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「第四間氷期」安部公房

2015年04月11日 11時11分11秒 | 読書とか

「第四間氷期」安部公房(1959) 1970新潮文庫(2013、43刷)

いまなら「A・I」、超スーパーコンピューターですね。
死人の身体からその反射(記憶・記録)を取り出すとか、人工子宮とか、水棲人(海底植民地)とか~海水面の上昇とか~
水棲人の感じ方、表現はヴォルコシガン・サガの「クアディ―(無重力労働者)」を連想させるね。地上人(重力人)の環境を不便に感じる。

「予言」という名前に踊らされているけど、ちゃんと前提がついているわけで、どうしても政治的にならざるを得ないわけだ。「予言」じゃなくて「予想」だよね。まあ、自分たちに都合がいいように使っていくわけで。
犯罪予防に使えますよなんてのは「サイコパス」の「犯罪係数」ですわな。そっちで押せば予算の心配はなくなるはずだけどなぁ。まあ、秘密組織が暗躍するわけで。ねえ。海底開発協会、組織を口外しない、それを脅かすものは消す。

予言するとそちらへ向かう力が働くわけで、いまでいうとTwitterなんかで噂が拡散するのがそれにあたるのかな。世相的には『2020年東京オリンピックでISの日本人工作員によるテロ』みたいなことが一番怖くて、ありそうな。

予言するだけの計算力があれば、もっとましな方法を見つけられると思いながら、「いやもっと別の目的があるにちがいない」なんて読むじゃない。
でもまあ、質問者の資質による断絶した未来、その捉え方がそれを許さなかったわけだ。
一つの解決方法を絶対と受け取り信じ込む。
でも、認めないものを排除する必要はないよぉ。
だいいち絶対じゃないんだもん。

で、頼木の存在というか目的がはっきりしないために、読者は疑いふわふわしながら納得できないまま最後まで行ってしまうのだけれど、あとがきで作者ですら頼木の立場がはっきりしないとのたまう!おいおい!
まあ、盲目的な未来への希望・信頼への警鐘であるわけだから、そこはいいんだろうけど・・・
解説に「未来を一概に楽観的に見るのは禁物である。しかし文明の未来を悲観的に見ただけでは問題の解決にはならない」「そういう未来の逆説性を、見事に解き明かしているのがこの小説である」とあるが、そうか?解き明かしては無いだろ。『未来の逆説性』ってカッコいいけど。

「現在から独立した、凶暴な未来」

確かに、今の価値のままで未来を信頼するのって、覚悟が足りないわ、のんき過ぎる。
でも、その価値観を省いてならば、盲目的な希望と信頼はあってもいいと思うけどね。
そこに彼らがいるということだけでいいじゃない。
そして、多様性が必要だぉ。

 

読後感が気持ち悪い。
アイデアと展開は面白いんだけど、納得できない。
頼木の立場と目的の謎が、単なるアイデアの欠乏に見えちゃうからかな。

ドラマが足りないのか?

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