長内那由多のMovie Note

映画や海外ドラマのレビューを中心としたブログ

『EO イーオー』

2023-06-12 | 映画レビュー(い)

 ポーランドの巨匠イエジー・スコリモフスキ監督の最新作の主人公はなんとロバ。1966年のロベール・ブレッソン監督作『バルタザールどこへ行く』からインスパイアを受けたという本作は、1頭のロバ“イーオー”の目を通して私たちの住む世界を描く。イーオーは旅回りのサーカス一座で少女とパフォーマンスをしていた。ロバに生まれた宿命ゆえに荒くれの芸人達からは使役もされたが、それでも少女は“EO”と耳元で優しく囁いてくれる。ところがアニマルライツ団体によりサーカスの動物たちは行政に引き取られ、イーオーは何処とも知れない農場へ連れ去られてしまう。

 イーオーが再び少女と巡り合うまでの感動映画か?違う。ボイスオーバーのないディズニー映画か?違う。少女とはあっさり決別し、イーオーの旅が始まる。暗い夜道から外れて森に入ると、そこにはトンネルがあって…なんとスコリモフスキは私たちをロバの深層心理へと導く。イーオーは野を駆けるサラブレッドに焦がれ(ひょっとすると自身を馬と勘違いしているかもしれない)、暴漢に襲われて重傷を負えば四足歩行のロボットになった幻覚を見る。そしていつしか目にした事もないであろう、映画女優イザベル・ユペールの淫夢を見るのだ。物言わぬロバに言葉と魂を与え、愚かな人間に翻弄されるイーオーの姿に“もののあわれ”を感じさせるスコリモフスキの魔力よ!88分間の午睡の末に場内に明かりが灯れば、私たちは『EO イーオー』の残像を脳裏に、夢現のまま映画館を後にするのである。


『EO イーオー』22・ポーランド、伊
監督 イエジー・スコリモフスキ
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

『生きる−LIVING』

2023-05-23 | 映画レビュー(い)

 1952年の黒澤明監督作『生きる』はかねてよりハリウッドリメイクの企画開発が続けられ、一時はトム・ハンクス主演というプロジェクトも存在したようだが、いずれも実現には至らなかった。事なかれ主義でお役所仕事を淡々とこなす壮年の男が、余命宣告を受けたことから人生を見つめ直し、残された僅かな時間に意味を持たせようと奔走していく…ハリウッドなら恥ずかしげもなくお涙頂戴のヒューマンドラマに仕立て上げられてしまう筋書きだが、敗戦間もない1952年に製作された黒澤版には惨禍を招いた“凡庸な悪”、人間の惰性や無関心に対しての明確な批評があった。

 2022年に英国でリメイクされた『生きる LIVING』は概ね黒澤版に準拠しているものの、一番の特徴は日系英国人のノーベル賞作家カズオ・イシグロが脚色を手掛けていることだ。自身の著作に対して小津安二郎や成瀬巳喜男からの影響を認めているイシグロは、簡素で洗練された哲学によって黒澤版より40分も短く『生きる』を語り直している。紳士でありたいとする主人公を通じて“英国紳士とは何か?”と問いかける本作は、イシグロの代表作にして1993年にはジェームズ・アイヴォリー監督、アンソニー・ホプキンス主演で映画化された名作『日の名残り』と相似形を成している。『日の名残り』でホプキンス演じたスティーヴンスは、主人に完璧に仕えることを生きがいとする執事。只々、使役し続けた彼は英国上流階級とナチス・ドイツの癒着を傍観し、その結果、戦火は招かれ、主人を失脚させてしまう(これらの歴史的背景は英国王室の内幕を描いたTVシリーズ『ザ・クラウン』にも詳しい)。年月が流れ、戦後、密かに想いを寄せていたメイド頭のミス・ケントンに会いに行くも、彼女には既に伴侶がいるのだった。わずか35歳で人生のままならなさ、寂寥を描いたイシグロの傑作に対し、『生きる LIVING』はかろうじて人生の黄昏時に間に合った男の物語である。おそらく黒澤版の主演志村喬の喋り方を引用しているであろうビル・ナイは、今にもかすれそうな声音で引き算に徹した枯淡の名演。彼の体現する英国紳士たるエレガンスこそイシグロが憧憬を抱き続けてきた姿ではないだろうか。偉大なる名優が本作で初のオスカーノミネートを獲得したことがファンとして喜ばしい。オリジナルで小田切みきが底抜けの屈託の無さで演じた若い娘に、リメイクでは『セックス・エデュケーション』の良心とも言えるエイミー・ルー・ウッドが好演していることも特筆しておきたい。

