香椎宮の祭神は仲哀(ちゅうあい)天皇・神功皇后。その側近に武内宿祢(たけのうちのすくね)という人がいた。この武内さんは300歳まで長生きして、仲哀天皇をはじめ、6人の天皇さんに仕えたという。なんで長生きできたかというと、香椎の「湧き水」が良かったらしい。これこそ「不老水」である。明治までは正月になるとこの「不老水」が皇室に献上されていたという。いまも武内家のご子孫が住む敷地内で管理されている。
オイラの住むマンションから直線で数十メートル!しかし、今日初めてお参りしてきた。さて、報恩寺は、建久三年(1192年)、栄西禅師が建立したといわれるお寺。本堂の前庭には、栄西さんが中国から持ち帰った「日本最古の菩提樹」植えられている。ちなみに、栄西さんは日本に初めてお茶の種を持ち帰り、「茶は養生の仙薬なり…」ではじまる『喫茶養生記』を著し、お茶を日本に広めた偉いお坊さんである。また、鎌倉時代の有名な『吾妻鏡』、ここに、将軍「源実朝」が二日酔いでどうにもこうにもならないとき、栄西さんから茶と『喫茶養生記』が献上され、早速、将軍はそれを試してみた。すると、たちまち元気になった!と書かれている。当時はコンビニも「ウコンの力」もなく、二日酔いになるとお茶を飲んでたらしい・・・さて、「菩提樹」は、釈迦(しゃか)がその下で「悟りを開いた」ということで知られ、 その由来から、寺院の庭園などによく植えられる。しかし、釈迦が実際に悟りを開いたのは桑科で熱帯樹の「インド菩提樹」の下。今の「菩提樹」とは違う。 なぜ間違って伝えられたのか?原因は栄西さんにある。今から800年以上も前、栄西さんが中国の天台山に行き、そこに植えられていた菩提樹を、葉の形が「インド菩提樹」に似ていることから本物のインド菩提樹だと思って日本に持ち帰って「これは菩提樹」としていろんなお寺に植えたから・・・
サクラ (桜、櫻、学名: Prunus) は、日本人に古くから親しまれており、とくに江戸末期に開発されたソメイヨシノ(染井吉野)は、明治以降、全国各地に広まり、サクラの代名詞となっている。また、自然種としてはヤマザクラ、オオシマザクラ、エドヒガンなど10種ほどが認められているが、古代では、山に咲くヤマザクラや、八重咲きの桜が一般的であった。有名な吉野の桜も、ヤマザクラである。香椎宮の桜。じっくり観察してみるいろんな種類がある。花びらの形状、色、それぞれに違う。
香椎(かしい)は、JR博多から快速電車で約10分、東区の北部に位置する地域である。国道3号線から24号線を東へ、JRの「開かずの踏切」を過ぎると大鳥居があり、ここから香椎宮参道が延々と続く。参道であるが、行列ができるパン屋(メロンパンが有名らしい!)、平日の昼下がり、香椎マダムが贔屓にする喫茶店などがあり、洒落た雰囲気が漂っている。さて、“ちょい悪オヤジ”の住まいがある香椎宮周囲を勝手に「香椎の杜」と称している。境内後方には、仲哀天皇の大本営跡のある古宮、栄西禅師が建立した報恩寺、そして日本三大名水「不老水」があり、歴史と緑に囲まれた杜である。しかし、なんといっても香椎のランドマークは“香椎宮”である!今日も友人の快気!を祈念すべく、香椎宮に参拝してきた。ちょうど境内の桜が満開、ひとり寂しく花見をしてきたのである・・・トホホ