続・黒柴ひめちゃんの葛塚村だよりⅢ

上野国山上・葛塚城堀之内に住んでます。ひめちゃんとおかあさんの見て歩きです。時には遠くにも出かけます。

比翼塚・夫婦町の由縁(めおとまちのゆえん)

2024-10-23 15:37:39 | みちのく紀行

一昨日、獅子丸のお部屋(サークル)を大掃除して、ねむねむ獅子くんのぬいぐるみも洗いました。

昨日は、乾いた獅子くんを冬バージョンのお部屋に戻しました。

 

そして、先住犬たちのお墓も大掃除です。

チューリップの球根を埋めてビオラを植えるつもりです。

七海地蔵の後ろを草むしりしていると、土の中かな何かが出ています

掘り出してみると、獅子丸と一緒に埋めたぬいぐるみでした

あれからもうじき3年が経つのに、痛んでません

獅子くんは、ぬいぐるみを大事にする子でした。

ひめちゃんのように、解体新書をしたりしませんでした。

獅子くん、お部屋を大掃除したので、うれしかったのかな

このぬいぐるみをどうしようか

サークルに連れ帰ろうとも思いましたけど、獅子くんと一緒の方がいいよね

 

三四郎地蔵には、バッタです

 

今朝、ひめちゃんとタバサねーちゃんが朝ご飯を終えると、雨雲レーダーは、「25分後に雨が降り始めます

大急ぎで、みんなのお墓にビオラだけ植えます。

 

獅子くんのぬいぐるみ、昨日より元気です

植えている最中に降り出しました

チューリップの球根は、また後で埋めるからね

 

 

 

(9月25日)

瑞巌寺を出て、円通院への細道を辿ります。

 

左手に、クラシックな建物があります。

お殿様が、松島遊覧をする時の舟を操った人々の住まいですって

 

 

その先に、目指す比翼塚は、目立たなくひっそりとありました

合掌

説明板があります。

ちょっとわかりにくい話です。

松島町のHPによると、

鎌倉時代、北条時頼が家臣・蜂谷美濃守を松島円福寺(瑞巌寺)守護のために派遣。子孫が松島に土着しました。
そして、子孫・蜂谷掃部(かもん)は、子宝に恵まれぬことから、観音さまに祈願したところ、やがて男の子が誕生、名は小太郎と名づけられました。
小太郎は、観音堂に梅の若木を植えてこよなく愛していました。
小太郎が十五歳の春、父が伊勢参りで道連れとなった象潟の商人と親しくなり、小太郎と商人の娘との結婚を約束したのです。
ところが、帰国した父は小太郎が病死したことを知ります。
掃部は泣きながら商人の娘に訳を話しましたが、娘は松島の人となり、掃部夫妻に孝養をつくしたのです。
後に娘は髪をおろして名を紅蓮と改めました。
小太郎が愛した梅の木が軒端の梅で、娘のもとには紅蓮尼と小太郎の碑・比翼塚が建てられています。
蜂谷氏が観音仏を守っていたことから、その後、瑞巌百一鵬雲が観音を本尊とし、左に達磨、右に菅公を配した三聖堂を建立しました。

 

北条時賴は、乱れた状態の天台宗の延福寺の僧たちを武力で追い出し、法身禅師を開山とする円福寺(後の瑞巌寺)を建立したのでした。

その後も天台宗勢力は、活動場所を変えて併存したという事です。

蜂谷美濃守がやって来たのは納得です。

逢った事もない人を慕って、その両親に仕えるなんて、すごいことです

きっと両親も彼女を大事にしたのでしょう

だから、松島で人生を全うできたのでしょう

 

 

隣にまたクラシックな茅葺きの御堂です。

三聖堂です。

合掌

説明板を確認です。

松島町のHPよると、観音様は蜂谷氏が守っていたものとあります

それを天和2年(1682)にご本尊として、左右に達磨大師像と菅原道真像を安置したのですね。

 

 

円通院への道に出て、去年意味の分からなかった「松島町とにかほ市(旧象潟町)は夫婦町です。」の表示を確認です。

今年は比翼塚に詣でて、納得です

 

今年は円通院には寄らずに、松島海岸駅に戻ります。

仙石線で仙台に戻ります。

 

海を眺めながら、帰ります。

塩釜で、あれ祭り仕様の舟かな?

気になるけれど、今回は塩釜パスです。

何時の日かまた訪問したいのですけど

 

仙台駅に着いて外に出ると、雨でした

 

 

コメント (2)
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