だいぶ白い毛が増えてきたね。
ひめちゃんも、12才と8ヶ月です
(9月26日)仙台城大手門跡を通って、三の丸跡の博物館に向かいます。
道の向こう側、大手門脇櫓前の坂を下ります。
マンホールの蓋は、ここの風景です
ほどなく仙台市博物館です。
何年ぶりだろう
ここの五色沼は、日本のフイギアスケート発祥の地でした。
五色沼は青葉城のお堀の跡なんですね
こんなオブジェあったっけ
オブジェも説明板も昔はなかったような
子門(ねのもん)を通ります。
付近の位置関係がよく分かる案内図です。
ここには木造二階建ての瓦葺きの門が建っていたのですね。
目指す林子平の碑は、博物館の建物の向こうにあると言うことです。
とりあえず、博物館前を素通りです。
博物館周辺の案内図です。
子平の碑は、魯迅の碑の奥です
魯迅さんは、一目で分かります
魯迅さんの奥に、目立たなく林子平の碑です
こんにちは
碑文はよく見えません
仙台市立博物館のHPキッズコーナーに、
仙台藩士林子平は「無禄厄介(むろくやっかい)」という待遇(たいぐう)で、給与もなく兄の世話を受けて生活していました。しかし、子平はこの身軽さを利用して自由に江戸や長崎に行き見聞を広めました。そしてその後、そこで得た新知識をもとに、『三国通覧図説(さんごくつうらんずせつ)』、『海国兵談(かいこくへいだん)』を著し、海防が急務であることを力説しました。しかし、鎖国(さこく)主義を守る幕府はいたずらに世間をまどわす行為(こうい)としてこれを取り締まり、版木(はんぎ)没収・出版の中止を命じ、子平を処罰しました。兄の家にちっ居となった子平は1793(寛政5)年6月21日、56才で行動的だったその生涯(しょうがい)を閉じました。
このあと幕府は相次ぐ異国船の渡来や開国と通商の要求などの対策にたいへん苦しむことになり、子平の考えが正しかったことを歴史が証明することになります。
上野の高山彦九郎・下野の蒲生君平と共に、寛政の三奇人の一人なのですね
さて、博物館も覗いていきましょう
「親鸞と東北の念仏」という企画展を開催中です。
みなさん熱心に見てますけど、待ち合わせ時間があるのでサーとです。
そういえば、昔「親鸞」を卒論のテーマに選んだ同級生がいました。
どうしてるかな?
ただ常設展で、仙台市宮城野の東光寺の摩崖仏レプリカとても印象に残りました
そのうち訪問したいな
五色沼を通って大手門跡を通って、支倉常長の像の脇の小径に入ります。
仙台の町を見下ろします。
ン十年前、この街に住んでたんだ
仙台で4年間過ごさせてくれた両親に感謝
そしてご先祖様にも感謝
付近の案内図を確認です。
地下鉄の国際センター駅も、扇坂を下ればすぐです。
萩ホール・モーツアルトで、旧友と待ち合わせしてランチです。
何年ぶりだろう
久しぶりなので積もる話もたくさんあります。
でも、小山で停車する新幹線は少ないので、14:00発の新幹線には絶対に遅れないようにしなければなりません。
またの再会を約して、扇坂を下りました