 黒澤版は後半の通夜のシーンが(くどくて)長く、メソッドの異なる性格俳優陣による演技合戦に豪放なヒューマニズムがあって楽しいが、イシグロはここを端正に切り上げると物語を次世代へと繋いでいる。ここに若くして老成した『日の名残り』のイシグロが、壮年に入ったからこその達観があるのではないか。黒澤映画のリメイクというよりも“カズオ・イシグロ作品”として語られるべき作品であり、新鋭オリバー・ハーマナス監督が撮影ジェイミー・D・ラムジーのカメラを得て、オールドスタイルの美しい作品に仕上げている。


『生きる LIVING』22・英
監督 オリバー・ハーマナス
出演 ビル・ナイ、エイミー・ルー・ウッド、アレックス・シャープ
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

『イニシェリン島の精霊』

2023-03-23 | 映画レビュー(い)

 パードリックとコルムは歳こそ離れているものの、長年の親友同士。毎日14時を回れば島で唯一のパブに繰り出して、ギネス片手にバカ話に花を咲かせる毎日だ。今日もパードリックはコルムを迎えに海辺の家を訪れるが、どんなに声をかけてもうんともすんとも応えない。仕方がないから1人でパブへ行けば、常連の酔客達があれやこれやと詮索する。しばらくするとコルムは現れ、パードリックに向かって絶縁を宣言した「友達をやめる」。時は1923年、海を隔てたアイルランド本土は内戦の真っ只中で、砲火の音がここイニシェリン島まで木霊してくる。

 イニシェリン島とは存在せず、監督脚本のマーティン・マクドナーがアイルランド西部アラン諸島をモデルにしているという。本作は1996年の戯曲『イニシュマン島のビリー』に始まり、2001年の『ウィー・トーマス』に続く“アラン諸島三部作”の完結編として書かれたが完成には至らず、長編映画として日の目を見る事になった。島中が碁盤の目のような石垣で覆われ、木々が1本もないイニシェリン島のランドスケープは目を引かれるものの、多分に戯曲の魅力が強く、演劇では“見立て”として演出される戦争や精霊は映画にするとあまりに直截的で、物語から曖昧さを奪ってしまっている。次第にエスカレートしていく絶縁騒動はある日、突如として隣人同士がいがみ合い、時が経つにつれ争点すらわからなくなる内戦のメタファーで、これが分断と対立を描いた2022年のアメリカ映画(&TVシリーズ)に呼応し、アカデミー賞8部門9ノミネートに結実したのだろう。しかし“アイルランド人の両親から生まれたロンドン育ち”という出自を持つマクドナーの作風につきまとう批判だが、純朴で愚鈍な田舎者とその教養ある友人、知的な妹らが織り成す対立劇はあまりに批評的だ。

 マクドナーは本作のテーマについて語ることを避けている一方、「これは恋愛関係の終わりだ」と言及している。信心深いアイルランドの寒村で中年の男女が独り身でいることは容易いことではない。コルムは牧師に「同性への性的欲求はあるか?」と問われると憤慨する。彼は同性愛者で、ゲイフォビアから自身とパードリックを守るために絶縁宣言し、挙げ句自身の指まで切り落としてパードリックを遠ざけたのか?終幕に向かうにつれ、彼の“献身”は際立つも、しかし愚鈍なパードリックには何一つ伝わっていない(そもそもパードリックには同性愛という知識すらないのかも知れない)。パードリックはマクドナーの前作『スリー・ビルボード』でサム・ロックウェルが演じたディクソンと表裏一体のキャラクターであり、演じるコリン・ファレルのしょぼくれ芝居は実に軽妙、いよいよ堂に入ってきた。終幕、道を違えてしまう凄味はオスカー会員には高度過ぎてわからなかったのかもしれない。マクドナーは容易に悪にも善にも転じてしまう人間の愚鈍さと純朴さに慈しみの眼差しを向けている。その視点は時に辛辣が過ぎるが、根底には愛があるのだ。


