続・黒柴ひめちゃんの葛塚村だよりⅢ

上野国山上・葛塚城堀之内に住んでます。ひめちゃんとおかあさんの見て歩きです。時には遠くにも出かけます。

堀口は早川の出口(堀口氏館跡と正覚寺跡)

2024-08-26 15:40:48 | 新田紀行

昼間はカンカン照りになりました

ひめちゃんとタバサねーちゃんは、お風呂場でシャワーです。

でも、朝は、小雨というか霧雨の中のお散歩でした

 

なので、今日は20年前の七海ママ・0才の秋から冬のアーカイブです。

 

ナナちゃんも、音の出るボールが大好きでした。

なんとなくひめちゃんの寝姿です

鋭い目つきです

何かあったかな?

七海0才の冬は、雪が多かったようです

痩せてちっちゃかったナナちゃん、だいぶ丸々ナナちゃんになってきました。

雪のミニドッグランで思いっきり遊びました

 

 

 

春先だったと思いますけど、ひめちゃんが二度目の朝散歩をしている時期がありました。

その少し遅めの朝散歩で、何度か行き会って話をしたおじいさんがいます。

近年、小学校の近くに引っ越してきたそうです。

そして、「ウチは堀口と言うんだよ。堀口とは、川の出口という意味だよ。新田の一族・堀口氏なんだそうだ。名字の地に、一族で行った事があるよ。」

「ええッ、それって早川の出口の堀口氏館跡ですか?」

「連れて行ってっもらったから、どこだか分からなかったけれど

「早川は、新里の山奥・奥沢から流れ出して、長い長い旅を続けて、尾島の堀口(尾島町堀口、現太田市堀口町)出利根川に合流します

そんな話をしたことがありました。

 

中島屋敷とヒマワリ畑の後、帰りがけに、ちょっと寄り道してみよう

 

かすかな記憶を辿って、何とか到着です。

 

説明板はよく見えません

石碑もあまりよく見えません

「ここには新田の一族・堀口氏館があり堀口氏開基の正覚寺があった。昭和43年に早川改修工事によって堤防が築かれ、正覚寺は浄蔵寺に合併のやむなきに至った。」ということのようです

50年前は全く違う景色だったのです

 

この南あたり・土手の向こうあたりが早川物語・最終章でしょう。

早川物語、最終章の間近の風景です

お天気と駐車場の関係で、土手を上って、早川の出口を確認してきませんでした

やはり、確認して来るべきでした。

反省

 

新里の奥沢の山奥から流れ出した早川は、長い長い旅を終えて、もうすぐ利根川と合流するのです。

早川物語番外編・早川の起点(これが本当の早川物語第一章)

ふるさと新田をを流れる早川と、新里を流れる早川は、つながった同じ川だったのです

浄蔵寺の銀杏が色づく頃、また行ってみましょう

 

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