今日は何色?

保護猫、ななも7歳。
大人になり落ち着いてきましたけど、まだまだ遊ぶの大好きです。

2024年ふたたび九州へ

2024-11-21 19:46:38 | 2024年九州へ

入院中、九州旅行記を書けるところまで書こうと思ったけど、なかなか忙しくて時間が取れません。

どこまで書けるかわかりませんが数行でも書いて行こうと思います。

と書き始めた九州旅行記、入院中書き進めることはほとんどできませんでした。

これから頑張って書いていきます。

 

10月下旬、私たちは年に1度の空の旅に出かけました。

久しぶりの羽田空港、JALのサクララウンジから見えたこちらの飛行機。

画像も角度も悪くてごめんなさ~い。

残念ながら搭乗する飛行機はこちらではありませんが、実際に見ることができて良かったです。

 

今回の旅、飛行機で福岡へ向かいます。

昨年、飛行機で鹿児島へ行っているのでおよそ1年ぶりの飛行機旅。

福岡へ行ったのはマニラに行く直前。バンコク時代のお友達が福岡に住んでいるので遊びに行ったのが最後なのでおよそ5年ぶりです。

今回大分も行きます。大分は帰国して間もなくお友達が呼んでくれて女二人旅して以来なので3年ぶり。

呼んでくれたお友達は転勤で愛媛に引っ越してしまったので今回は会えません。

 

福岡まではおよそ1時間半。多少遅れるのは仕方がないかな、機内も満席だし羽田の滑走路も混雑しているしね。

 

空港に着くとレンタカーを借ります。

福岡は交通の便がとても良いので当初車を借りる予定ではありませんでした。

が、私が「海の中道に行きたい」と行ったがためにいろいろ検討した結果、車を借りることに。

ただ、福岡市中心部に行きたいお店があってそれも行くとなるとやっぱり車じゃないほうがいい。でもその話をまとめたころにはレンタカーのキャンセル料が・・・。

そこまでして行きたいと思ったお店はこちら。

鈴懸さんです。

お店だけなら百貨店の中とかにあるし、東京にもあります。

すぐ近くには博多座があります。

この日は氷川きよしくんのコンサートが博多座で開催されるようでした。

 

この場所にある鈴懸に行きたかった理由、カフェがあるからなんです。

というわけでレンタカーは旦那さんが駐車場を探して止めて、私は10時半に名前を書きに走りました。

カフェは11時開店なのでその少し前に行くとすでに名前もたくさん書いてあるし、待っているお客様もたくさん!

お友達から「平日でもとても混んでますよ」と教えていただいていたので早く行って正解でした。

 

おしぼり。つい撮影してしまいました。

この日の日替わりランチはハンバーグでした。

旦那さんがハンバーグランチを食べて、私は単品で焼きカレー。

旦那さんのランチにはデザートがついてきます。

冷やしぜんざいでした。

私はどうしても食べたかったこちら。

栗のパフェです。

反対側は?

大きな栗の渋皮煮!!

パフェの中身は栗の水ようかん、栗のアイス、寒天などのいかにも「和」の素材にカシスジュレとブルーベリーと「合うのかしら?」と思ってしまいます。が、合うんですよ~。

今年初の栗、美味しかったです、大満足です。

 

私たちがお店を出る頃もまだお待ちになっているお客様がいらっしゃいました。

早く来てホントによかったです。

うまく鈴懸に行けるようにいろいろと教えてくれたお友達と、そのご友人に感謝です。


入院中のなな

2024-11-20 10:42:36 | ななと2024年

手術から1週間経ちました。

母も日曜日に帰ったので、普段の生活に戻っています。

ただ、1週間前とは打って変わって寒い毎日・・・シャワー生活はちょっときついです~。

早くお風呂につかりたいなあ、温泉行きたいな~。

10月に行ってきたばっかりなのに(早く書かないと)またすぐ行きたくなります。

 

入院中のななですが、私がいなくても平気なようでした。

先月、私の実家で会っている母が来たことで何か感じたようですが。

3泊4日の短い入院で済んだけど、旦那さんがいて私がいない生活というのはほとんどしたことがないうえに、おばあちゃんが来ているなんて変な感覚だっただろうなと思います。