『イニシェリン島の精霊』22・アイルランド、英、米
監督 マーティン・マクドナー
出演 コリン・ファレル、ブレンダン・グリーソン、ケリー・コンドン、バリー・コーガン
 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

『イルマ・ヴェップ』

2023-01-03 | 映画レビュー(い)

 後にオリヴィア・アサイヤスがTVシリーズとしてセルフリメイクする初期作『イルマ・ヴェップ』は、96年の時点で既に確立されていた彼の作家性をありありと見出すことができる。一見、辛辣でいてその実、確かな憧れを抱いているアメリカ映画への眼差しと、フランス本国の怠惰なアートハウス映画への批評は、SNSによって映画が周辺知識のみで語られることが増えた現在もなお色褪せない。パリという街の特性とは言え、96年に香港からマギー・チャンを招いた闊達さは時代を先駆けており、後に5年間の結婚生活を送る彼女にとことん惚れ込み、その魅力を余すところ撮らえることに成功している(離婚後も2009年に『クリーン』を撮影し、チャンにカンヌ映画祭女優賞をもたらしている)。

 香港の女優マギー・チャンが新作映画『イルマ・ヴェップ』の撮影にパリへとやって来る。映画監督のルネ(ジャン・ピエール・レオ)は原作映画『レ・ヴァンピール 吸血ギャング団』を踏襲する事に躍起となり、理屈と模倣に終始した撮影によって映画は立ち行かなくなる。ルネが神経衰弱に陥ったその夜、マギー・チャンは再撮影された真の『イルマ・ヴェップ』を夢見る。現代的なスリルに満ちたこの映画は見事なロングショットが炸裂し、プロモーションでは映画ジャーナリストがフランスの独りよがりな作家主義をこき下ろして、ジョン・ウー(当時、ハリウッドに進出し、大成功を収めた世界的ヒットメーカーだった)を称賛する…近年の『アクトレス』『パーソナル・ショッパー』でも見せたように虚と実、映画の内と外を横断するのがアサイヤスだ。そのどちらにも真実があり、マギー・チャンはアートハウスとブロックバスターのどちらの映画も存在すべきと言う。本作はフランスで批評家としてキャリアをスタートさせ、アメリカやアジアの映画に傾倒したアサイヤスという作家のアイデンティティそのものであり、それは26年の時を経てHBO版『イルマ・ヴェップ』でよりパーソナルな作品へと昇華されていく事となる。


『イルマ・ヴェップ』96・仏
監督 オリヴィエ・アサイヤス
出演 マギー・チャン、ジャン・ピエール・レオ
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

『愛しい人からの最後の手紙』

2022-10-14 | 映画レビュー(い)

 現代、ベテラン新聞記者の急逝にあたり追悼記事を書くことになったエリー(フェリシティ・ジョーンズ)は、遺品の中に情熱的な恋文を見つける。誰から誰へ当てたのかも判然としないラブレターを読み解くうちに、彼女は実ることのなかった悲恋を知る事となる。

 1960年代と現在を往復する本作は致命的なことに物語の要となる不倫愛に色気が足りないどころか、これっぽっちも火照るものがない。人妻をシャイリーン・ウッドリー、新聞記者にカラム・ターナーと演技力に定評のある役者が配役されたものの、互いに全く興味がないかのような体温の低さで、これではジョー・アルウィンの演じる冷徹な夫とまったく代わり映えがしないではないか。

 一方、現代パートで恋文の主を調べるフェリシティ・ジョーンズには映画を活気づけようとする華があり(スタイリングが可愛らしい)、ひょっとするとウッドリーと役を入れ替えた方が上手くいったかもしれない。監督のオーガスティン・フリッゼルは正統派のロマンス演出で『Never Goin'Back』『ユーフォリア』とは異なる職人ぶりを発揮しているが、映画の体温を上げるには至らなかった。


『愛しい人からの最後の手紙』21・英
監督 オーガスティン・フリッゼル
出演 フェリシティ・ジョーンズ、シャイリーン・ウッドリー、カラム・ターナー、ジョー・アルウィン、ベン・クロス、ナバーン・リズワン、ダイアナ・ケント
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする