奈良散策 第287弾
11月19日の午前中に家族と奈良市にある大安寺に行きました。ここは、南都七大寺(東大寺、興福寺、元興寺、大安寺、西大寺、薬師寺、法隆寺)の一つとして、往時は大寺を誇っていました。今は当時の境内の一部だけの狭い面積になっていますが、歴史のあるお寺です。
奈良市にあるのですが、大和郡山市のすぐ北東にあるので、車では15分くらいで着きます。それで、行こうと思えばすぐにでも行けたのですが、行くきっかけが見出だされずにいました。ちょうど本尊十一面観音立像特別開扉に当たっていたので、一度、行ってみることにしました。狭いと思っていた境内は意外に広々としていて、落ち着いた寺であることが分かりました。
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大安寺はもともと、聖徳太子が病床に臥せっていたときに、田村皇子(後の舒明天皇)に、大寺を造営するように頼み、皇子が百済川のほとりに百済大寺(現在の桜井市の吉備池廃寺)を作ったのが始まりです。西暦639年のことです。その後、高市(たけち)に移転し、高市大寺と称するようになり、677年には大官大寺(明日香村にあり、高市大寺とは別の場所だとする説がある)に改称されました。710年に平城京に遷都されると、それに伴い、現在の大安寺を含む広大な土地に移転し、大安寺と改称されました。この当時は我が国随一の国家の寺院として繁栄しました。その後、火災や地震で建物を失い、小堂一つ残すのみで再建されることなく、いつしか忘れ去られていました。明治15年に再興し、本堂が建立され、現在に至っていますが、境内は往時と比較できないほど狭くなってしまいました。これは入り口の南大門です。昔の南大門は平城京の朱雀門と同じ規模だったと推定されています。
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南大門の中には中門跡がありました。
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こちらは本堂です。
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境内のあちこちにだるまさんが置かれていました。これはおみくじのようです。
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だるまさんの顔、一つずつ意外に違いますね。
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花弁が落ちていて、葉に鋸歯があるので、サザンカのようです。ツバキは花ごと落ちて、葉には浅い鋸歯しかないようです。
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大きなクスノキです。
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これは手水舎です。
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本堂前の広場です。
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その向こうに収蔵庫がありました。拝観受付に行ったら、本堂ではちょうど御祈祷中なので、終わるまで待って欲しいとのことで、収蔵庫に行ってみました。中には重文指定の像7体が置かれているのですが、係の人は誰もいず、勝手に入って勝手に見るという感じでした。
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収蔵庫に行った後、境内を散歩してみました。
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これは嘶堂(いななきどう)とその横にあるお砂踏霊場巡りです。
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そして、護摩堂です。境内を歩いていたら、本堂の方から太鼓の音が聞こえ、どうやら御祈祷が終わったようです。そこで、本堂の方に行ってみました。中には十一面観音立像、聖徳太子立像、弘法大師像などが置かれていましたが、これも周りに誰もいなくて勝手に見るという状態でした。何となく奈良のお寺は鷹揚な感じがします。
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大安寺から出て、神社の方に行ってみました。途中で見たナヨクサフジです。
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これは元石清水八幡宮と言われている八幡神社で、大安寺の鎮守社として807年に建てられたようです。元石清水八幡宮と呼ばれるわけは、大安寺の僧行教が石清水八幡宮の造営に当たったので、その元というのでそういわれているようです。
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その南に大安寺東塔跡がありました。
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そして、これは大安寺西塔跡です。例によって、広い場所にぽつっと塔跡がありました。平城京跡もそうだし、この間見に行った藤原京跡もそうだし、だだっぴろい場所が確保されているのですが、こんな広い場所をこれから先どうするのだろうと気になりました。
雑談)この間から書いていた「新型コロナウイルス(SARS-CoV-2)に関する雑記(第2報)」を書き終えました。今回は実測の感染者数グラフと計算をフィットさせてみたり、ウイルス干渉についても調べてみました。結論的にはごく限られた人数の中で感染が進み、一時的な集団免疫が達成され、感染が収束しているのではという解釈になりました。また、これまでの感染拡大にはウイルス干渉は働いていないというものです。最後に、変異株についても触れてみました。これまでの5波の感染拡大はいずれも異なる変異株によるものですが、一つの株が再び感染拡大することはないのかが気になっていました。ダイヤモンド・プリンセス号での感染の際に調べられたゲノム解析の結果からは、1回の変異が起きるごとに元の株は60-70%に減少するという結果になりました。約2週間に1回変異が起きているとすると、2か月で元の株は10%にまで減少するので、ほとんど消え去ってしまうと考えてもよさそうです。
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