旦那さんから送られてきたななの写真を見る限り、いつも通りかわいいです。

目はちょっと赤くなりそうな腫れぼったい日があったようで、プレドニンを1回飲ませたと。

ステロイド系だけど3、4日に1度のペースなので問題なしです。

 

押し入れで普段から寝ているななですが、母が同じ部屋にいると寝ないことも想定されました。

でも、今回は平気だったらしくて押し入れで毎日寝ていたそうです。

2時3時に起こすことはなかったようですが、早起きした日は母も起きてソファに座る母の足の上で寝ていたそう。

 

ななは私がいなくても平気だったようですけど、留守にしてからのおしっこは血尿だったそう。

退院した日の夕方にしたおしっこを見てかわいそうになりました。あんなに調子が良くなっていたのにって。

でも、ななの血尿は徐々に変わっていき、この数日で見た目はだいぶ黄色になりました。

年内のうちにもう1回検査に出そうかな。

ななはかなり繊細な猫で、そのせいで普段の生活と変わると血尿が出ちゃうんだろうなとここ数か月でよくわかりました。

やれることをやって、あまり一喜一憂せずに気長に付き合っていくしかないですね。

 


退院しました。

2024-11-16 21:16:17 | 乳がん治療

少しご無沙汰してしまいました。

11月11日に入院し12日に部分摘出手術を受け、昨日14日に退院しました。

なんと3泊4日で退院!先生、1週間くらいと言っていたじゃないですか~。

と言いたくなるような日程でした。

1週間のつもりで母に来てもらうとか、旦那さんの仕事の調整をしてもらうとか様々準備しましたが、早く帰れるならそれはそれでいいわけで。

 

少し長くなりますが、入院から退院まで一気に書きたいと思います。

11月11日10時に入院でしたが、病院へ到着すると入院受付はかなり混雑。いつもこうなのか月曜だからなのかわからないけど、10時に病院へ行くことがなかったのでこんなに入院する人がいるんだなあと驚きました。

30分近く待ちましたが無事手続きが終わり病棟へ。

病棟へ到着するとここで送ってくれた旦那さんとはお別れです。

病室へ入ると主治医の名前が違います。

看護師さんから「チームで動いているので」と。

主治医と執刀医って違うの?ちょっと疑問のまま、持ってきた荷物もそのままですぐにリハビリセンターへ呼ばれ、

先生と数分の面談の後に理学療法士から説明を受けます。

手術後にすぐ腕を上げるリハビリを開始するので、術前に腕がどこまで上がるかを測って術後に術前と同じ角度にあげられるようになるまでリハビリは続くそうです。私は180度上がったのでリハビリ終了の目安は180度です。

ハードル上げ過ぎたか・・・。

リハビリセンターから戻ると荷物を片づけ早めのお昼ごはんです。

とてもおいしくいただきました。

その後、核医学検査にこの日入院した他の患者さん2人と向かいます。

核医学検査とはなんなのか?

私が受けた検査は「センチネルリンパ節シンチグラフィ」という検査でこの検査は、

乳がんの患者さんの手術前に行う検査で、少し前までの乳がん手術では腋の下のリンパ節をすべて取っていたが、リンパ節をすべて取るとリンパの流れが滞りその結果、リンパ節を切除した方の腕が腫れたり、むくんだりする場合があるそう。現在の乳がん手術の方法は、必要とされる方のみにリンパ節を切除する方向に変わってきているらしいです。

乳がんの癌細胞はリンパの流れにそって最初に到達した、癌にもっとも近いリンパ節(これをセンチネルリンパ節という。センチネルとは、見張り番という意味)を通ってから全身に広がる性質があると考えられていて、センチネルリンパ節としては、腋の下のリンパ節がもっとも多く、これを通らず、いきなり首やおなかの中のリンパ節に転移することはないと考えられているそうです。

この検査は癌細胞ちかくのリンパ節、つまりセンチネルリンパ節はどこにあるかを調べる検査で、乳がんの病巣を超音波検査で見ながら印をつけた後、この印のそばに薬を注射します。その後、1時間たってから撮像を行うことによって、癌細胞近くのリンパ節に注射した薬が集まるので、手術中、色素法と合わせ、リンパ節を取って、その中に癌細胞がいないかどうかを確認するそうです。

