続・黒柴ひめちゃんの葛塚村だよりⅢ

上野国山上・葛塚城堀之内に住んでます。ひめちゃんとおかあさんの見て歩きです。時には遠くにも出かけます。

続・脇屋義助の菩提寺・脇屋山正法寺

2024-11-02 14:58:57 | 新田紀行

雨の一日です

ひめちゃんとタバサねーちゃんは貧乏カッパでお散歩です。

 

ひめちゃんとタバサねーちゃんには、「ののこねーちゃん」というおねーちゃんがいました

ののこは、2007年の10月に生まれました。

なので、血統書名は、上州の秋の女神のイメージで「風の竜田姫(かぜのたつたひめ)」です。

今日は、赤ちゃん「ののこねーちゃん」のアーカイブです

ののちゃん、気は強いけれど、ちょっと神経が細い子でした。

小次郎パパ、いっぱい遊んでくれました

ののこねーちゃんは長い間煩って、13歳と8ヶ月で逝きました

昨日今日とは思はざりしを(ののこは生きました)

 

 

 

9月9日、脇屋山正法寺(わきやさんしょうほうじ)の探訪続きます。

 

立派な観音堂です

現在は本堂としても使われているそうです。

うーむ、観音様のお姿は見えません

とにかく、合掌

かつては、格式の高いお寺だったのでしょう

 

 

左手奥に、脇屋義助さんの石像です。

こんにちは

辞世の歌かな?

 

 

遺髪塚です。

兄の新田義貞と共に鎌倉攻めに囚人、義貞の死後も南朝方として戦い、四国で病没したとか。

誰かが遺髪を届けたのかな

 

 

正法寺が元あった観音免からの出土物です。

 

 

銅製地蔵菩薩座像です。

太田市文化財リーフレット「正法寺とその周辺の文化財」によれば、下野国佐野の天明(てんみょう)鋳物師の作です。

「江戸時代の梵鐘・半鐘はほとんど天明産である」ともあります。

また、由良鄕についても、「鎌倉時代には新田本家宗家の所領であり、新田政義以降本宗家の館があったと考えられる。新田義貞・脇屋義助兄弟も由良鄕で生まれたものと想定される。新田義貞没落後は岩松氏本宗家の所領となった。」

だから、岩松氏の被官・横瀬氏は新田の子孫を自称して、新田本家宗家の所領・由良から由良と改姓したのです

 

 

オクマン山古墳の石です。

そういえば、春先に蛇川親水公園で、移築されたオクマン山古墳に逢いました。

あの鷹匠くん埴輪が出土したのです。

蛇川親水公園の記事も、もう秋なのにまだ待機中です

 

 

本堂(観音堂)脇から、仁王門を望みます。

 

 

庫裏に寄って御朱印をお願いします。

御朱印は書き置きでした。

尋ねても 祈りをかけよ さしもくさ 正しき法の 寺を印に

 

さしもくさ、お灸に使うヨモギですね。

「思い」とか「燃える」イメージです

御利益があるから絶対に来てねというような、力強いご詠歌です

コメント (2)    この記事についてブログを書く
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2 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
Unknown (たけちゃん)
2024-11-03 09:28:27
おはようございます!
ののこちゃん可愛いです
素敵な休日をお過ごしください
返信する
Unknown (nanamihukumi)
2024-11-03 21:20:01
>たけちゃん さんへ
>おはようございます!... への返信
こんばんは。
ありがとうございます。
黒柴家族がいるのでブログも書けます。
返信する

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