寒すぎる日が続いて、ひめちゃんとタバサねーちゃんは、今日も室内犬です
ひめちゃんは、赤柴の老犬・プーちゃんの前を通って、堀之内を北に出ます。
堀之内の西端を歩いて帰ります。
15歳半のタバサねーちゃん、余りの寒さに、小次郎パパの形見の服でお散歩です
ひめちゃんにも、七海ママの形見の服を着せようとしましたけど、噛みつかれそうになりました
服がよかったのかな
タバサねーちゃんは、尻尾も上がって、軽快にお散歩出来ました
谷中の如意輪観音は、中野藤内左衛門の持仏だと言うことです。
中野藤内左衛門の中野城跡の神光寺には、大きな榧(カヤ)がありました。
1月5日、数年ぶりに再訪です。
すぐ隣には幼稚園です。
浄土宗だったんだ。
駐車場から、大カヤが見えます
山門から入ります。
中野城跡の説明板もあります。
中野景春は、越前藤島で新田義貞地共に戦死したとあります。
とてもきれいになってます。
洗練されてしまった感じもします。
山門脇には、六地蔵堂です。
あったっけ
山門をくぐって、榧の木にこんにちは
お久しぶりです
すっかり安心してしまって、説明板を撮り忘れました
後日、出直して撮った説明板です
中野氏は新田の一族ですか
中野館の名残が、この大カヤですか
樹齢約770年ですって
ライトアップもしてるのかな
榧の実が落ちています。
この木は、雌木ですね
見上げて、榧の木です
なんとなく合掌
境内もちょっと散策です。
鐘楼堂の奥には、庫裏です。
「御朱印出るかな?」と行ってみましたけど、あまりに静かなので、静かに退散です
本堂前で合掌
左の石塔下に、開基・中野藤内左衛門景春の名前があります。
中野城主景春公は、越前足羽に於て延元元年(1338年)寅の七月七日、大将新田義貞公と共に討死、行年51才
千鈞の弩は鼪鼠のために機を発せず 景春公遺訓
鼪の文字はよく分かりません
鼪鼠(せいそ)だと、イタチのことです。
要するに、「足利尊氏に反旗を翻されて、実力が発揮できなかった。建武の新政が挫折したのが無念だ。」と言うことかな
太平記のすさまじい記憶です。
またそのうちにお邪魔します
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