この注射、「とっても痛いので覚悟してください」と言われました。

どのくらい痛いんだろう?と今まで痛かったものを思い出し「針生検より痛いですか?」と最初に乳がんかどうか調べたときの痛みと違うか聞いてみたところ、「こっちの方が痛い」と言われました。

ああ嫌だ嫌だ・・・先生は躊躇することなく「チクッとしますよ」と言いましたが「チク」どころじゃないです、そしてすぐ「お薬はいります、痛いですよ」と。

針さすより薬が入るほうが痛かったです。

その後、1回目の検査を15分ほどかけて行います。ただ寝ているだけなのでどうってことないけど暇です。

なぜ時間をおいて2回するのか聞いたところ、「1回ではわからない場合があるから」だそうです。

2回目はおよそ1時間後なので、一度病室へ戻ります。

その時に一緒に入院した方のおひとり(ここではママさんと呼びます。)ママさん一緒になり、初めてお話をしました。

とても話しやすい方で病室まで一緒に戻りました。

病室に戻ると今度は麻酔科に呼ばれます。

麻酔科では手術で使う麻酔の話、副作用など説明され同意書にサイン。

終わるともうすぐに2回目の核医学検査に移動。

2回目は15分ずつ違う検査機器で検査で、後半15分は疲れて寝ちゃいました。

 

15時半すぎに本日の予定が終わり、ようやくお友達からいただいたはちみつ紅茶で一息付けました。

ただ、部屋がとにかく暑い。部屋にいるだけで汗が出てきます。

11月の割に暖かいということもありますが、もう暑くて暑くて廊下にでるとママさんが廊下に。

声をかけると「部屋が暑くて暑くていられない」と。

ママさんと私とは手術にたどり着くまでの過程も違うし全摘なのか部分切除なのかも違います。が、やはり3泊4日で退院予定。

技術は進歩しているんだなあと実感しました。

 

私のガンは痛くてかゆいです。

ここ1、2週間はかゆみがひどかった。

取ることで痛みもかゆみもなってほしい。

 

夕方、私を診察していた先生Aと主治医のB先生、もう1人C先生がいらっしゃいました。

手術にはこの3人が入ると。

かゆみのことを聞くと「かゆみはなくなると思う」と。

痛みはホルモンの関係かもしれないからわからなさそう。

 

この日は0時から絶食なので手術前最後の食事がこちら。

美味しく完食しました。

 

この日の夜は眠れたかと言えば眠れませんでした。

眠ったけど目が覚めてしまい、またすぐ眠るけど目が覚めるの繰り返し。

寝ていて腰が痛いのもあったし暑かったのも理由。もちろん、多少手術前の緊張とかもあったかなとも思うけど。

朝は8時までお水を飲むことができるので、それまでは結構飲みました。

手術は2番目で11時半予定。

朝、A先生が来て「外来があるから入室の時に僕はいないけど」と。

え?外来してからすぐ手術入るの?お医者さんって大変な仕事ですね。

 

10時過ぎに看護師さんが来て「早まりそうだから弾性ストッキング履いておいて」と。

弾性ストッキングは適度に加圧することで下肢の血流の滞りを予防する役割があります。

履き方もあって、説明書を見ながら少し苦戦しながら履きました。

ちょうどそのころ看護師さんがやってきて「10時50分に出発するのでそれまでにトイレに行っておいてね」と。

ああ、ついにその時がやってきました。

10時50分、看護師さんと出発です。

手術室って病院によっても違うと思いますけど、ここは入ったらたくさんのスタッフさんが動いていて、この日1日で一体何件の手術をするんだろう?という感じでした。

ベッドに寝かされて麻酔の先生が話す声が聞こえていて、何を話しているのかと言えば「あるけど細い」と。

私の血管が見つからないらしい・・・結局右手首に針が刺さりました。

そして麻酔の薬の話をされていると咳が止まらなくなり、「ごめんね、咳が出る薬なんだよ」と聞いたのが最後。

麻酔科の先生に起こされたのは2時間ちょっと経ってから。

私何か楽しい夢を見ていて。でもそれがどんな夢だったのかは全く思い出せません。それを伝えると、

「もし夢を覚えていたら、ぼく怒られちゃうんだ」と。

ああ、そうなんだそういう薬なんだ。

 

