濱の与太郎

祭り!ベイスターズ!なにより、ヨコハマが大好きだぁ~

富良野

2013年09月11日 | 北海道

7月15日、抜けるような青空!北海道なのに気温も30℃を超えていたと思う
兎に角、暑い夏の日だった

その日は出張の移動日、早朝、苫小牧を出て、富良野、美瑛、旭川、
そして層雲峡を経由して北見まで移動した

富良野は「北の国から」のロケ地
特に夏は車が渋滞し、目的地までたどり着かない・・・ということが
しばしばあるほど

あの日も富良野市内はもとより、美瑛までも観光客の車列がどこまでも
続いていたが、北の国からのロケ地である「麓郷(ろくごう)」は閑散
としており、のんびりと見学することができた

北の国からは、フジテレビ系列で1981年から2002年にかけて放送された
そのころ、映画『キタキツネ物語』と『アドベンチャーファミリー』が
大ヒット!!似たようなものができないかとフジテレビから倉本氏に
話が持ち込まれた事から企画が始まったそうだ

さて、「北の国から2002遺言」をが放映最後となってしまったが、
昨年2月、『文藝春秋』2012年3月号で脚本家の倉本氏本は、
「頭の中の『北の国から』」と題した現時点での登場人物の「その後」について
触れた文章を寄稿した。この中では以下のような内容が記されている・・

正吉・蛍一家は2004年から福島県浪江町に移住し、正吉は地元の消防士、
蛍は南相馬市の病院で看護師として働いていたが、東北地方太平洋沖地震に伴う
津波で正吉は行方不明となる

蛍は福島第一原子力発電所事故に伴う放射能汚染を懸念して富良野に息子の快と
避難するが、正吉が行方不明と知り、快を残して福島県に戻る


純は結と離婚したあと、ごみ収集職員として働きながら借金を返済していたが、
相手が2007年に死去し、返済から解放される
ごみ収集職員としての日常をブログに綴っていたところ、読者の一人がれいだと判明
東京で暮らすれい(すでに離婚)と再会する

そこで東北太平洋沖地震に遭遇。福島県に赴き、正吉の消息を求めているところで蛍と
再会する・・・

舞台がオイラの故郷!という点では是非!バーチャルで見てみたい気もするが、
少しばかり違和感も感じるのはオイラだけ!?


幸福駅

2013年09月11日 | 北海道

ローカルニュースを見ていたら、6月に訪れた古びた「幸福駅」の駅舎が解体され、
数か月後にリニューアルすると云っていた

幸福駅は、始発駅の帯広から南下し、終点の広尾駅までの途中駅だった
1987年、広尾線は国鉄民営化直前に廃止となったが、待合室のみの駅をふくむ旧駅舎が
5駅(愛国、幸福、忠類、大樹、広尾)残存している

なかでも、幸福駅はその名から、1973年3月、NHKの紀行番組『新日本紀行』において
『幸福への旅 〜帯広〜』として紹介されたことから知名度が一気に上昇、特に、愛国から
幸福駅行きの“切符”は縁起物!?として人気を集め、やがて、此処は「恋人の聖地」の
先駆けとなった


その当時、福島の田舎に住み、北海道とはなんの縁もなかったオイラであるが、
そういえば、誰にもらったのか?プラスチックのケースに収められた「愛国から幸福行き」
切符のキーホルダーを持っていたことを思い出した・・・
あのころ、こういったキーホルダーが流行ったけっ!四葉のクルーバーとか・・・

さて、旧駅舎は建造から56年が経過していたという
オイラより少しだけ先輩の古びた駅舎
解体前にオリジナルを見ることができてよかった~~