長内那由多のMovie Note

映画や海外ドラマのレビューを中心としたブログ

『イン・ザ・ハイツ』

2021-08-09 | 映画レビュー(い)

 リン・マニュエル・ミランダが大ヒットミュージカル『ハミルトン』に先駆けること7年前、2008年に手掛けた人気ミュージカルの映画版だ。プエルトリコ系移民が多く住み、ミランダもまた居を構えるNYワシントンハイツを舞台に移民の苦難、若者たちの夢と希望が描かれる。

 安易なフランチャイズ展開ではない。ミランダは稀代のミュージカルスターであるのと同時に、ミュージカルの革命者だ。彼の人気を決定づけた『ハミルトン』はアメリカ建国の父アレクサンダー・ハミルトンの半生をオール有色人種のキャストが演じ、この"カラー・ブラインド・キャスティング”は時のBLMとも呼応してハリウッドのキャスティングに変革をもたらした。白人優位のジャンルであるミュージカルをラップミュージックで刷新、作品の大ヒットは南北戦争に従事しながら建国の歴史から抹殺された多くの名もなき有色人種の声を浮き上がらせた。それは人種分断にゆれる2010年代後半のアメリカの風景とも重なり、これまでブロードウェイという観光地で消費されてきたミュージカル界にはない、強い問題意識に支えられた同時代性であった。

 2021年に映画として再演される本作にも、ミランダのマイノリティとしての視点がある。NYの高級化が進み、ジェントリフィケーションによって下町から移民が追い出されていく様は近年でも『21ブリッジ』『ヴァンパイアvsザ・ブロンクス』といったジャンル映画が描いてきた。やがて街は消えてしまうのではないか?そんな捉えようのない大きな災厄として劇中では真夏の大停電が描かれるが、僕らが想起してしまうのはコロナショックだろう。コミュニティの母とも言える存在だった老婆アブエラが命を落とすシーンは本作のハイライトだ。記憶と魂がバリー・ジェンキンスの『地下鉄道』のようにNYの地下鉄へと接続され、僕たちは移民の悲哀を聞く。不法移民の子ども達が"ドリーマー”と呼ばれながら、未だ永住権も得られない実態は遠い島国の僕らには考えも及ばない。

 だが誰もが"夢”を見る事ができるのもまたアメリカである。女達が“悲観するな”と歌う。ヴァネッサ役メリッサ・バレラ、ニーナ役レスリー・グレイスらのフレッシュさはもちろん、下町の美容師ら女性陣の生命力とパワフルさにミランダのフェミニズムと下町愛が見える。先の見えないパンデミックの現在、肌を寄せ合い、汗を流し、歌い踊る"ひしめき”のなんと愛しいことか。捨て曲なしのミュージカルナンバーが観客を一時たりとも離さないのはもちろん、『クレイジー・リッチ!』ジョン・M・チュウ監督の手数の多さに圧倒された。ラップのリズムに合わせた編集テンポ、ハイツの魅力を余す所なく収めたカメラのダイナミズムとこれほど映画への変換に成功したミュージカルは近年、思い当たらない。

 ミランダはマイノリティコミュニティを鼓舞する先駆者として、ロールモデルの重要性を4人の主人公に託す。街を出る者、街に残る者、学ぶ者、そして街の灯りになる者。本作もまた『ハミルトン』同様、ただ消費される娯楽ではなく、マイノリティをエンパワーメントし、メインストリームが描くことのなかったもう1つのアメリカを見せるのである。そんなハイコンテクスト性も実に2020年代らしい1本だ。ミランダは今冬、長編映画初監督作『Tick, Tick... Boom!』が待機。ひょっとするとボブ・フォッシー級の衝撃をもたらすかも知れない。その時はもう間近だ。


『イン・ザ・ハイツ』21・米
監督 ジョン・M・チュウ
出演 アンソニー・ラモス、メリッサ・バレラ、レスリー・グレイス、コーリー・ホーキンズ、オルガ・メレディス、ジミー・スミッツ、グレゴリー・ディアス4世
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『インターステラー』

