11月22日(日) 栗田半島~天橋立漕ぎを催行しました。「くんだ」と読みます。宮津湾の東側の半島。半島の西側・宮津湾エリアはすでにすませていましたが(橋立~田井~黒崎~伊根を漕航) 先端部の黒崎から東側は未漕でした。
天橋立まで漕いだことで 日本三景のスタンプラリーを完成させた参加者も出現。その人は日本三弁天も完漕させていました。
砂浜からの出艇は強烈な寄せ波のタイミングを計るのがくせもので デッキのボトルを流す人。マップケースを流したり。地図の無いのは大変なので 上陸して再出艇。一度目の出艇時は 波に押さえ込まれコックピットより前部が水没たが 今回出動のウィスキー16(ポイント65)はバウに浮力があって 次の瞬間音を立てて浮き上がってきました。しかしゴムハッチカバーも浮き上がっていました。(はずれかけていた)
橋立で昼休憩の後、帰途に着いた。帰りがけ画像の小島付近で参加者が出艇時に流したボトルを偶然回収。
行きの黒埼付近は三角波、晴れたり、曇ったり、風が強まったりと不順でしたが この時期にしては運良く漕げたので良かったです。
夕食には 念願のあのお店に!23日(祭)はもっと良い天候で素晴漕ぎができました。
橇に2艇のカヤックを載せている。
フリチョフ・ナンセンという人を知っていますか?「僕は何か聞いたことがあったかな?」という感じでした。偶然、BS朝日を見ていたら番組の宣伝で スキンカヤックが目に留まった。それは「地球伝説」という番組。
ノルウェー人のナンセンは人類初の北極点到達を目指して1892年春に旅立った。1895年2月からの氷上移動ではヨハンセンと二人で 3台の橇を用いてそれにカヤックを2艇載せていた。
半ば遭難のようなこの氷上移動であったが、氷の解け時期はカヤックでの移動だったようだ。
カヤックを双胴にして帆を張って進むのは 効果があったようだ。一冬をまた越冬した二人はカヤックの移動を再開するが ナンセンのカヤックがセイウチに噛み付かれて漕行不能となった2日後、偶然にもイギリスの探検隊と遭遇して生還を果たした。
100年以上前・明治28年に凄い人が居たもんだ!
11月に入りました。1日(日)は 琵琶湖トラストに同行して 尾上漁港から漁船(かな?)に乗せてもらって 葛篭尾崎の東岸から竹生島周航。葛篭尾崎東岸では2箇所に上陸して 漂着ゴミ広いの下調べ。
本番は11月21日(土)です。ご都合のつく方はご協力をお願いします。詳細はこちらです。
3日(祭)は 労働日!この日の朝、伊吹山・比良山が初冠雪、寒い朝であった。車のフロントガラスも初凍結した。冬の到来を実感! 夕食は鍋! カレー鍋?カレー鍋、僕的には△~×?
そろそろ 冬眠! 暁を覚えず?