「ソフィーの世界 哲学者からの不思議な手紙」ヨースタイン・ゴルデル(1991) 須田朗監修・池田香代子訳 1995NHK出版
5年ぶり再読
読んだことがあることは覚えていたが、作品の入れ子構造とその世界をそのまま読者にも問うっていうのは忘れていた。『なんでこんな面倒くさいどうでもいい哲学の話が人気あるんだ?』と5年前と同じ感想で読み始める。でも、読み続けるとそれぞれの哲学者の時代に合わせた偉大さとその間違いをソフィーと同じように理解して(誘導されて)いく。哲学に終わりはなく、その態度が哲学だと。それが人間だと。・・・『そうかな』って思うのも哲学。
父親の誕生日プレゼントが哲学の教科書的なミステリーでメルフェンなお話。そのお話から始まる物語。ヒルデが『実在』として登場するのはP363という半分くらい進んでから。それが最初の答え合わせ。そしてヒルデって誰とはじまる物語は、P457でヒルデ自身が作品の登場人物なのではないかという疑いを自分に持つことで、さらに読者にも同じ問いをする。「私たちの存在って何?」と。
ソフィーのアルベルトが自分たちの正体に気付くのは、書いているヒルデの父親であるアルベルトがさせたこと。そしてそれを彼にさせたのは彼の無意識による自己批判?それとも単に作者ゴルデルの都合?P565でも潜在的夢思考を知らないという。それはゴルデル自身にも当てはまるのか。
終盤、ソフィーたちの世界はメルフェンがあふれ出す。アルベルトがヒルデの中のソフィーをメルフェンに降格させて、自分の世界に戻させるためか。
P499 マッチ売りの少女が豪邸に火をつけるというのは、今の社会ならありうることだと笑いながら恐れる。ああ、マルクス!そしてフロイト先生は笑いながら恐れる私をどう診断するのか。
マルクスのところは、現在の安倍政権についての批判にそのまま当てはまるような状況。『搾取』による格差拡大。P510にはその失敗の原因が書かれている。資本家が儲けようとすると「労働者たちは貧しくなって(賃金低下、離職・解雇)何も買えなくなってしまう。そして物が売れなくなって儲からなくなる」という資本主義の構造にぴったり。
不条理劇の目的?を考えると、現代っていうのはそれを単純に受け入れてしまう変な時代なのかもしれない。何とかしようというよりも、仕方ないよねと諦めてしまう気がする。
アルベルトが書き終わった後の続きは、ヒルデたちが協力して書いているのかと思ったら違った。作者が引き継いでいるわけだな、もちろん最初から書いているのは作者だが。
ソフィーは我々の世界で存在を始める。メルフェンとして。これまでの有名なメルフェンの人物たちと一緒に…ってなんて傲慢なんでしょう。でも、十分に売れてしまったのでその通りになるのかもしれない。(でも、その後の売れ行きはどうですか?映像化もしてはいるけど・・・50年、100年後に残っているかなぁ)
作品の構造だけからすれば長すぎるが、哲学の入門書と資料としてのまとめが素晴らしくそしてわかりやすい。結局そこら辺のバランスが取れた本として価値があるのだろう。これから先哲学の歴史を勉強することもないだろうが、それでも手元に置いておきたい一冊かもしれない。