マルタ日記

感謝な出来事。聖書からのみことば。
思いのまま吹く風と共にきらきら輝くキリストの花嫁の日々

ウルトラの母

2002-02-13 | 日々の出来事
依存しない夫婦と書いた次の日に、夫は熱でダウン。お世話して欲しそうなそぶりを茶化しながらも、私の存在をアピールする絶好のチャンスとばかりにお世話してあげてる。

人は、具合が悪くなると理想化された母なるものを求めるのかもしれない。優しく、甘えも許容してくれ、暖かい優しいタッチを与えてくれる、そんなお母さん。

ウルトラの母の必殺技に「マザー光線」というのがある。それは、怪我をたちどころに治してくれる光線だ。母なるものに癒しを求めるのは、男も女もないのかも。

母として、子の求めに全て応えることができるかどうかはわからないが、マザー光線を炸裂させたいと思ったりもする。

乏しいことがない

2002-02-13 | 日々の出来事
どんな境遇にあろうと
どんなに困難さを抱えていようと
乏しいことがない
あなたがいてくれるなら

無力感や重圧感の中でも
そのままのわたしで
わたしらしくしなさい
わたしならできる大丈夫と
あなたは力を下さる

あなたとともに憩うティータイム
もっと楽しみましょう
とっておきのケーキを用意して

依存しない夫婦

2002-02-12 | 日々の出来事
依存・共依存の中にある夫婦は、各自の役割分担がしっかりと固定されてあって、その枠を決して超えないという。常に自分は相手が必要で、相手も自分を必要としているという状況でなければならないから。健康な夫婦は、役割を少し交換して、相手がいなくても大丈夫という感覚を無意識のうちに持っている。

うちの夫婦間では、男の仕事、女の仕事という分類はない。大まかな役割としては、夫は働いているので、私が家事一般をしているが、夫はアイロンがけもするし、トイレ掃除もする(趣味だという感じもする)。もちろん必要な時には、洗濯も掃除もする。いっぽう、私が夫の仕事であると思っていた夜の戸締まりは、彼の固定された役割ではない。
うちでは「男の仕事」「女の仕事」は通じない。機械や家屋の修理でも、夫に「男の仕事でしょ」と頼もうものなら、絶対に拒否される。「男」「女」で決めるのではなく「できる」「できない」が判断の基準だと。
これってジェンダーフリーの世界かな。
でも、意固地に男親は学校の参観なんかに行かないと言っているのはなんなんだろう。

豚まん

2002-02-11 | 日々の出来事
夕食は、子供たちと一緒に豚まんを作った。3人兄弟の中で、一番いい形にできたのは、幼稚園児の三男。この子は、手先が器用で芸術家タイプ(ちょっと親馬鹿)。とりあえず、みんなのどんな形のでもおいしかった。

私にとって、「豚まん」は「豚まん」であって、決して「肉まん」とは言わない。横浜で、「肉まん」と書いている物を見て、「へぇ、牛肉入りなんだ。」と思っていた。それは、餃子にも言えた。「肉餃子」は「牛肉餃子」のことだと思っていたのに~。しばらくだまされていた。
関西では、「肉」=「牛肉」だぁ!小さい頃、買い物を頼まれた時、買い物リストに「肉」と書いてあったのを見て、「肉ってなに肉?」と母に聞くと、「『肉』いうたら、牛肉に決まっとるやないの。」と言われた記憶がしっかりとある。
それとも「肉」=「牛肉」は家だけなの?旦那は、それって金持ちだって言ってるみたいで鼻持ちならんと怪しんでいるんだけど。

3連休

2002-02-10 | 日々の出来事
子供は大喜びの3連休。親は・・・
ホームスクーリングの話をよく聞くが、家でずっと子供を見ているなんて私には信じられない話。でも、ホームスクーリングの人たちの話を聞いていると、なんだか自分が愛のない親のように思えてきて、罪悪感を感じて、ちょっと嫌。愛がないのではない。ちょっとぐうたらなだけ。
とは言うものの、別に子供が嫌いってわけではないのよ。今日も、はっと気づくと家の中に子供が11人。うじゃうじゃと遊んでいた。ドンジャラ、64、おままごとと好き放題。こういう状態だから、早く幼稚園、学校に行ってくれ~!なのだ。
でも、保育所のボランティア募集に電話なんかして、行きますなんて言ってんだから。わけわからんやっちゃ。

名を呼ぶ

2002-02-10 | 日々の出来事
ひとりひとりの名を呼んで
愛して下さる
どんなに小さなわたしでも
おぼえていて下さる

―*―*―*―*―*―*―*―*―

あなたを創造された方は、こう言う。
あなたはわたしのもの。
わたしはあなたの名を呼ぶ。

私の目にはあなたは値高く、貴く
私はあなたを愛している。

I Need a help.

2002-02-09 | 日々の出来事
アメリカにいる時、子供が“I Need a help.”と言うのをよく聞いた。名前が書けないからとか、トイレに行く時とか。子供が自分1人ではできない時に、「できない」と言うのではなく、手伝ってくれたらできるという積極的思考、自尊心を小さい時から身につけているのだと思った。
助けが必要な時に、適切にその助けを求めることができる自尊心を養っておくことが大切だなと思う。