続・黒柴ひめちゃんの葛塚村だよりⅢ

上野国山上・葛塚城堀之内に住んでます。ひめちゃんとおかあさんの見て歩きです。時には遠くにも出かけます。

伊治呰麻呂(これはりのあざまろ)の記憶

2024-10-01 14:40:39 | みちのく紀行

すっきりと晴れました

ひめちゃんは、堀之内を西に出て天神田を歩きます。

いいお天気でふよ

久しぶりにおでかけしたいでふね

 

今日はお出かけしますよ

実は、動物病院でワクチン接種の予定です。

 

彼岸花の向こうに彼岸花、いい景色です。

庚申塚古墳を通って帰ります。

きれいに草刈りがされていました

 

 

 

(9月24日)

多賀城政庁跡を目指して、大路を上ります。

右に新しい建物が見えますけど、帰りに寄ってみましょう

2人連れのおばさんは、右の高台を歩いて上ってます

もしかしたら、100名城スタンプへの近道かも。

でも、政庁跡を再訪したいので、このまま進みます。

 

突き当たりには、政庁跡の復元模型があります。

 

振り返って、南門です。

当たり前ですけど、南門からまっすぐだ

 

政庁正殿跡の説明板があります。

礎石の一部は当時の実物です。

 

そういえば、以前あやめ祭りの時にきて、ボランティアガイドさんにいろいろ解説していただきました

礎石の中に、平安初期の宝亀11年(780)、伊治呰麻呂(これはりのあざまろ)の乱で焼き討ちにされた石があったのでした

 

ガイドさんによると、

砦麻呂は栗原郡を本拠とする俘囚(帰順した蝦夷)の長であった。

宝亀11年(780)、伊治城を訪れた3人のうち2人は殺され1人は多賀城に逃げ帰った。

砦麻呂の軍は多賀城に押し寄せ、略奪をし焼き払って去った。

 

「多賀城にいた人はどうなったのですか?」

「みんな逃げてしまったところに、砦麻呂軍がやってきたので、ほぼ無事です。」

「どのくらいの人がいたのですか?」

「都から偉い人が3人、お付きをいれて10数人、役人が700人、兵士が500人です。

多賀城の南門から入ってメインストリートを歩けるのは、都から来た3人だけです。」

 

そんな会話がありました

 

奥州紀行総集編 10 ・多賀城紀行(多賀城政庁跡・パワーストーンのパワー頂きます)

 

見つかるかな?

みんなそのように見えてしまいます

とにかくらしき石にのってパワーいただきます

 

 

政庁跡の左には、多賀城神社です。

ボランティアガイドさんにあそこまで付き合ってもらって、道を教わって、陸奥総社宮に行ったのでした

今回はパスです。

 

横目に1礼で、100名城スタンプのある多賀城跡管理事務所に行きます。

 

事務所は閉まってます。

外にスタンプはありました。

伊治呰麻呂に焼き討ちされたパワーストーンのある、政庁正殿のデザインです。

先を行ったおばさんたちも、100名城スタンプをゲットです。

事務所のガラス戸には、何枚もの御城印が飾ってあります

「売ってるのかねえ?」

おばさんたちもウロウロしましたけど、誰もいません。

諦めて、帰ります。

 

ところが昨日、10月1日に多賀城をはじめとした近隣の御城印を無料配布という記事をちょっと見ました。

残念

まあ、そのうちに多賀城だけでもゲットできればいいなあ

 

 

現在地の多賀城跡管理事務所から、まっすぐ下って帰ります。

さっきのおばさんたちは、この道を登っていったんだ

 

(つづく)

 

 

 

コメント
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