2020-09-16 | 映画レビュー(い)

 デビュー当初こそ“人生経験のない自分が通用するのはサスペンスだ”と公言していたクリストファー・ノーランだが、『ダークナイト』で頂点を極めて以後、同じサスペンス・SFジャンルでもそのテーマ性は深化してきた。初のオスカー監督賞にノミネートされた『ダンケルク』ではタイムリミットサスペンスに自身のルーツであるブリティッシュイズムと、排外主義へのプロテストを潜ませ、それに先駆ける2014年の本作は今のところ彼のキャリアで唯一の非サスペンス映画であり、親子愛のドラマである。今回、IMAXスクリーンで再見し、改めてその溢れんばかりのエモーションに圧倒されてしまった。

 オスカー受賞後も正統派に戻らなかったマシュー・マコノヒーの“体臭”が映画を支え(それは時折、ノーランの演出を超えたりもする)、美少女子役マッケンジー・フォイとの親子愛は感動的だ。ノーラン組ハンス・ジマーの神秘的なスコアは星の彼方へと僕らを誘い、繰り返し詠われるディラン・トマスの詩が僕らをたぎらせる。絶対不可能に「でもやるんだよ!」と立ち向かう展開には胸が熱くなってしまった。観客を問答無用で映画銀河の彼方へと打ち上げるノーラン演出は圧巻だ。

また今回の再見では内臓に響くような劇場の音圧に驚かされた。終幕のブラックホールシーンは息を呑む体験であり、ノーラン映画の魅力を最大限に引き出せるのが映画館である事がよくわかる。コロナ禍において新作『テネット』の劇場公開にこだわった彼が如何に“劇場体験”を重要視しているのか改めて理解できた。

 主人公と娘の親子愛ドラマの影で、息子との関係性は何度見ても寒々しく、そこにスピルバーグの初期作『未知との遭遇』を思い出す。家族を捨てた父との確執は後のスピルバーグ映画にも度々影を落とした。そんな彼が『シンドラーのリスト』で映画作家として1つの到達点に達したように、クリストファー・ノーランもヒューマンドラマで転換点を迎えるのではないだろうか。彼が初めて情感的になった『インターステラー』は後にキャリアの試金石として語られる作品になるだろう。


『インターステラー』14・米
監督 クリストファー・ノーラン
出演 マシュー・マコノヒー、アン・ハサウェイ、ジェシカ・チャステイン、マイケル・ケイン、マッケンジー・フォイ、ウェス・ベントリー、マット・デイモン、エレン・バースティン、ビル・アーウィン、ケイシー・アフレック、ティモシー・シャラメ、ジョン・リスゴー、トファー・グレイス

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『インセプション』

2020-09-01 | 映画レビュー(い)

 『ダークナイト』の歴史的成功によりハリウッドのトップクラス監督へと昇りつめたクリストファー・ノーラン。10年間温めてきたオリジナル脚本の本作は難解で知性にあふれ、夏のブロックバスターに収まりきらない野心作だ。

 他人の夢の中に入り込み、深層心理から秘密を抜き取る…という何とも奇怪なプロットで、しかも主人公は別のアイデアを植え付けるというミッションを帯びる。本作の前半30分は夢世界の独自ルール説明に時間が費やされ、数年ぶりの再見に巻頭早々「うっ、ワケわからん!」とたじろいでしまった。よくもこんな企画が通ったものだ。この理詰めのノーラン演出を圧倒的“華”で突破してしまったのがヒース・レジャーであり(後にマシュー・マコノヒーも更新する)、だからこそ『ダークナイト』は傑作足り得たのだが、『インセプション』は夢を描く割には艶に乏しい。パリを舞台にする場面からアラン・レネの傑作『去年、マリエンバードで』との類似性も指摘されるものの(ノーラン曰く撮影当時は未見)、かろうじて仏女優マリオン・コティヤールが夢と現を橋渡すのみだ。

