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恥ずかしながらデイヴィッド・バーンの名を知らなかったし、意識して楽曲を耳にした事もなかったことを断っておく(ジョナサン・デミの偉大なフィルモグラフィに『ストップ・メイキング・センス』がある事は知っている)。だが御歳69才のバーンにとって、それはおそらく些末な事だろう。彼がこのユートピアに包摂しようとしたのはより大きなものだ。
2018年にブロードウェイで上演されたこのライヴショーは巻頭、人間の脳の模型を持ったバーンが「人間は歳を重ねる毎にシナプスが切断されていく」と語り始める。舞台をすだれ状にチェーンが囲み、グレーのスーツに身を包んだバーンは語ったかと思えば歌い、歌ったかと思えばまた語る。ダンサー達とコンテンポラリーダンスを踊り、一糸乱れぬステージングはエレガントそのものだ。程なくしてマーチングバンドが登場し、いよいよ『アメリカン・ユートピア』の始まりだ。
アジア系の姿こそないものの(現在であれば必ず組み込まれただろう)、ステージメンバーは人種、年齢、性別も千差万別。そして黒人の文化であるマーチングバンドに象徴されるように、ルーツの異なる音楽がミックスされていく。”文化の盗用”とも言われかねない時代だが、しかしバーンはクライマックスにジャネール・モネイのプロテストソング”Hell You Talmbout”を用意する(直談判されたモネイは当然、二つ返事だった様子)。2010年代後半、キャンセルの対象とされてきた”白人高齢男性”のバーンが、人種差別の犠牲となった人々の名を挙げる意義は大きい。バーンはあらゆる文化、人種を包摂し、それが本来の理想郷たるアメリカだと謳う。これが2020年に大統領選挙を控えたトランプへのカウンターである事は言うまでもなく、その姿は高齢男性のロールモデルを欠く僕らに実に眩いのだ。
”Hell You Talmbout”と共に、『アメリカン・ユートピア』は”映画”へと姿を変える。犠牲者の名をコールする度に、遺影とそれを抱えた遺族の姿が映される。このライヴドキュメンタリーを監督したのは黒人社会派映画の巨匠スパイク・リーだ。彼がこの結節を担う重要性はもとより、軽やかに自転車で小屋入りするバーンを追ったエンドロールに注目してほしい。コロナ以前の在りし日、異なる人種や文化が合流し、共に歌い、汗を流すのがNYの姿であった。やはりNY派の巨匠マーティン・スコセッシが作家フラン・レヴォウィッツのトークショーを収めたNetflixドキュメンタリー『都市を歩くように』をリリースしており、同時期に彼らがNYという街の美を撮らえていた事も印象的である。
『アメリカン・ユートピア』20・米
監督 スパイク・リー
出演 デイヴィッド・バーン
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