物造庵 ものつくりあん ナラ(楢崎賢)

ものつくり人「ナラ(楢崎賢)」による
絵や作品の制作過程、自作詩の発表、その他徒然…

すきま なくして

2010年04月08日 06時25分52秒 | 僕は空を見ている







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池田清彦 『他人と深く関わらずに生きるには』

2010年04月08日 06時00分30秒 | 徒然のこと
池田清彦生き方本続きです。こちらの方が前に出してる本だけど、少し気合入っているね。
制度や法律にも言及してる。僕と考え方がとても似通っているので読んでいてとても気持ちがいい。(ただし全く共感できないところもあり。特に制度や法律に関しては。)自分の考え方が強化されていく感じもするが、それが良いことか悪いことかは判然としない。
「人はひとりでは生きていけない、というのは社会のシステムがそうなっているという話であって、ある特定の人がいなければ生きていけない、という話ではない。……自由は孤独の上にしか成立しないし、孤独は連帯と矛盾しない。」
「結婚は契約だし、セックスは運動だから、恋愛から独立していても不思議ではないのだ。」
「人間は社会的な動物であり、ひとりでは生きられない、とよく言われるが、それは現在の社会システムが強い分業体制になっているからであって、人は本来生きようと思えば自分ひとりで生きていけるのである。」
「死ぬとハエが飛んでくる。シデムシがやってくる。カラスが飛んで来られるような場所なら、カラスに目玉をつつかれるかもしれない。これらの動物たちにあらかた食われて干からびた屍は、最後にコブスジコガネやカツオブシムシに食われて骸骨となって残る。個人的な好みを言わせてもらえば、私はできることならば、死体を他の動物たちに食べさせてやって、散々他の動物たちを食べてきた最後の贖罪をしたい。……死んだら土に還ってお仕舞いというのが最も上品な死後である。」
「他力を頼まず自力で生きて、力が尽きたら死ぬのが最も上品な生き方だ、ということだ。働けなくなったら、金を稼げなくなったら、誰かにめんどうを見てもらうのは当然ではないのである。そうなったら野垂れ死ぬのが当然なのだ。……不自由に生きて、不自由に死ぬよりも、自由に生きて、野垂れ死ぬ方が、はるかにカッコイイと思うだけだ。……人は死ねば死にきりである。それでよいではないか。」
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油彩寸ー1

2010年04月08日 05時53分46秒 | 絵の制作過程






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詩531「あかさたなー」

2010年04月08日 05時37分58秒 | 自作詩
あああああああああいうえお。
かっかっかきくけことばたち。
ことばはおとのつらなりで。
やまのつらなり。
なみのつらなり。
ひとのつらなり。
とにているようでおなじ。
いみはあるようなふりをして。
このせかいにはいみなどないし。
ことばはだいじなどということばも。
ただのことばでしかなくて。
いみのつらなりでもなく。
ことばはことばでしかない。
ことばはからだではない。
ことばはぼくではない。
ことばはよろこびではない。
ことばはかなしみではない。
ことばはふかさではない。
ことばはおもさではない。
ことばはたのしまない。
ことばはそらをとばない。
ことばはみちをあるかない。
ことばはことばということばでしかない。
まあまあそれだけ。
さささささらば。
さようなら。
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