続・黒柴ひめちゃんの葛塚村だよりⅢ

上野国山上・葛塚城堀之内に住んでます。ひめちゃんとおかあさんの見て歩きです。時には遠くにも出かけます。

家形埴輪出土の赤堀茶臼山古墳

2022-12-24 14:24:21 | 群馬県・中毛

ひめちゃんが朝のお散歩に出て間もなく、白いものがちらつき始めました。

雪です

初雪です

瞬く間に、白いものが増えていきます

上空にはどんよりした雪雲です

 

路面もどんどん白くなります

用が済んだら、早く帰ろうね

 

タバサねーちゃんも、おとうさんを連れて急いで帰っていきます。

 

降り始めて何分もしないのに、身震いして雪を落とすほどです

雪は昼過ぎまで降って、20cmくらい積もったかな?

一面の銀世界になりました

午後には天気予報度通り日が差して、少し溶け始ってます

 

 

 

 

12月8日午後、お天気もまずまずだし、茶臼山古墳に行ってみよう

 

資料館のビデオを思い出して、細い道を進みます。

資料館でもらった、茶臼山古墳への行き方も参考にしながら、心細く進みます。

やっと、ほとんど色あせた茶臼山古墳⇒を見付けて右折です

 

あぜ道を入って、ありました

説明板にホッとします

昭和4年の発掘の時には、あの大間々共立学校の先生・岩澤正作も参加していたそうです

 

ここは民有地だそうです。

確かに畑が迫ってます。

見学者の歩いた道かな?

 

墳丘上(帆立貝式古墳の後円部)へ登ってみましょう。

凜とした赤城山が見えます。

 

西には榛名山と、その南に浅間山です。

遠く妙義山も見えます。

 

 

墳丘はさほど高くはありません。

墳丘上からの眺めです。

 

西には、大室古墳群です。

北には赤城山と子持山かな?

家形埴輪は、埋葬施設のあった墳頂から出土したそうです。

もともとは、墳頂部に並べられていたそうです

 

今墳丘上にあるのは、なんとなく中世・近世の遺物のような感じです。

墳丘の東は、木々に覆われて見えません

向こうには、あの毒臼があった毒島城が、見えるはずなんですけど。

 

帆立貝式古墳の小さな方形の部分(西側)に降りてみましょう。

確かに、帆立貝式古墳の方形部分です

 

振り返って後円部・墳丘 です。

ここを奥津城(おくつき)に選んだ豪族の居館は、何処にあったのでしょう?

そんない遠くはないはずです。

 

資料館で戴いた企画展「赤堀茶臼山古墳ー東国屈指のハニワたち-」によれば、

古墳の墳頂部に家形埴輪や器材埴輪が飾られるようになるのは、4世紀中頃のヤマト王権の前方後円墳に出現します。5世紀中頃の赤堀茶臼山古墳の形象埴輪群の構成や造形は、ヤマト王権の埴輪と極めて酷似し、ヤマト王権から埴輪製作集団が派遣されたと推測され、強い結びつきを示しています。

と、あります。

 

ここら辺には、すごい豪族がいたはずですね

 

 

古墳の西の道を、たどって帰ってみましょう。

なんとか毒島城の方に出たいものです。

 

行く手には、大正用水です。

 

東に廻って、なんとか毒島城に出ようとしましたけど、到達出来ませんでした

毒島城からは、この古墳の後円部が見えます

 

布須島尼の面影を求めて(お久しぶりの毒島城)

 

またそのうち、東の毒島城からから赤堀茶臼山古墳を眺めてみましょう

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