それからよくテレビで見るベッドごと病室に運ばれる状況に。これって結構気持ち悪くて揺れもそうだし頭がちょっと低くて気持ち悪い。

エレベーターに乗るのに方向を変えたりするけど、それも気持ち悪い。

病室に着くと担当の元気な看護師さんが「ちょっと起こそう」とベッドの頭を起こしてくれて足にはフットポンプが付けられました。

水が飲みたいというと「3時間我慢」と。

そして暑いことを言うと、アイスノンを用意してくれてそれでかなり気持ちが良くなりました。

そこからは記憶がおぼろげで、多分寝たり起きたり。ただ、寝る前にスマホだけは枕元に置いてもらったので母と旦那さんに連絡。

 

3時間経つ頃に看護師さんがやってきてポンプを外してくれてトイレに行けました。

なにげなく左手でトイレの扉を開けようとしたらちょっと痛くて開けられず。手術したんだなあ私。

術後最初の尿は薬の影響で色がつくことがあると聞きましたが、そんなの見る余裕なし。

 

ベッドに戻って寝ていると旦那さんがやってきました。

家族がいたほうがいい人とそうじゃない人といますが、私はいなくていい人。

母にはななのお世話に徹してほしいし、旦那さんも先生が「旦那さんがいたほうがいい」と言った日は時間を作ってくれたのでね。

旦那さんがいる時間にA先生が回診に来てくれました。

何を話したか実は覚えてません。詳しい話は多分していなくて「無事に終わってよかったですね」的な話だけだったような・・・。

この日の夕食はゼリーやプリンということで旦那さんに買ってきてもらいました。

2つ買ってきてくれたけど、1つ食べるのがやっとでした。

 

ここから私、頭痛に悩まされます。

寝ても覚めても頭が痛い。痛み止めを出してもらうけど(アセトアミノフェン)これがまあ効かない。

効いても2時間程度でそのあとも鈍い痛み。

そりゃあ普段ロキソニン飲んでいるのだから効くわけないか。

ただ、この時は何を出されているのかよくわかっていません。

翌朝早い時間に麻酔科の先生がいらして、現状を聞き取りします。

頭が痛いのは2,3日続くとのこと。痛み止めも我慢せずに飲んでと。

 

この後朝ごはんでしたが、ほとんど食べられませんでした。

パンだったので甘いジャムをたくさんつけてみたけどダメ。牛乳はとりあえず飲んでバナナも後で食べられるかな?とキープ。

なるべく早くベッドから出たほうがいいというけど、頭が痛いのなんの。それでも何とか頑張って歩きに廊下に出たところママさんと会いました。

ママさんは頭痛もなく元気。

お腹がすいちゃってゼリーもちゃんと食べたし、大福を食べる夢を見たからご家族に大福を買ってきてもらうそうです。

すごいな・・・。ママさんはご家族がゼリーやプリンをたくさん買ってきてくれたそうで食欲がない私に分けてくれました。

そしてシャワーを浴びたというので私も浴びました。

少しスッキリしたけど、お昼ごはんも1割くらいしか食べられず。食べてもおいしくない。

いただいたプリンを一口食べたけどおいしくない。

そうこうしているうちにリハビリセンターから呼ばれます。とにかく頭が痛いので頭痛薬を先に飲んでからリハビリへ。

リハビリセンターはエアコンが効いていてかなり快適。

どうやら乳腺外科からリハビリに来た患者さんたち「病棟が暑い」という話をしていたそう。やっぱ暑いよね、あれは暑いんだ、私だけじゃないんだとちょっと安心。

頭痛いけどリハビリ開始。

・前に棒(タオルでも可)を持って上下に30回

・左右に30往復

・左手を壁について上に30回

・横を向いて上に30回

・ベッドで腕を頭に付けて広げる

これが終わって腕を上げて角度を測ると175度でした。

頑張って朝昼晩の3回やりましょうと。

次回の診察時にリハビリの予約も入っているので、そこで180度に達せばリハビリ終了です。

 

頭が痛いのはまだ続き、回診に来たB先生に話すと「アセトアミノフェンからロキソニンに変えられると」。

即変えてもらうことにしました。

でも飲めるのは14時に飲んでいるので20時。でも、後からわかりましたけど、成分が違うから6時間開けなくても良かったらしいです。

我慢しないで言えばよかったなあ。

とはいえ、このロキソニンもなかなか効かないままなので夕飯もほとんど食べられず。

ママさんからいただいたプリンを食べてみたら、昼間よりは美味しかったので食べきりました。

頭痛は続いているので消灯前に寝て、夜中ナースコールをしてロキソニンをもらいました。

それが少し効いたのか痛みはあるけど、朝ごはんは全部食べられました。

そう、3泊4日なのでこの日私退院なんですよ。

こんなに頭痛いのにホントに退院するの?私?

