一昨日、獅子丸のお部屋(サークル)を大掃除して、ねむねむ獅子くんのぬいぐるみも洗いました。
昨日は、乾いた獅子くんを冬バージョンのお部屋に戻しました。
そして、先住犬たちのお墓も大掃除です。
チューリップの球根を埋めてビオラを植えるつもりです。
七海地蔵の後ろを草むしりしていると、土の中かな何かが出ています
掘り出してみると、獅子丸と一緒に埋めたぬいぐるみでした
あれからもうじき3年が経つのに、痛んでません
獅子くんは、ぬいぐるみを大事にする子でした。
ひめちゃんのように、解体新書をしたりしませんでした。
獅子くん、お部屋を大掃除したので、うれしかったのかな
このぬいぐるみをどうしようか
サークルに連れ帰ろうとも思いましたけど、獅子くんと一緒の方がいいよね
三四郎地蔵には、バッタです
今朝、ひめちゃんとタバサねーちゃんが朝ご飯を終えると、雨雲レーダーは、「25分後に雨が降り始めます」
大急ぎで、みんなのお墓にビオラだけ植えます。
獅子くんのぬいぐるみ、昨日より元気です
植えている最中に降り出しました
チューリップの球根は、また後で埋めるからね
(9月25日)
瑞巌寺を出て、円通院への細道を辿ります。
左手に、クラシックな建物があります。
お殿様が、松島遊覧をする時の舟を操った人々の住まいですって
その先に、目指す比翼塚は、目立たなくひっそりとありました
合掌
説明板があります。
ちょっとわかりにくい話です。
松島町のHPによると、
鎌倉時代、北条時頼が家臣・蜂谷美濃守を松島円福寺(瑞巌寺)守護のために派遣。子孫が松島に土着しました。
そして、子孫・蜂谷掃部(かもん)は、子宝に恵まれぬことから、観音さまに祈願したところ、やがて男の子が誕生、名は小太郎と名づけられました。
小太郎は、観音堂に梅の若木を植えてこよなく愛していました。
小太郎が十五歳の春、父が伊勢参りで道連れとなった象潟の商人と親しくなり、小太郎と商人の娘との結婚を約束したのです。
ところが、帰国した父は小太郎が病死したことを知ります。
掃部は泣きながら商人の娘に訳を話しましたが、娘は松島の人となり、掃部夫妻に孝養をつくしたのです。
後に娘は髪をおろして名を紅蓮と改めました。
小太郎が愛した梅の木が軒端の梅で、娘のもとには紅蓮尼と小太郎の碑・比翼塚が建てられています。
蜂谷氏が観音仏を守っていたことから、その後、瑞巌百一鵬雲が観音を本尊とし、左に達磨、右に菅公を配した三聖堂を建立しました。
北条時賴は、乱れた状態の天台宗の延福寺の僧たちを武力で追い出し、法身禅師を開山とする円福寺(後の瑞巌寺)を建立したのでした。
その後も天台宗勢力は、活動場所を変えて併存したという事です。
蜂谷美濃守がやって来たのは納得です。
逢った事もない人を慕って、その両親に仕えるなんて、すごいことです
きっと両親も彼女を大事にしたのでしょう
だから、松島で人生を全うできたのでしょう
隣にまたクラシックな茅葺きの御堂です。
三聖堂です。
合掌
説明板を確認です。
松島町のHPよると、観音様は蜂谷氏が守っていたものとあります
それを天和2年(1682)にご本尊として、左右に達磨大師像と菅原道真像を安置したのですね。
円通院への道に出て、去年意味の分からなかった「松島町とにかほ市(旧象潟町)は夫婦町です。」の表示を確認です。
今年は比翼塚に詣でて、納得です
今年は円通院には寄らずに、松島海岸駅に戻ります。
仙石線で仙台に戻ります。
海を眺めながら、帰ります。
塩釜で、あれ祭り仕様の舟かな?
気になるけれど、今回は塩釜パスです。
何時の日かまた訪問したいのですけど
仙台駅に着いて外に出ると、雨でした