「わが回想のルバング島 情報将校の遅すぎた帰還」小野田寛郎 1988朝日新聞社
ああ、朝日新聞社だからこんなタイトルなのか。売るために。
小野田さんに自由につけてもらったら、「追悼、鈴木君」が入るだろう。
出版のタイミングからすると、もう小野田さんブームは去っており、「追悼」がメイン(思い)だろうに。
3月に読んだ「小野田寛郎の終わらない戦い」の確認作業として読む。
だいぶ興味が薄れてきていたので、ページが進まずに苦痛だった。
だが、小野田さんの立場をきれいに説明するよくできた著作だろう。
疑いながら読むうちに、組み立てとしては納得できていく。その通りだろう。
しかし、そこに書かれていないことも当然あるはずだ。
組織の中、戦争の中で、過去の奔放な生活への内省。
戦争が終わったことに本当は気付きながらも、『戦後』に出遅れた立場からの焦り、そしてそれを見ない振りするための自己正当化。
当然、あったと思えるが、戦中の日本人男児として、それを語ることはできなかっただろう。
また、作戦行動として、自分の能力を楽しんでいた節もある。まるで子供の探検ごっこや隠れん坊のように。
P192 「なんたるザマだ、このおれは。私は自分に愛想がつきた」
おそらく、戦争が終わったかもしれないと知りながら、そうではないと恣意的な組み立てをしたことの証明。もしくは、その気付き、回想があったか。
検査入院19日、最初の1週間で健康体がフラフラになったとあるが、それは検査のせいではなく、気が抜けて空虚となった(P199)からだったのではないか。
安倍内閣の右傾化に見える傾向は、『敗戦』を認めていないのではないかと思える。(戦後の日本では『敗戦』ではなく『終戦』と呼ばれている)
おそらくそれは、小野田さん以上に依怙地で天邪鬼なへそ曲がりの理屈であり、もう一度戦争をして痛い目を見ないと目が覚めないのではないか。『戦勝国』となるために、安倍内閣はもう一度戦争をやり直そうとしているのではないか。あの戦争の目的である『(物質的)豊かさ』は達成されたというのに、今度は何を目的に行おうというのか。小野田さんの『戦友』への想いをよそに、私はそんなことを思いながらこの本を読み終えたのだった。