奈良散策 第1319弾
10月6日は飛鳥資料館に行った後、散策をしてみることにしました。万葉文化館駐車場から飛鳥坐神社に行き、藤原鎌足誕生地に行って、駐車場に戻るコースです。途中、植物と虫の撮影もしました。
飛鳥坐神社は小さな山の上にある神社です。拝殿で御参りした後、さらに、奥の方に行ってみました。途中、むすびの神石というのがありました。
少し進むとまた階段がありました。
この階段を登ると、また、神社がありました。ここは八十萬神社というそうです。
さらに奥に行くと、林の中に社がありました。ここが中の社だそうです。
そして、ここは奥の社。
ここは飛鳥山口神社。森の中を歩いていると、ここかしこに社があるというような感じです。
神社が山の上なので、景色はなかなかいいです。左側にこんもりとしているのが甘樫丘、その右に見える山が畝傍山だろうと思います。
神社から下りてきて、その横の道を歩きました。ここは、飛鳥寺修徳坊で、飛鳥寺の宿坊のようです。
歩いていると、ちょっと気になる植物がありました。Googleレンズで調べてみると、コブナグサのようです。
歩いていると、右側に「藤原鎌足公御母 大伴夫人之墓」と書かれた石碑がありました。
これはタンキリマメでしょう。
そして、向こう側に見えるのが藤原鎌足誕生地で、今は、大原神社になっています。
神社の中に入ってみました。拝殿の中央に通路のある割拝殿です。
その奥に本殿がありました。
ここから、万葉文化館前の駐車場に戻ることにしました。ヒガンバナにキアゲハが来ていました。
これはツマグロヒョウモン。
このタバコガっぽい蛾は調べてみると、ツメクサガというタバコガ科の蛾でした。初めて見ました。「標準図鑑」によると、日本全土に分布していて、6~7、8~9月の年2回の発生で、アマ(マメ科)やマメ科植物を食草としているようです。
これはメスグロヒョウモン。
それから、ツチイナゴ。
そして、また、ツマグロヒョウモン。ヒヨドリバナには虫がいっぱいやってきますね。
最後、駐車場の横のトイレの壁にキマダラカメムシが数匹いました。
奈良散策 第1318弾
10月6日は飛鳥資料館に行った後、周辺を歩いてみることにしました。
飛鳥資料館の庭園で、イチョウの木に銀杏がいっぱいなっているのを見つけました。
明日香を散策する前に資料館の前にある飛鳥彩瑠璃(あすかさいるり)の丘 天極堂(てんぎょくどう)テラスでお昼を食べることにしました。ここは吉野本葛の老舗として知られています。
私は葛粥を注文しました。
お昼を食べた後、一旦、車で万葉文化館前の駐車場に行きました。先日行ったときに、家族が明日香民俗資料館を見なかったというので、もう一度、行ってみることにしました。資料館を出たところから明日香の景色を撮ったものです。
庭にこんな碑がありました。万葉集に載っている舎人娘子の歌だそうです。
白いヒガンバナがありました。
その近くにこんなキノコもありました。キノコは名前が分からないので、Googleレンズで調べてみると、タマゴテングタケという候補が出ました。よくは分かりませんが。
ここから近くにある飛鳥坐神社(あすかにいますじんじゃ)に行ってみることにしました。途中、飛鳥大仏のある飛鳥寺の前を通りました。
交互信号と書かれた信号があって、車が何台か止まっています。表示を見ると、青信号は20秒、赤信号は4分というとんでもない信号でした。
この信号を越えると、こんもりとした飛鳥坐神社が見えてきました。
道には「元伊勢」と書かれた道標がありました。Wikipediaを見ると、飛鳥坐神社は昔、「元伊勢」と呼ばれていたようです。
道の突当りのところに飛鳥坐神社がありました。
その脇には飛鳥井と書かれた井戸がありました。
鳥居です。飛鳥社と書かれた扁額が掛けられていました。飛鳥坐神社の主祭神は八重事代主命で、下照姫命、高照光姫命、建御名方命も祀られています。いずれも大国主命の子神のようです。
フヨウの葉にフタトガリアオイガの幼虫がいました。この蛾、以前はフタトガリコヤガと呼ばれていたのですが、「標準図鑑」が出されたときに改称されたようです。
神社に行くにはこんな階段を登らないといけません。
登ったところに力石というのが置かれていました。ちょっと重そうだったので、今回はパスです。
その先に拝殿がありました。だいぶ長くなったので、この先は次回に回します。
奈良散策 第1317弾
10月6日明日香村にある飛鳥資料館に行きました。広い庭園があるので、まず、そこにある石像群を見てから、資料館に入りました。
入ったところは広いロビーになっていました。