不思議なことに入院中頭の中を無限ループしていたのは、THE ALFEEの「シンデレラは眠れない」。

なんででしょうねえ。

 

入院の期間について看護師さんに聞いたら3泊4日は乳がんでは早い方で、管が入るともう少し長くなるとのことでした。

私は管、入ってない。

そういえば手術後にA先生が来たときにリンパも心配ないとか言っていたようないないような・・・。

 

退院前、最後に傷を見に来たB先生にロキソニンとアセトアミノフェン両方出すと言われこの時、6時間あけなくても成分が違うから飲んでいいと説明されました。

もっと早く教えてくれたらよかったのになあ。

その後、A先生も来て傷の確認をしてくれました。

傷はすでにふさがっているので、テープがはがれたらはがしていい、気になるようなら絆創膏貼っておいてと。

 

退院は10時でそれまでに退院後の注意点や飲み薬の説明が看護師さんからありました。

私より先にご家族がお迎えに来たままさんが病室に寄ってくれて、お友達になってお別れしました。

次の診察は同じ日なのですが時間が午前午後と違っていて残念ながら会えません。

年に数回、この病院では乳がん患者の集まりがあるそうなので、そこで会えるかなと話してお別れ。

 

そして旦那さんがお迎えに来たので病院を後にし自宅に帰りました。

自宅に戻るとななは押し入れで寝ていて、荷物を片づけていると出てきました。

頭痛があるのでもらった薬を飲んでソファに座るとすぐにななはやってきて、

そうきましたか~。

ななと2,3時間寝たらちょっと頭がスッキリ。

母にも「帰ってきたときよりも覇気がある」と。

麻酔科の先生が言った通り2,3日で頭痛は良くなった感じです。

 

同じ日、梅宮アンナさんが退院しました。

アンナさんとはがんの種類が違うけど、様々なことを発信してくれたのはとてもありがたかったです。

アンナさんに対するコメントを読むと同じ乳がんを経験した方のコメントや他のガンを経験された方のコメントが多く、こちらにも励まされました。

全く知らない方の体験が支えになるなんて今まで経験したことはありません。

放射線治療が続きます。そして2年近く治療してきたのに、ここからまた10年治療が続くことになります。

やっぱりガンって実際に患者にしかわからない、いろいろな思いがあります。そんな思い、できることならしないほうがいい。

 

どのようにまとめようか、うーん手術が終わったばかりでまだ、私のガンがどのようなガンなのかもわかっていないのでまとめられないかな。・・・なかなか言葉がでてきません。

退院までのことも何か抜けてるかもしれないので、追記するかもしれません。

 

治療はまだ続きますが、2年近く持ち続けていた乳がんを切除したことは私にとって大きなことです。

今現在、かゆみはありません。

痛みは手術前に比べるとかなり少ないです。もしかして傷の痛みだけなのかも。

 

このブログを読んでくださっている皆さんの多くは私が存じ上げない方ですが、きっと気にかけてくださっていただろうと思います。

ご心配と応援をありがとうございました。

これからも治療のこと、猫のことなどこのブログは続けたいと思います。

よろしければまたご来訪いただけると嬉しいです。

 


お友達のありがたさを実感しています。

2024-11-09 21:43:57 | 乳がん治療

ようやく秋らしくなってきました。

雪が降り始めたところもありますからね。本格的に寒くなる日が近づいているんだなと思います。

 

