濱の与太郎

祭り!ベイスターズ!なにより、ヨコハマが大好きだぁ~

引退試合

2014年11月19日 | ひとりごと・・

ベイの清さんが言っていた
「多くの選手はクビを宣告されて野球人生を終える。俺は引退試合ができる選手を育てたい・・・・」と

しかし、引退試合ができる選手はほんの一握り
横浜一筋!あの金城でさえ断腸の思いで巨人へ移籍せざるを得なかった
さらに、ソト、ブランコも放出!と書かれている



少しばかり調子を落とせば簡単にバイバイってか?そりゃねーよ!
若い選手を育てる?だけど、功労者を大事にしない球団ってーのは情けないよ
終身雇用とは言わないが、選手、そして応援するファンの心情も考えてほしい

2013年10月8日、横浜スタジアム
その日、最終戦となった阪神戦は、今シーズン限りでの引退を決めた小池の引退試合
4回に今季第1号となる2ランを放つと、8回にもこの日2本目のアーチ!!

「まだいけるじゃん!!」
有終の美を飾った
ファンからの万雷の拍手と大歓声の中、小池は涙ながらにベースを一周した・・・・

そして、ベンチに戻るとチームメイトの温かい祝福が待ちかまえていた
なかでも、小池が青春時代を過ごした横浜高校の同級生である後藤武敏と4学年上の
先輩である多村仁志は、自分のことのように涙を流し、小池を向かい入れた



そこには3人にしかわからない想いが交錯していた

小池は生粋(きっすい)のハマっ子だ
横浜スタジアムからほど近い保土ヶ谷区出身で、中学時代は中本牧シニアで活躍し、
横浜高校に進学。高校時代は松坂大輔らとともに甲子園春夏連覇を達成した



1998年のドラフトで横浜ベイスターズから6位で指名され入団
横浜に対する愛着は誰よりもあると自負している



引退は、小池自身が決断した
腹が決まると、チーム内で一番仲のいい後藤と多村を食事に誘い引退を伝えた

「ふたりにはこれまでのことを話しました」
「そしてふたりに『もし他球団に行ったら、僕はまだやれると思いますか?』と訊いた

すると、ふたりは真剣に考え、そしてしばらくして、
『正直、厳しいと思う』と言ってくれたという

「ふたりとも無責任なことは絶対に言わないし、はっきりと答えてくれたおかげで、
気持ちが固まりました」と小池はいう

現在、小池さんは横浜DeNAの一軍打撃コーチ
第二の人生ですべきことは、横浜への恩返しだという

「横浜愛」を持って、自分が在籍した時には成し遂げられなかった頂点を、選手たちと
ともに目指していると



どうか、頂点もさることならが、自身のようにハマスタで「引退試合」ができる選手を
育ててください


今日の芝浦運河

2014年11月19日 | ひとりごと・・

温暖化が進んでいるとはいえ、季節は確実に冬に向かっている
今日の芝浦運河、いつものように多くの冬鳥が越冬のために飛来しており、
冷たい風が吹くなか、気持ち良さそうに水面に佇んでいる

オイラ、1時間隔で運河沿いにある喫煙所で一服する
ボケーッと水面を眺めていると数種の水鳥がいることが確認できる

図鑑で調べてみると、
留鳥のカルガモ、コサギ、そしてカワウなど

カワウは全身黒色で、ペリカンの仲間らしい
時々、超高速!で水に潜って餌を探すが、他の水鳥と異なり、潜ったあと、
どこから出てくるのか予測がつかないほど潜水能力に優れている



また、一番多く見られるのが冬鳥(渡り鳥)のホシハジロ
オスは茶色の頭と先端が黒い灰色のくちばしが特徴



ホシハジロもカワウと同じく水に潜ってエサをとるカモの仲間
水中のノリや水草が好物。こいつらは垂直に潜水し、ブクブクと水泡をはき、
同じ場所に垂直に上昇してくる

魚を追うカワウと異なり、けして逃げることないノリや水草が主食なだけに
最小限の運動量でお腹を満たすことができるってわけ

しかし、此処は大都会のど真ん中!



まさかここで野生を身近に見れるとは思いもよらなかったね

孤高のひと

2014年11月19日 | ひとりごと・・

孤高とは、ある種の信念や美学に基づき、群れることなく、他者と離れることで
必要以上の苦労を1人で負うようなひと・・・

「高倉健さん急逝」
昨日、駅の売店に置かれたタブロイド紙の見出しを見てとても驚いた
オイラ、健さんってーひとは「病気」とか、「死」という言葉とは無縁なひとだと、
勝手にそう思い込んでいたから

健さんは、比叡山で千日回峰を成し遂げた酒井雄哉大阿闍梨を尊敬していたという
酒井大阿闍梨は、仏門に入る以前、横浜港で港湾人として働いていた時期がある
そのため、とっても身近な存在であり、オイラも師を尊敬している

さて、健さんは、大阿闍梨のお言葉を座右の銘としていたそうだ
「行く道は精進にして、忍びて終わり悔いなし」

これだけを見ていると健さんが一方的に大阿闍梨を尊敬していたかのように感じるが、
実は、大阿闍梨も健さんのことを大いに尊敬されていた

お互いに命をかけ、物事をなし遂げたひとだけに相通じるなにか・・・
酒井師は、健さんの随想『旅の途中で』に、「健さんのこと」という一文を寄稿されている

その一部を紹介する

「健さんのこと」
       比叡山飯室谷不動堂 大阿闍梨 酒井雄哉

独りで生きることができる人が、最終的に強いんやないかな
そういう人には、何とも言えへん人間としての温かみもあるんやね
そういう人はじぶんが善行を積んでも、これこれをしました、
なんてことをごちゃごちゃ言わない
そんなこともあったかいな、という顔をする

陰徳というものは、そうして積まれてくるもんやね
ある時、何気なしにすーっと現れ、ある時すーっと姿を消していく
何かをしても、結果や報酬を期待しない
健さんはまさにそういう人やね

「俺は高倉健だ」
とか一言も言わず、仕事が済めば外国へ出かけてしまう
健さんのそういう生き方を観せてもらうようになって、あの人はお侍さんやと思う
どんな仕事でも命を賭けてやっている

軽く流すことは絶対にしない
普通の人なら、来た仕事は一応全部引き受けて、こちらは軽くいきましょう、
こちらは大事やからしっかりやりましょう、そんな計算が働くけどね

そういうことが大嫌いな人やと思う
すべてに命懸けで、いつも刃の上を歩いているような、そんなお人やと思う
周りの現象に流されず、折目正しく生きている。それは座った姿にも出ておる

誰しも人間やったら、老いていくことへの不安はある
しかし、「一日一生」
今日の自分は今日で終わり。明日は新たな自分が生まれてくる



今日、いろんなできごとやいざこざがあっても、
明日はまた新しいものとして生まれる
こだわりを捨て、同じような過ちを修正しておけばええ

最終的には息を引き取る時が、 人生の勝負やないかな
何があろうとなかろうと、 独りきりで旅立っていくんやから・・

生まれた時と同じ。 何も持たずに旅立って行くわけやね
赤ん坊か、くしゃくしゃの年寄りかの違いだけやね。自分に課せられた人生

仏様からいただいた人生を、
「これだけ燃えつきました」
高倉健はそう言って逝ける、 数少ないお人やと思います

2000年12月・比叡山にて



酒井大阿闍梨、健さんより一足早く、昨年9月、87歳で生涯を閉じた