4年前の6月初旬、獅子丸は実家に戻りました
実家には、小次郎パパと七海ママの両親もまだ健在でした
パパとお散歩というわけにはいかないけれど、おねーちゃん達やママやひめちゃんと楽しくお散歩してました
本日は、7年ぶりに実家に帰ってまもなくの獅子くんアーカイブです。
このころ、東の牧場に行って、初めてヤギという生物に遭遇しました。
ひめちゃんと、時折、ヤギさんに逢いに行きました。
妙見寺の先には、石造物群がありました。
朱の跡が残る青面金剛です。
上州新田領今井村の文字が見えます。
新田だったんだ
イワザル&キカザル、目が生きてます
ちょっと個性的な如意輪観音です。
あのお地蔵様だけ、覆い屋が付いています。
それなりの御利益のお地蔵様かな?
宝篋印塔っぽい石造物も見えます。
江戸時代から今日迄使用されている、現役の墓地のようです
記憶を辿って細い路地を通り、西今井中世館跡に、やっと辿りつきました。
だいぶ前に来た事があります。
この館跡は、「上今井中世館跡」ともいわれ、鎌倉時代新田氏の一族である今井氏が居住し、後に桐生から茂木氏が移住んだと伝えられる。~(中略)~新田庄西方を流れる早川は、当時の潅漑水利にとって重要な役割を担っていた。この館はちょうど早川の蛇行点に位置し、堀は早川の水を貯蔵し、堰は水量調節という役目を果たしていたと考えられる。当寺の館をめぐる堀は敵に対する防御という他に、農業用水の安定というもうひとつの役目をもっていた。ここで貯水され、水量を調節された水は南方の中今井・下今井・女塚・世良田等のいわゆる「空閑の郷々」の水田の西半分を潅漑していたと思われる。
そうだったんですか
前回はさほどの感動もなかったですけど、今回はおおいに感動です
堀の名残かな?
重要な史跡ですね
妙見寺方面に戻ります。
妙見寺の隣は、西今井会議所です。
以前ここまで来ましたけど、その向こうがお寺とは思えず引き返してしまいました。
もっと元気が出るように、幟でもはためいていればいいなあ。
中世においては、妙見寺あたりも館の中だったのでしょう。
また、西今井中世館跡の裏を通って帰ります。
振り返ると、国道17号線(上武道路)です。
あの向こうは、早川です
でも、かつては蛇行してここら辺を流れていたんですね。
西今井中世館跡は、かつての早川の記憶でした
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