 夢の中の夢という虚構へ降りていく物語は次第に「現実とはなにか?」という問い掛けとなり、後に実存主義的SF『ウエストワールド』を手掛ける実弟ジョナサン・ノーランの作風を思わせる。僕は長年、彼との共作と勘違いしていたが、本作はクリスの単独作だ。ちなみに『ウエストワールド』で来場者を最初にエスコートしたタルラ・ライリーがここではブロンド美女役で夢世界の案内人となっているのも僕の深層心理を攪乱した(彼女はその後、大富豪イーロン・マスクと2度の結婚、離婚を繰り返す数奇な運命を辿る)。

 僕が本作で最も心惹かれるのはディカプリオとコティヤール扮する夫婦が抱えた仄暗さだ。彼らの怨念が本作の根幹であり、夢の世界に何十年も埋没した悲劇はハリウッド映画に不気味な空洞を開けて冷気を放つ。本作に内包されたメランコリックは後に2010年代後半からの主題となるメンタルヘルスを先駆けており、興味深い。
 また、この時期のディカプリオのキャリアには夫婦間の溝を扱った作品が並んでおり『レボリューショナリー・ロード』『シャッター・アイランド』の映画記憶は深層心理のどこかで『インセプション』と結節する。まるで全盛期のアスリートのようなパフォーマンスを見せるディカプリオの演技プランも3作で共通しているのが面白い。

 あまり触れられない話題だが、ノーランはスピルバーグ級のキャスティング慧眼の持ち主であり、本作は配役が最高だ。しなやかで優雅なアクションを見せるジョゼフ・ゴードン・レヴィットは以後、話題作が相次ぐ売れっ子となった。トム・ハーディに至ってはニコラス・ウィンディング・レフンの怪作『ブロンソン』で注目を浴びただけの、まだ海の物とも山の物とも知れない存在だった。『JUNO』でブレイクして間もないエレン・ペイジの濡れて光るような存在感はその後のキャリア停滞を思うと非常に貴重である。

 デヴィッド・リンチの『マルホランドドライブ』はミステリアスでセクシーな“あっち”の世界へ行って、帰って来れなくなった物語だった。それは僕の深層心理階層で糸の切れた凧のように記憶の迷路を彷徨う『メメント』のガイ・ピアースに繋がり、そして本作のディカプリオに至る。僕にはあのコマが止まったとは、どうしても思えないのだ。


『インセプション』10・米
監督 クリストファー・ノーラン
出演 レオナルド・ディカプリオ、渡辺謙、ジョゼフ・ゴードン・レヴィット、エレン・ペイジ、トム・ハーディ、キリアン・マーフィ、マイケル・ケイン、トム・ベレンジャー、ピート・ポスルスウェイト、ルーカス・ハース

 
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『イット・カムズ・アット・ナイト』

2020-04-08 | 映画レビュー(い)

 2019年の新作『ウェイブス』で旋風を巻き起こしたトレイ・エドワード・シュルツ監督の2017年作はコロナウィルスが猛威を振るう2020年の今、見る事はオススメできない。謎の奇病が蔓延した世界を舞台に、人里を離れて生きる一家を描いた本作はほとんど説明がなく、耳の良い音響設定と自然光のみで撮り上げた夜間撮影の暗さが見る者にストレスを与え続ける心理ホラーだ。

 一家は森の奥深くにある一軒家で自給自足の生活を送っている。一階には外に通じる赤く塗られた扉があり、夜は必ず鍵を掛けなくてはならない。外に出る時にはマスクを付けるが、そのルールは不明瞭でこれも大きなストレスだ。そこへもう一組の家族が現れ、共同生活が始まる。若い夫婦と小さな子供の感じの良い一家だが、ジョエル・エドガートン扮する父は彼らを信用するなと言う。

