若狭湾と琵琶湖は北前船の物資を京都に運ぶ水運で密接に繋がっている。
平清盛の時代、息子の重盛が敦賀笙の川と琵琶湖を繋ぐ運が構想を発した。
琵琶湖疎水を完成させた田邉朔郎 も 計画をしたが資金面や鉄道発達もあって成し得なかった。
敦賀からの運河は笙の川を上って疋田船川へて疋田まで物資が運ばれ そこから陸路深坂峠を経て琵琶湖塩津へ。
塩津からは丸子舟が そして大津などから陸路京都へ。
REBORN!
温めていたカヤックでその水運ルートを探るProjectを本格始動をした。
第1弾は歩いて探る!塩津浜から敦賀の笙の川河口まで歩いてきた。
その一、深坂古道。
塩津街道は「塩の道」ともいい、敦賀に陸揚げされた海の幸や塩・米など を畿内へ運ぶ重要な海道で、万葉集の歌人・笠金村や紫式部が父に同行して 越前へ行く際に通った道としても知られており、昔は人の往来が絶えませんでした。
平安末期、平清盛は息子、重盛に琵琶湖・敦賀間の運河の開削を命じました。石工が岩を割ろうとしたところ、激しい腹痛に見舞われ、掘り起こすとお地蔵さまが出てきたといわれています。これが今も残る深坂地蔵(別名、堀止め地蔵)です。
https://kitabiwako.jp/spot/spot_812 より引用。
琵琶湖の最北端塩津浜。
かつてのこの常夜灯まで琵琶湖があった。
深坂古道から深坂峠、深坂地蔵へ。
琵琶湖へは大川を使う計画であった。塩津浜に注ぐ大川は琵琶湖の水源として再奥端である。
大川の源流部は琵琶湖の源流部。
塩津海道の道標。
敦賀の海まで45000歩25km以上歩きました。 続く