入院前にちょっと愚痴を書いちゃおうかな。

我が家は築15年にもなるマンション。

もうね、いろんなところにガタがきてます。

いろいろ修繕とか買い替えとか考えているんですけど、昨日浄水器から水がぽたぽたと落ち始めました。

締められるものはすべて締めたけどダメ。

というわけでカスタマーセンターに電話。

まあね、劣化ですよ劣化。

その修理に1万円弱かかるというけど、これはもう仕方ない。

でも、手術前に来てもらえるかは不明で、今日連絡がないので無理なんでしょう。シンク下の水道の栓を止めるとぽたぽたが止まると教えてもらったので、留守の間は止めておけばいいやと思ってます。

 

そして15年目になるガス給湯器。

これはまだ大丈夫、今のところ。

だけどもう15年、今年壊れるかもしれない。

というわけで見積もりをお願いしました。

マンションなので何でもかんでもOKと言うわけではないので、可能なものをいくつか。

これは、前向きな交換なので良いのだけど、今回見積もりを依頼して分かったことが1つ。

この部屋に住み始めたときに様々な書類をもらいました。その中にガス給湯器のお客様カードがあったんです。型番がかいてあるものなんですけど。

この型番が違っていたんです!!!ビックリでしたよ。

恐らくうち以外のお部屋はカードに書かれたものなのですが、我が家は間取りの関係上その書かれた型番の給湯器は置けないそうで、違う機種だったのです。

もうビックリでしたよ、全く・・・。

 

今週は私にとってとても充実した1週間でした。

同じマンションの友人2人からそれぞれランチに誘われてしまったのです。

「明日ランチどうですか?」

「突然だけど今日ランチどう?」

という感じで。

この街で「知り合い」はいても「お友達」と呼べるのは片手で収まるくらいしかいない私。

手術のこと知っているのはこの2人ともう1人、12月に同じ病院に入院するお友達だけ。

ランチのお誘い、断る理由はないです。

入院中、何かあった時に頼りになる2人なのでお願いしておきたいし。

お言葉に甘えることはないのだけど「病院まで仕事休みの時は送りますよ」と言ってくれたり、入院中来てくれている母を乗せて病院に行きますよと言ってくれて、その気持ちがありがたいのです。

 

お子さんが帰宅するまでの短い時間でしたが楽しんできました。

同じマンションに住んでいるお友達です、2人からはそれぞれ有意義な話が聞けてよかったです。

 

ガス給湯器をすでに交換していたり、ガスコンロも交換していたとか。

あれもこれも壊れそう・・・次は食洗器が壊れるかも・・・壁紙が酷いことになっているなどなど・・・。

15年も住めばいろいろあります。同じようなことで頭を悩ませているわけで、話に花が咲いてしまいました。

 

忙しくなった理由はまだあって。

普段、こまめにやり取りをしているのは親友くらいなんですけど、まだ書いてませんが九州の旅で出会った新しいお友達がいまして、この2人とのやりとりがこの1週間続いていました。

きっと手術まで2人とのやり取りで気持ち的に支えてもらうんだろうなあと思っていました。

 

手術のことは遠くの友達には話してなくて、知っているのは3人だけ。

ブログのこと、知っているお友達もいますが「私は見ないから」とハッキリ言った友達もいたなあ。

なのでどのくらいのお友達が見てくれているかはちょっとわからない。

 

乳がんのことを話した友達はいるにはいます。ただ、連絡を取っているか?と聞かれると年に1回だけだったり、しばらくご無沙汰している友達もいます。

今年、何度か帰省するときも連絡したのは2人だけでその他のお友達には連絡してませんでした。

でも何か感じたのか「どうしてる~?体調はどう?」と東京とマニラにいるお友達から連絡がありました。

手術すること、その後の通院もあるから年末はまだ予定が立たないことを伝えます。

「連絡しなくてもいつも思ってるから」と。

ありがたいですね。

 

そしてマニラから台湾へ渡った猫友さんからも連絡がありました!

3日間くらいの間にマニラ時代のお友達3人から連絡があるなんてなんてことでしょう!何かある?

 

猫友さんは今、一時帰国されているということで急遽私の住む街に来てくれると。

一時帰国先は、我が家から近いと言えば近いけど、遠いと言えば遠い街。私も1回しか行ったことがな~い!

