続・黒柴ひめちゃんの葛塚村だよりⅢ

上野国山上・葛塚城堀之内に住んでます。ひめちゃんとおかあさんの見て歩きです。時には遠くにも出かけます。

尾曳城鬼門の尾曳稲荷神社

2024-09-02 17:39:52 | 邑楽紀行

晴れました

久しぶりに影のあるお散歩です。

ひめちゃん、かゆかったのかな

右耳の後ろを掻いてしまったようです

広がらないように気を付けようね。

強い過ぎる日射しで遠出は出来ず、天神田を歩いて帰ります。

天神田のあぜ道も、歩きにくくなってます。

「早く秋になーれ」でふよ

 

 

8月27日、城沼の花ハス渡船のあと、尾曳稲荷神社に向かいます。

尾曳稲荷神社そばの駐車場(公園地図の現在地)に入ります。

左の城沼の向こう岸がつつじが岡公園で、右回りに尾曳橋を渡ってきました。

 

あの橋です。

流れる川は鶴生田川、城沼に流れ込んでいます。

 

日本遺産の説明板があります。

尾曳稲荷神社の部分を拡大です、

尾曳稲荷神社の由来もあります。

天文元年(1532)尾曳城(後の館林城)城主・赤井照光が城の鬼門にあたる稲荷郭の地に守護神として創祀された。当寺大袋城(城沼南岸)の城主であった赤井山城守照光は、舞木城(千代田町)へ年賀の途次童子らに捕らえられた子狐を救った。その夜更け老翁が現れ、子狐が助けられた礼を述べ、館林が要害堅固の地と説き移転を進めて姿を消した。その年の七夕の夜、老狐が現れ尾を曳いて城郭の縄張りを先導して夜が明けた。・・・・・・

 

狐が尾を曳いて城の縄張りを描いたので、尾曳城なのですね

尾曳城は後の館林城なのですね

だいぶ昔に訪問した、館林城の城門と資料館はなんとなく記憶にあります

 

 

さて、少し坂を上って神社です。

鳥居脇の道も拝殿正面みたい

どっちから行こうかな

 

とりあえず鳥居の方に行ってみます。

たくさんの鳥居と安産祈願の幟です。

 

もう安産祈願は必要ないので、脇の道を直進です。

鳥居も残り少なくなってきました。

 

ちょっと鳥居を振り返ってみます。

安産に御利益ありそう。

 

残りは石の鳥居が2基です。

ここから鳥居をくぐります。

狛犬ではなく狛狐さんがいます。

こんにちは

 

長野原、随分遠くからも参拝に来ているんですね

 

阿形のママ狐さんの後ろには、青い南天の実です

 

ママ狐さんの向こうには、田山花袋の歌碑です。

城沼が耕されてることを嘆いてる

 

さて拝殿で参拝です。

先に左手の社務所を覗きます。

御朱印は、書き置きのみで2種類でした。

両方ともいただきます

 

さてさて拝殿で参拝です。

でも、その前にたくさんの狐さんにご挨拶です

 

 

(つづく)

 

 

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