 一つ屋根の下で暮らしながら他者を全く受け容れない姿は2017年の分断の風景であり、曖昧な感染ルールはその憎しみの根拠の曖昧さかも知れない。しかしコロナショックの現在、医療従事者を拍手で送り出す各国の様子を見ていると、医療機関に対して風評被害が起きるという本邦の方がよほどこの映画の空気に近いだろう。恐怖描写の巧さはもとより、作家主義のホラーであることに製作A24のスタイルを見る1本である。


『イット・カムズ・アット・ナイト』17・米
監督 トレイ・エドワード・シュルツ
出演 ジョエル・エドガートン、クリストファー・アボット、カルメン・イジョゴ、ケルヴィン・ハリソンJr.、ライリー・キーオ
 
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『1917 命をかけた伝令』

2020-02-18 | 映画レビュー(い)

 『パラサイト』の歴史的なアカデミー作品賞獲得によって3部門の惜敗に終わった本作だが、それがこの素晴らしい映画技術の達成を貶める事にはならないだろう。『アメリカン・ビューティー』『007 スカイフォール』の名匠サム・メンデス監督は1917年西部戦線を突破する兵士の姿を全編ワンショットで撮るという大胆な試みに打って出た。撮影は“相棒”ロジャー・ディーキンスだ。

 近年、デジタル技術の発展やカメラの軽量化によりロングショットのハードルはぐんと下がった。名匠エマニュエル・ルベツキ撮影監督が手掛けた『バードマン』『ゼロ・グラビテイ』『レヴェナント』等、ロングショット自体が映画の性格を形成するケースもままある。ディーキンスはロングショットの曲芸など造作なくこなし、光と闇で演出する自身の作風と、『ブレードランナー2049』でも顕著だった物語と同期するエモーショナルな映像美を披露し、2度目のオスカーに輝いた。

 この全編ワンショットという技法は決してギミック重視のコンセプトではない。舞台演出家であれば舞台と客席の境界を取り払いたいという欲求は当然の帰結であり、この技法を通じて観客は1917年という劇空間に没入する事になる。カメラは時に小劇場のような近さで役者の演技を捉え、時に大劇場のように荘厳な舞台美術を俯瞰する。『1917』はメンデスの演劇的ディレクションがディーキンスのシネマトグラフィーを得て完成した総合芸術なのだ。
 唯一の難点を挙げるとすればトーマス・ニューマンの素晴らしいスコアだろう。映画監督としてのメンデスはクリストファー・ノーランのフォロアーであり、『スカイフォール』は『ダークナイト』に、本作はシュミレーター的戦争映画として『ダンケルク』の影響下にある。決定的な違いは音楽だ。『ダンケルク』のハンス・ジマーは着弾音や飛来音など全てを音で表現する前衛的手法で映画に同化したが、ロングショットによって編集段階における演出リズムを付けられない『1917』はスコアが過剰な“説明”をしてしまっている。

 観客に先の読めない没入感を与えるため、主演にはあまり馴染みのないジョージ・マッケイがキャスティングされている。TVドラマ『11/22/63』や『わたしは生きていける』『はじまりへの旅』などで誠実な演技を見せてきた彼は敢闘賞ものの奮演であり(オスカーにノミネートされても良かった)、善意と勇気を持って駆け抜けるラストランには往年の名作、ピーター・ウィアー監督、メル・ギブソン主演の『誓い』がよぎった。各要所ではコリン・ファース、マーク・ストロング、アンドリュー・スコット、ベネディクト・カンバーバッチ、リチャード・マッデンが登場し、スターの貫禄で場を締めている。

 本作は第一次大戦当時に伝令兵だったメンデス監督の祖父に捧げられている。冷徹なロングショットがみるみるうちに血の気を失い、命尽きる兵士を映したように、主人公が駆け抜ける荒野には声を得られず散っていった多くの人々が存在する事も忘れてはならない。


『1917 命をかけた伝令』19・米、英
監督 サム・メンデス
出演 ジョージ・マッケイ、ディーン・チャールズ・チャップマン、コリン・ファース、アンドリュー・スコット、マーク・ストロング、ベネディクト・カンバーバッチ、リチャード・マッデン、エイドリアン・スカーボロー
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