昨日は髪の毛を切る予定にしていたので土曜日にしてもらいました。

なんだか今週すごいことになってる・・・と思っていたら帰宅した旦那さんが手に持っていたのはレターパック。

今週連絡をくれた東京のお友達からでした。

深大寺にお参りしてくださったそうです。

それとどことなくななに似てるポーチ。

やっぱり似ていると思ったそうで、ななを病院に連れて行くことはできないからこのポーチをお供にと送ってくれました。

もう泣いちゃう。

猫友さんから連絡をいただいた時も泣いちゃいそうだったけど、今週は泣いちゃう週間になりました。

 

そして今日の午後、猫友さんと久しぶりにお会いしました。

猫をマニラで飼っている大先輩で、猫の情報や普段の生活の仕方など様々なことを教えていただきました。

同じメイドを雇っていたので、コロナの時は日本人のほとんどが帰ってしまったので、仕事がなくなったメイドさんの処遇を相談したり、一緒に食料品をメイドの家に届けたりして、とても濃い時間を過ごした方。

 

短い時間でしたが、懐かしい話や今の生活の話など話はつきませんでした。お別れするのが嫌でしたよ。

こちらはいただいたお土産。

ヒグチユウコさんが描いたイラストの箱は金木犀烏龍茶。特別版ですって!

フェイスシートとともに病院に持って行きます。

 

ここ数日、忙しくてバタバタしていたけど、毎日時間があったらどうしていただろう?と考えてしまいました。

1人で過ごす時間、なながいるから1人ではないけど、何かを考えたりする時間が多ければ多いほど不安に押しつぶされていたかもしれない。

旦那さんにあたりちらしていたかもしれない。

 

その時間を次々と埋めてくれた友人たち、本当にどうもありがとう。

もっとね、文才があればよかったんですけど、残念ながらそのようなものは持ち合わせてなくてうまく書けないのですが、

私に関わる友人たち、ブログを読んでくださっている皆様ありがとうございます。

来週、入院します。

手術が終わったら報告します。


「モネ 睡蓮のとき」鑑賞してきました。

2024-11-01 10:39:10 | おでかけ

短い実家滞在なのであまり出かけることはなかったのですが、こちらには行ってきました。

国立西洋美術館で開催されている「モネ 睡蓮のとき」です。

世界最大級のモネコレクションを誇る「マルモッタン・モネ美術館」から日本初公開作品7点と、日本国内に所蔵されている名画を加えたおよそ50点が一堂に集結した展覧会です。

中でも、モネ晩年の最重要テーマ「睡蓮」が20点以上展示されますから、様々な睡蓮を見ることができます。

中に入るとこちらの睡蓮が。

この先は撮影不可です。

この日はとにかくお客さんが多くて多くて。10月5日から始まり1か月も経っていなかったので仕方がないですが、もう少し遅い時間に行けばよかったかなと思います。

絵の説明を読むのにも一苦労しますし、列を作るなと言われても人がとにかく多くて先に行こうにもなかなか。

どうして美術展の絵の説明って文字が小さいのでしょう?説明を読むために列になるんですよ。文字が大きいと絵の邪魔になるのかしら?

音声ガイドを借りればいいのかもしれないけど、全ての絵のガイドではないのでねえ・・・。

展覧会は第1章~4章とエピローグで構成されています。

撮影は基本的にできないのですが第3章が撮影可能のお部屋。

この部屋の形が楕円形で、ずらりと睡蓮が並べて展示されていました。

部屋全体を撮影したかったのですが、とにかくお客様がたくさんいらしていたのでどなたにも迷惑をかけない写真を撮るにはこれしかできませんでした。

この部屋で撮影した絵の一部。

睡蓮 柳の反映

睡蓮

私は美術のことは何もわからないので、何がどうとかこうとか言えません。

睡蓮も1枚だけじゃないことは知っていたけど、こんなにたくさんあるとは知らなかったです。

モネが白内障を患った頃の睡蓮を見たのも初めてだったので、患う前の絵との違いに驚きました。

この時の絵は第4章で展示されています。

 

ショップ、見たかったのですがショップに入るため列が外にできていたのでやめました。

 

会場を出てお向かいにある東京文化会館へ。

10月27日までこちらが開催されていました。

それに伴い、無料で衣装が展示されていました。

どれも素敵な衣装です。

モネを見に行った先でこのような衣装を間近で見ることができるとは。

雨に降られたけど良い1日になりました。