その奥に第一展示室がありました。入り口には鴟尾が置いてありました。
展示室の中の様子です。
飛鳥時代の武人の像が目に入りました。こんな格好だったのですね。
これは漏刻。水時計です。水時計というと天智天皇の近江大津宮の水時計を思い浮かべますが、これは明日香村にある水落遺跡で見つかったものです。
先日、万葉文化館で見た富本銭も展示されていました。
万葉文化館は飛鳥池を埋め立てて造られたものですが、そのとき池の底から富本銭の製作工房が見つかりました。富本銭は1985年に平城京跡の九条公園の工事のときに和同開珎などと一緒に初めて見つかったのですが、その時には祭礼に用いるもので一般には流通していなかったと考えられていました。その後、藤原京跡や群馬県の藤岡市からも見つかり、そして、1999年に飛鳥池工房遺跡で製作工房が見つかったので、日本最古の流通貨幣だということになったようです。ただ、江戸時代の貨幣カタログである「古今泉貨鑑」などには富本銭が厭勝銭(まじないや玩具の貨幣)として載っているので、その当時からかなりの数が見つかっていたようです。また、偽物あるいは模造品も多く作られ、カタログには載っていました。こういう模造品と古代の貨幣をどうやって見分けたらよいのかと思って、奈文研の「飛鳥池遺跡発掘調査報告(2021)」を見てみました。組成から分かるかなと思ったのですが、飛鳥池で出土した33枚の富本銭の組成は銅とアンチモンが主成分でそのほかにもビスマス、銀、ヒ素、鉛、錫、鉄が含まれていました。さらに、アンチモンの比率が4.0~27.2%まで分布しているということです。つまり、合金としてうまく混じりあっていなかったというわけです。表面には樹枝状結晶が析出しているところもあったそうです。また、鉛の同位体の比率からも調べられていますが、日本産の方鉛鉱のものに近いということが分かっただけとのことです。つまり、組成からでは江戸時代の模造品との区別は難しいようです。
第一展示室の様子です。川原寺の復元模型も置かれていました。
次に、第二展示室にも行ってみました。入り口に二面石の複製が置かれていました。
中には大きな建造物が置かれていました。これは山田寺の東廻廊の復元模型です。山田寺は641年に蘇我倉山田石川麻呂が建造始めたのですが、649年に中大兄皇子に対する謀反の疑いで完成された金堂前で石川麻呂は自害をしてしまいます。それで、工事はストップしてしまいました。その後、天武朝になって完成されたとのことです。東廻廊は発掘により見つかったもので、世界最古の法隆寺よりも古い木造建築物となるそうです。
これは山田寺で見つかった仏頭の複製です。
これは塼仏(せんぶつ)といって、粘土を型に入れた後、取り出して焼成し、表面を金箔や金泥で装飾した仏像です。
最後は飛鳥浄御原宮付近の復元模型です。なかなか立派な展示なのですが、訪問者は少なかったです。なお、飛鳥池工房遺跡の展示は工事のため、当面、閉室になるそうです。
奈良散策 第1316弾
10月6日に飛鳥資料館に行きました。先日、万葉文化館に行ったときに、近くにあることが分かったので、一度、行ってみることにしたのです。
飛鳥資料館は明日香村の北の端にある、奈良文化財研究所の建物です。
入り口を入ると、広々とした庭園になっていました。
その庭園に石像が点在していました。それで、一つずつ見ていきました。これは亀石です。実物は明日香村川原にあるので、これは複製品です。
これは山田寺の塔心礎です。やはり樹脂で作った複製品です。山田寺は資料館から東に300mほど行ったところにあった古代寺院です。
この辺りには猿石と人頭石が多数置かれています。いずれも欽明天皇陵の南側から発掘されたもので、猿石4体は吉備姫王墓から、1体は高取城跡から見つかったものの複製だそうです。
これは猿石。
そして、これは人頭石。
これは高松塚古墳の複製です。
そして、これは八釣マキト5号墳だそうです。
これは橘寺にあった二面石の複製品。
そして、これは法輪寺の塔心礎。法輪寺は斑鳩にあるお寺です。
これらは猿石です。
こんなところにマダラバッタがいました。
庭園から資料館の方を見たところです。
橋を渡るとまた広い庭園がありました。
左手に石人像がありました。これは噴水です。
そして、これは石神遺跡から発掘された須弥山石だそうです。やはり噴水です。下の方から水が出ていました。
これは猿石。
そして、これは酒船石遺跡の亀形石槽・船形石槽の複製だそうです。祭祀施設として用いられたそうです。
その向こうにヒガンバナが綺麗に咲いていました。
これはシオンだと思います。資料館内の写真は次回に回します。